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sakurabarの新書100選(2024年度版)

2万2千字超の大作になってしまいました。書くのに数十時間かかっています。


新書100選をつくった

高校時代、学校図書館に適書150選というものがありました。教員が各分野で学生におススメする本を選んで、それを紹介する、というものでした。

○○の100冊というのは「新潮文庫の100冊」とか名著100選とか、色々あります。

子どもの頃からそこそこ・まあまあ本を読む身としては、自分の人生で一回くらいは100選を作ってみてもいいか、でもフィクションで作ってもそれは色々なところでやられているしな、ということで、新書で100選を作ることにしました。
2018年ごろから意識して新書を読むようにして、まぁ色々ありまして2024年、つまり約5年間ほどかかって100選を完成させました。

選定基準は下記の通りです。

  • (原則)同一著者は1回までしか選べないことにする。ただしど~しても外せない場合は例外あり。

  • 選定する基準は、自分が読んで面白かった・ためになった、なおかつ近しい人に薦めることができるか。なお、実際に本を推薦することは、あまりありません。自分が本を薦められると読む気をなくす天邪鬼だからです。

以下、新書レーベルごと、レーベル内では著者氏名のあいうえお順に並べてあります。
また、書名のリンクは、基本的には各出版社のWebサイトに飛ぶようにしています。一部(サイバー攻撃を受けた某社)は、Amazonに飛ぶようになっています。

新書はレーベルによって特徴があります。詳しくは個人ブログの「新書レーベルについて」という記事に書いてありますので、そちらをご参照ください。

岩波新書(計12冊)

特徴:三大新書の筆頭。歴史・伝統は随一。文化人ってのが基本的に左寄りなので、レーベル全体としてもそちら寄りのものが多い。現在書店で売られているものは「新赤版」というもので、赤→青(緑色)→黄と色が変わっている。青や黄にも名著が多い。

池内 了『疑似科学入門』:本書自体が疑似科学ではないか? という批判もありつつも、それでも私たちが観客民主主義になってなんでもかんでも専門家にお任せしてしまっているのが問題ですよ、と提示しているところに価値あり。

池上 嘉彦『記号論への招待』:黄版の名著。記号論の入門書。世界の見え方が変わる一冊。記号論に興味がない人にとっては、睡眠導入剤にオススメ。一読しただけじゃわからないから、座右に置いてパラパラめくるタイプの本。

今井 むつみ『英語独習法』:『言語の本質』を入れようか迷ったんですが、あれは言語学ビギナーにはなかなか難しいのでこっちで。新書大賞になってますけど、あれみんなホントに分かって読んでるの?
認知科学の観点から、21世紀のインターネットのコーパスを活用することでお手軽かつお安く英語が独習できますよ、という内容。多読とかスピードラー○ングとかのウソ、あるいは幼少期からバイリンガル教育をすればバイリンガルになるというのも眉唾ですよとか、英語習得に関するナイーブな言説を一刀両断。英語の四技能として、読む・書く・聞く・話すがあるが、すべてに優先して語彙の習得、およびスキーマの習得があり、その後に読む・書くをやる。聞くのは読み書きができないと無理で、話すは一番最後である。正誤表が多いのが玉に瑕。

E.H. カー『歴史とは何か』:青版の名著であり、古典中の古典。文学部史学科や教育学部社会科教育専攻に入った子は読みましょう。ただし、大学新入生や世界史未履修者が読むには相当酷な内容で、人文系大学生は本書が読めたら大学に進学した元は取れたといってもいいのではないでしょうか。もう1冊はいわゆる『プロ倫』(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)。ちなみに、『プロ倫』は岩波文庫版より日経BP版がオススメ。訳がやわらかいから。

宇沢 弘文『社会的共通資本』:アイディアがすごい。経済学者っていうと、資本家の尖兵となって暗躍するイメージが当時はあったのだが、こんな素晴らしい人もいたのか! と感嘆してしまった。新自由主義(ネオリベラリズム、ネオリベ)ってもう2024年だとすっかり悪口になっちゃいましたね。

大野 晋『日本語練習帳』:日本語学では知らない人はいないビッグネームによる、日本語の文章論。良い文章を書くにはまず語彙、次に文法、そして縮約の練習である。接続助詞「が」をやめるだけで、文意が明確になるのでおすすめ。

志賀 櫻『タックス・ヘイブン――逃げていく税金』:富裕層や法人の所得税逃れのためのタックス・ヘイブンの問題点を描くのが表テーマ。著者のスーパーマン(大蔵省から駐英からの県警本部長からの南米で銃撃戦!?)な武勇伝が裏テーマ。

鈴木 大拙『禅と日本文化』:赤版の名著。茶道をやっていたこともあってか、禅が日本文化にもたらした影響を味わうことができる座右の書です。

「つぎのような問をはさむ人があるかもしれぬ。『現代の世にこの茶人のような境遇の人は何人あろうか。暢気にもてなしのことなぞ語るのは馬鹿げている。まずパンを与えよ、そして労働時間の短縮を。』しかし、じつを言えば、われわれいわゆる現代人は閑暇(ひま)を失っている。悶える心には真に生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激のために刺激を追って、内心の苦悶を一時的に窒息させておこうとするにすぎない。主要な問題は生活はゆったりした教養的享受のためにあるのか、快楽と感覚的刺激を求めるためにあるのか、どちらだろうかという点である。この問題がきまった上で、必要ならば、われわれは現代生活の全機構を否定して新しく始めてもいい。われわれの目的は終始、物質的欲望と慰安の奴隷となっていることではない。」

鈴木大拙『禅と日本文化』(岩波新書)P139

この引用で書かれている現代人というのは、本書の原著"Zen and Japanese Culture"が書かれた 1959年における現代人である、ということに留意する必要があります。奢侈を追い求めることのむなしさを私がしばしば感じるのは、この本に影響されるところが多いです。

野矢 茂樹『言語哲学がはじまる』:ウィトゲンシュタインの哲学は、哲学的困惑に対する「治療」である。いつの世にもどうでもいいことに悩み深みにはまってしま(い、哲学科などに行ってしま)う人というのは存在する。そうした人たちが抱く哲学的困惑や苦悩に対して「治療」として示されるものがウィトゲンシュタインの哲学である。『論考』の「語りえぬものには~」というのは、哲学的困惑に対する「治療」であり、だからこそ示される、でOKなのだ。示されるものは語りえぬものであるから、無価値である、というのは読みが浅い、ということである。

堀田 善衞『インドで考えたこと』:50年代の訪印記。日本人が気軽に言う「永遠」って本当にそうですか? インドのこの雑踏と生老病死が入り混じっている社会を見てもまだ言える? という内容。筆者がインド食に悪戦苦闘し、山羊の脳みそにKOされるのも面白い。

マーク・ピーターセン『日本人の英語』:大学の英語の先生から見た、日本人が英語を書く時の特徴。英作文の勉強に最適。3冊シリーズの1冊目。

山本 芳久『トマス・アクィナス――理性と神秘』:中世ヨーロッパのキリスト教って言うと禁欲! 禁欲! 自己犠牲! みたいなイメージがある一方、トマス・アクィナスはそれには懐疑的である。神からの愛によって自分と自己が一になる→自分が満たされてはじめて隣人愛や友愛が成り立つ、つまり自分が満ち足りていなければ人を愛することはできないんだね。それより、神からの無償の愛があるからこそ、人は神へ愛が捧げられるという論法はさすが。

中公新書(計21冊)

特徴:三大新書の一角。sakurabarがもっとも好きなレーベル。硬派でよく眠れ、歴史系に強い。ハズレが少なく、安定したクオリティ。

飯田 真紀『広東語の世界-香港、華南が育んだグローバル中国語』:広東語ってのが北京語の方言ではなくて、むしろ北京語と並んでもうひとつの中国語なんじゃないですか、と説く。香港で高等教育を受けた香港人が、北京語よりむしろ英語の方を好んで使う理由がわかります。

伊藤 聡『神道とは何か - 神と仏の日本史』:神社によくお参りしますけど、私たち日本人って神社というか神道の本性を知らないのでは? ということが分かってしまう本です。あの素朴さというか、日本らしさってのは実は作り物ですよ。唯一神を信仰するっていうよりは、色々なものをごった煮にしている感じです。

「現代の神道が素朴に見えるならそれは装われた古代であって、そもそも神道の基本的性格は仮構された<固有>性への志向である」

伊藤聡『神道とは何か - 神と仏の日本史』(中公新書)

伊藤 俊一『荘園-墾田永年私財法から応仁の乱まで』:荘園の終わりは応仁の乱で守護が各国に下ったやつ。そもそも領地を家臣にあげるという行為は、戦国時代的な観点では普通だが、当時はとんでもない反逆行為だったのです。

「私はかつてタイムトラベルに憧れた少年だったが、未来には行けないので過去に行くことにした」

伊藤俊一『荘園-墾田永年私財法から応仁の乱まで』(中公新書)

小笠原 弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』:オスマン帝国600年の歴史を新書一冊にまとめ上げた快作。オスマン帝国の特徴である、「女奴隷に王朝の後継者を産ませる」「スルタンを継承した時点で自分以外の兄弟皆殺しor目つぶし(or鳥籠制度という生涯幽閉)」は、モンゴル帝国のような遊牧民族が、支配範囲のわりには短期間で滅亡してしまったのとは異なり、自分たちも遊牧民系だったが早い段階でこうした統治機構を整備したひとつであり、これが600年の歴史の原動力となったのである。

「本書の執筆中、かつての自分に向かって書いているような奇妙な感覚を、幾度か味わった。本書を読んで、読者がオスマン帝国史に魅力を感じてくださるとすれば――僭越を承知で付け加えると、オスマン帝国史研究を志してくれる方がいるならば――望外の喜びである。」

小笠原弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』(中公新書)

柿沼 陽平『古代中国の24時間-秦漢時代の衣食住から性愛まで』:2000年前の中国人の暮らしが分かる本。私たちが高校世界史で学ぶのは、政治史であったりその添え物的な文化史であったりする一方、こうした名も無き庶民の繰り返される日常もまた歴史の一ページなのだ、と実感できる。

木下 是雄『理科系の作文技術』:1981年初版ということで、OHPとかいう懐かしい単語が出てくる。私が小学生の頃はまだありました。しかし、40年以上も前の書籍であるにも関わらず、本書がレポート・作文技術の参考書の中でも第一級であり続けるということが、本書の価値を物語っている。大学時代の言語学の演習で、参考資料として挙げられていた。

小島 庸平『サラ金の歴史-消費者金融と日本社会』:サラ金の栄枯盛衰がわかる一冊。Z世代は武富士ダンサーのCMとか知らないんだろうな。融資対象を拡大し続けて業者間での競争、社内でのノルマ競争の末に多重債務者の破産や自殺が、やがてサラ金そのものの命脈を絶つことになってしまい、いまではみんな銀行傘下。貸せないはずの人たちに貸してるのって現代の住宅ローンもだしサブプライムおいなにをするやめ。いつの時代も目先の消費で金を借りる層はいるので、メルカリや楽天カードのようなFinTechならぬ「貧テック」がバリバリ利益をあげるのもやむなしか。

鈴木 透『食の実験場アメリカ-ファーストフード帝国のゆくえ』:アメ公がマクドナルドとケンタッキーばっか食ってると思ってる人は反省しましょう。先住民族食も黒人奴隷食も黄色人種移民食もみんなみんな飲み込んでくれるアメリカの食事。ファストフードって短期的にはコスパ良いんだけど、長期的には医療費の増大につながるんだよね。

武井 彩佳『歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』:「歴史なんて勉強しても意味ないじゃん」という問いが立てられること自体が幸福なことであり、歴史が国民意識の宣揚と国家の存立を支えるものであるからこそ、歴史をないがしろにすることはできないのだ。この歴史を脅かすものに歴史修正主義や陰謀論があり、厄介なことにしばしば国家が正史として特定の歴史を恣意的に操作していたことがある、という点だ。だからこそ、歴史修正主義や陰謀論が世から途絶えることはないのだ。サブテーマとして、最近はやりのポリコレことポリティカル・コレクトネスについて、「半ば強制的に賛同を求めるありさま」と一刀両断しているのが草。

竹内 洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』:教養主義ってやつがかつてあって、旧制高校という制度とともに登場して、それらを否定しようとした全共闘時代に一緒に消えていった、という話。昔の本を読むと、20歳前後でドイツ語の話してたり英独仏露文学はこの程度読んでいて当たり前、みたいな描写があるアレですね。でもかなしいかな、もうそんな余裕は現代社会にはないんだよね。

武田 尚子『チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』:チョコレートの歴史。歴史は砂糖とか後述の茶とかの商品作物に注目すると面白く学べるよ。

角山 栄『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会』:室町時代に「日本茶ってSUGEEEEE」って言ってた外国人は、19世紀になると「日本茶? なんだ、紅茶以下の二級品か……」となっていったのが面白いです。21世紀になってようやく"Green Tea"が見直されるようになってきました。

中村 圭志『教養としての宗教入門―基礎から学べる信仰と文化』:宗教概論。日本人の言う「無宗教」とキリスト教圏・イスラーム圏の「無宗教」が決定的に違うことが明らかになる。だから向こうで「自分は無宗教で~す」なんて言うと、人間以下のゴミ虫扱いならまだマシ、最悪○されちゃうこともあるわけです。日本人がいくら無宗教と言っても、鳥居に立ちションはできないし、お地蔵さんを蹴っ飛ばしたりも絶対無理だし、御神輿は担ぐし葬式はようわからんお経だし結婚式で永遠の愛を誓ったりするんだ。日本人の無宗教の正体は、仏教と神道と儒教と道教のゆる~いミックス。

服部 正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』:リアルなろう系ノンフィクション。日銀職員がアフリカのよく分からない国に飛ばされて、しかも現地のアイディアを尊重しながら持続可能な発展を支えたというのが素晴らしい。この後に悲劇が訪れるとも知らず……。

萬代 悠『三井大坂両替店―銀行業の先駆け、その技術と挑戦』:18世紀には現代の銀行の信用調査に類することが行われていた。現代の与信は、資産状況とか企業の業績(つまり財務諸表ですね)を参考にされることが多いが、当時は人柄が良ければ与信が通ることもあったそうだ。しかし、その「人柄」というのはいわゆる「世間体」という意味でもあって、相互に「人柄」を監視し続ける、息が抜けない閉塞感・監視社会もまた江戸時代の大坂の一側面でもあった。ちなみに、本書の内容とは関係ないんですが、魚肥(いわしを干して肥料にするやつ)って、中学生の日本史で出てきたと思うんですけど、あれは一度畑の肥料として魚肥を使ってしまうと、魚肥なしでは生産性を維持できないような依存性が備わっていて、従って販売業者からするとかなりおいしい商売だったそうな。

馬部 隆弘『椿井文書―日本最大級の偽文書』:自分の地元の歴史的遺産の説明板とか、○○市史とかのベースが、昔の人が趣味で作った偽の歴史的史料だったとしたら……? という、「だったら郷土史って何を信じればいいの?」となってしまう、痛快な本。

メアリー・C・ブリントン『縛られる日本人―人口減少をもたらす「規範」を打ち破れるか』:育児休暇についての話なのだが、日本人男性は大体の人が育休取りたいのに「周りは取ってないからな……」と結局誰も育休が取れない、という多元的無知に陥ってしまっている、という指摘。同じ保育園に入れないんだったらそりゃ第2子を産み控えしちゃうし、さらに言えば女性の社会進出とか言っておきながら保活難民が大量発生してたらさ、そりゃ少子化改善なんて永遠に無理だよね。

矢野 久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』:『エルサレムのアイヒマン』で知られる彼女の人生を描く。全体主義というのがこの世界で最悪の概念である、ということが知れたのが2020年でしたね(嘆息)。

山室 信一『キメラ―満洲国の肖像』:特に東日本にずっと住んでいるとあまり実感がないのですが、そもそも社会や国家や人権というのは発明であり、生まれながらにして与えられるものではなく、何かのはずみで奪われてしまう、ということを満洲国は教えてくれます。

吉原 祥子『人口減少時代の土地問題―「所有者不明化」と相続、空き家、制度のゆくえ』:土地問題に関心を持つきっかけになった本。何年後か知らんが確実に一族の山(実家から車で数十分の山奥、境界線不明なので相続土地国庫帰属制度はもちろん使えない、価値無し)を相続するので、今から震えています。要らない土地を処分する方法が無いというか、積極的に相続or国庫に返還するインセンティブがないから放置安定なんだよね。

渡辺 正峰『脳の意識 機械の意識―脳神経科学の挑戦』:で、結局のところ「意識」って何なん?って本。サーモスタットにも意識はあるんじゃね?って大真面目に議論してて面白かった(意識=電気信号のやり取り、だとしたら)。幻肢痛の治療の話が興味深い。

講談社現代新書(計19冊)

特徴:三大新書の一角。ザ・玉石混交。名著から「え、こんなの出すの?」ってレベルまで幅広く、新書のサラダボウルになっているのが最大の魅力。スポーツ選手の新書も多く、とっつきやすいレーベル。

東 浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』:ゼロ年代ではあずまんは天才だったんだけど、もう忘れ去られてしまった人という感想があります。YouTuberやTikTok全盛となり、オタクが当たり前、というかZ世代も外国人もオタクに憧れる、という、ゼロ年代に迫害されていた身からすると信じられないような2024年に再評価されてもいい気はする。

泉谷 閑示『「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講』:本当の精神療法の本。昨今の精神科/心療内科の多くは、DSMやICDのような操作的診断基準に則って薬を盛ることしかできない。ところが、その症状の根本はどこから出ているのか? というところにアプローチしないと、この手の障害は永遠に治らない。そもそも、「治る」という語自体が罠であり、「寛解」というのは薬の出し入れに終始する現代精神医学の限界でもある。(双極性障害Ⅰ型や統合失調症ではない)現代の精神障害は、完治する。病前性格を根本から入れかえるところに寛解ではなく完治、rebornがあり、そういう意味では「治る」すなわちrepairというのは病前性格に戻る、という意味なのだ(だから、元に戻ると再発する。根本原因が解決されていないから)。そして、そもそも「普通がいい」といってもそれは限りなく理想に近い存在であり、大通りのメインストリームであり、実際には存在しない幻想である。

岩井 寛『森田療法』:私にとっての聖書。神経症で非常に苦しく、仕事を辞めようかと真剣に悩んでいたときに、祈る気持ちでこれを握りしめ南北線の通勤列車に揺られていたことを今でも思い出します。神経症に限らず、カウンセラーや精神科医にかかるという構造自体が「治療者―非治療者」というロールプレイであり、「治るのに時間がかかればかかるほど、治療者が金銭的に利得を得る」という仕組みになっていて、それに気づいた被治療者はしばしば治療者を逆恨みします。なのでカウンセラーや精神科医は、その仕組みに対して一定の答えを常に出せるようにしておく必要があります。本書は筆者自体が全身をガンに侵され命の灯が潰えようとしてもなお、生きる意味を求めて口述筆記で書かれたというところに価値があります。末期がんの病床にあってもなお、人は自分が生きる意味を求め続けることができるし、それは他人からの評価というものの外側にあります。

上野 修『スピノザの世界―神あるいは自然』:スピノザのことが大好きになってしまった本。世の中の有象無象の薄っぺらい自己啓発本・ビジネス書では絶対に到達できないところに、わずか200ページで届かせてしまうという素晴らしい本。自由意志というのはやっぱり存在せず、それがどうしてかを解説している好著かつスピノザの入門書という唯一無二の本。摂食障害の治療としても有効。

内山 節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』:1965年を境に、私たちはキツネにだまされなくなった。ところが、「昔はキツネがだますだなんてことがあったんだよ」という観点が、直線的な進歩主義的な歴史観に過ぎず、その代償として「身体性」や「自然(じねん)」といった歴史観は捨て去られてしまっている。知性が過剰に力を持ちすぎて、身体性が失われた時代がはじまったのが1965年ともいえる。

大川 弥生『「動かない」と人は病む――生活不活発病とは何か』:いわゆる廃用性萎縮・廃用性症候群の本。筆者は廃用という字面が悪いから生活不活発病という語を提案しているが、つまるところ体の機能って使わないとどんどん衰えていって、体力は無くなるしメンタルは弱くなるし、ってことなんだよね。お年寄りが怪我したらそこから早いってのとか、男性は退職して引きこもりがちになったら早いとか、いくらでも実例はあげられそう。やはり運動しかない!

川北 稔『イギリス近代史講義』:大学に入る前に読んだ本。確か、国立後期で奇跡の合格を果たしたころじゃなかったかな。先進国は「成長パラノイア」にさらされているので、いつかは登ってきた山をおりないといけないわけで。うまく衰退する方法、といったところでしょうか。高1の世界史の教員が、大学時代に「昔の日本を見たかったら東南アジアに、これからの日本を見たかったらヨーロッパに行け」と言われたらしいですが、それってつまり1980年代の話なので、2024年に至ってはどうなんでしょうね。

鬼界 彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えたー哲学的思考の全軌跡1912~1951』:新書の中でも最高峰級の厚み(小熊英二の話はやめないか)。大学2年の時に筆者の「言語哲学」の講義を受けながら読んだ本。特に後期ウィトゲンシュタイン、つまり『哲学探究』について。前期の『論理哲学論考』そして独我論を否定して彼がたどり着いたのは。

窪田 新之助『農協の闇(くらやみ)』:JAの自爆営業や苛烈なノルマといった、暗部を暴く本。手取りの1ヶ月分以上自爆営業させられるって尋常ではない。農家じゃなくてもJA会員になれるって言うか、むしろそっちの方が多いってのは、もうJAって存在意義を失っているのでは?

小杉 泰『イスラームとは何か―その宗教・社会・文化』:イスラーム入門書としてオススメ。イスラーム=過激派というイメージがマスメディアの影響で日本人には浸透してしまったが、よくよく考えると異端を息をするように迫害しまくって、ちょくちょく他宗教を攻撃してくるキリスト教よりよっぽど筋が通ってるのでは……? 私たちが西洋のキリスト教的価値観にどっぷり浸かっていることがわかる。

郷原 信郎『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』:高1の頃に読んだ本。「法令遵守」が優先され、その法令の妥当性については二の次になっていませんか?という話。まぁでも、この本を読んだ2009年は、まさかその15年後は新聞は青息吐息で、TVもかなり自爆で影響力を失っている、代わりにほとんどの国民が手のひらの板でインターネット接続してるとは思わなかっただろうね。2009年はまだほとんどみんなガラケーだったんだ。

佐伯 啓思『自由とは何か』:リベラリズム批判の本なんだけど、この本を読んだ高校生の時は、まだそういうのはよく分からなかったんだ。

高槻 泰郎『大坂堂島米市場 江戸幕府vs市場経済』:新書にハマるきっかけになった本。江戸時代の先物取引と信用による市場経済について描く。

たとえ蔵屋敷が全焼しようと、米切手と交換すべき米は必ず焼け残るという不思議な法則

高槻泰郎『大坂堂島米市場 江戸幕府vs市場経済』(講談社現代新書)

中井 浩一『正しく読み、深く考える 日本語論理トレーニング』:現代文の指導に使えそう。弁証法についても書いてあって、そういう意味では現代文教師ってのは日本文学ってよりは哲学とか法学出身の人がいい気がするんだよね。

中根 千枝『タテ社会の人間関係』:ベストセラー本。さすがの慧眼。ここ数年はだいぶ和らいできた(のと、自分がITという稼業をしているからだろうけど)、日本人あるあるの「場」、タテ関係が強固な共同体に所属していることに重きを置くという話。これ、何がすごいって1967年の本で、おそらく海外の人も読んでるってことなんですよね。海外のエリートの方が私たちより「日本人」を知っている可能性。

中屋敷 均『科学と非科学 その正体を探る』:科学万能主義に対するアンチテーゼ。非科学的というのは現代の異端宣告である一方、科学的というのはあくまでも現時点で判明している事実の総体にすぎない。科学における科学者とフォロワーの関係は、宗教における宗教者と信者の関係に似ている。欧米だと優れた科学者が熱心なキリスト教信徒というのは珍しい話ではない。だけど、日々の暮らしに追われる私たちは、TVやTwitterやネットニュースで専門家が言っていた託宣を無批判に信じてしまうし、権威主義に浸るのは楽で快適だからそれがやめられないんだよね。

野澤 千絵『老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路』:住宅問題について考えるきっかけになった一冊。スプロール開発とタワマンラッシュの問題点を指摘するもの。こういうのを読むと、湾岸のタワマンや郊外の戸建てを、数千万かけて買うことの虚しさを感じてしまいます。

橋爪 大三郎『はじめての言語ゲーム』:後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームの入門書。だけど社会学者なのでしばしば論が雑なところあり(終盤の国学とか仏教のくだりとか)。

米本 昌平,橳島 次郎,松原 洋子,市野川 容孝『優生学と人間社会』:昨今ホットになりつつある優生学について、客観的に見ていく。なんでも優生学イコールナチスとからめるのは短絡的であり、むしろ21世紀の現代でも出生前診断という形で、優生学が本来もっとも望んでいたスタイルで残っている。

ちくま新書(計11冊)

特徴:上記の岩波・中公・講談社現代の三大新書にちくまを足して四大新書とする説もある。学術的な内容が多いけど、中公新書ほど硬くない印象。とはいえ、過去最悪クラスのクズ本はちくまだったので、なんとも……。

池田 正行『食のリスクを問いなおす―BSEパニックの真実』:ゼロリスク探求症候群と医療におけるパターナリズム・専門家お任せ症候群について述べられてる。ゼロリスク探求症候群患者の特徴は、自分自身に正義があるという妄想(正義中毒)と、自分が差別や風評被害の加害者であることの失認にある。パニックになって専門家にお任せしても、その専門家自体が強権的だったらどうしますか? お任せします主義でやってきて、いざ問題が起こったら文句を言うのはどうしてですか? なぜ自分の身体のことなのに自分で勉強しようとしないのですか? という厳しい指摘。そして、ゼロリスク探求症候群のツケは、かならず社会全体が払うことになる。

小塩 隆士『高校生のための経済学入門[新版]』:ミクロ経済学もマクロ経済学も一冊で経済学の概略が一日もあれば分かってしまうありがたい入門書。「高校生のための」とあるが、実は想定読者は社会人。

加藤 重広『言語学講義 ─その起源と未来』:言語学既修者におすすめ。入門書を何冊か読んだけど次に何をしたらいいかわからない、あるいは2019年の現代言語学に頭の中をアップグレードするために良い。ソシュールとかいう、言語学概論にだけ出てくるけど、その後さっぱり出てこないおじさん。

久坂部 羊『医療幻想 ─「思い込み」が患者を殺す』:「どの命もすべて等しく尊い」というのは理想であるが、実際のところ延命治療が本人のQoLを下げ、社会保険料負担を更に上昇させて、社会全体が破綻してしまったら意味なくね?という話。名医は存在しないとか、専門医って医者の96%が何かしら持ってるから大して意味ないよとか、基準値を下げて病名を発明して製薬会社にCM流させないと、医者も製薬会社も潰れるという商売の話とかも書いてあるよ。

香西 秀信『論理病をなおす!―処方箋としての詭弁』:論理的思考というのがよく言われるのは、結局のところ私たちの頭が論理的思考に耐えられないからなのでは?ということから、逆に詭弁を学ぶことで詭弁に騙されやすいということが分かるんじゃないですか、という内容。あとがきの関口存男などの語学モンスターたちの話が面白い。

新谷 尚紀『神道入門 ─民俗伝承学から日本文化を読む』:何気なく無邪気に初詣とか厄除けとか行ってますけど、神道ってのは宗教なのか宗教じゃないのか微妙なラインの概念である。天皇による祭祀も神道だし、私たちの多くが素朴に心に秘める精霊信仰的なものも神道だし、あるいは吉田神道や江戸時代の思想家によるものも神道だし、はたまた私たちのご先祖様が小学校で拝礼させられていた国家神道も神道の一形態である。時代や国家体制によって「神道」はさまざまな形を帯びているため、正直なところ「神道って何?」という問いに答えるのは困難な試みなのだ。

土井 隆義『友だち地獄 ─「空気を読む」世代のサバイバル』:高校生の時にLINEが無くて本当に良かった、と思わせられる本。みんな「優し過ぎ」て忖度、配慮してくれるし、親も先生も友だちみたいにしてくれるけど、結局ボク/ワタシのことなんて何にもわかってくれないんだ。相互承認と低すぎる自己肯定感から、常に互いに「いいね!」をつけ合わないと生きていくこともできない脆弱な関係から成り立っている現代の若者と(私たち)。大人から見たら逃げればいいのに、と思っていても、彼らにとって集団からハブられることは社会的な死を意味するから、それ故に自ら人生に幕を引いてしまうのもためらわないのだ。スシペロやバカッターみたいな炎上の原因も書いてあるよ。大学時代に上の階で講義してました。

永井 均『ウィトゲンシュタイン入門』:高校時代はウィトゲンシュタインにかぶれていて、その割には前期の『論理哲学論考』の「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」とか「私の言語の限界が、私の世界の限界である」とか「梯子をのぼりきった者は梯子を投げ捨てなければならない」とかばかりそらんじている輩で、中期も後期も触れるのは大学に進んでからでした。今高校時代の感想を見返してみると、おそらくバランスが良い入門書のひとつなんでしょうきっと。

原田 実『オカルト化する日本の教育 ─江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』:江戸しぐさという偽史、更には親学というトンデモを文科省が「心のノート」でお墨付き、という悲しい私たちの公教育(≠公立学校での教育)を知れる。

横山 雅彦『高校生のための論理思考トレーニング』:「現代文の教師ってそもそも論理を教えられてなくないっすか?笑」みたいな挑戦状。論理というのは、そもそも「論証責任を果たす」という英語の心の習慣であり、その根本のルールを知っていないのに、形式段落とか論理的な読みとかやっても効果が薄いってワケ。

米山 公啓『医学は科学ではない』:EBMを絶叫して患者は見ずにパソコンばっか見てるお医者さんと、長期服用している薬の添付文書すら読まない患者におすすめ。科学ではないというのは再現性がないということであり、人体は唯一無二の存在だから厳密にはエビデンスというものは存在しないし、そもそも新薬や新しい治療法にエビデンスがあるわけがない(から大学病院は良くも悪くも実験台なのだ)。また、医師によるお墨付きという安心感が非精神科領域でも奏功することは多い。お医者さんに「ただの風邪ですから水分取ってゆっくり休んでくださいね」と言われるだけで、薬なしで治ってしまう、というのはよくある話であるし、器質的疾患でも同じことがあるのだ。

岩波ジュニア新書(計6冊)

特徴:隠れた実力派。各分野の俊英たちが中高生向けにわかりやすく書いているため、したがって社会人が入門として読むのにもおすすめ。ジュニア新書という名前なのに「なぁ? 本当にこれ中高生が読めると思ってんのか? あぁ?」みたいな、ジュニアじゃないジュニア新書が稀によくある

池上 俊一『パスタでたどるイタリア史』:食べ物と言語が国家形成・アイデンティティの醸成には不可欠だ、ということが分かる良書。日本人だと馴染みが無い人が多いけど、高校世界史でもやるとおり、イタリアって19世紀になってようやく統一されて今の姿になったんだよね(イタリア統一運動)。

池上 俊一『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』:1人1冊ルールだけど池上氏だけは例外で(すまぬ)。大人向けジュニア新書で、2冊で分かる世界史通史である。本書を読むと、ヨーロッパ世界を知るには言語、そして宗教=キリスト教を知ることが不可欠である。また、21世紀の社会運動のベースにあるのが、実はうっすらとヨーロッパには非ヨーロッパに抱く差別感情であり、その反動が昨今の運動である、というのが面白い。

江川 紹子『「カルト」はすぐ隣に: オウムに引き寄せられた若者たち』:オウムの標的になったことすらあるフリージャーナリストの本。教団幹部の死刑囚たちは、最初は極悪人ではなく、私たちと同じ「普通の若者」だった。それを殺人マシーンに変えてしまうのがカルトの恐ろしいところであり、個人の意志で脱出することは絶対に不可能だ。だから、違和感を覚えた時点で何が何でも逃れる必要がある。カルトは私たちの心の隙間に付け込んでくる。大学に入る前に読もう。

遅塚 忠躬『フランス革命: 歴史における劇薬』:フランス革命の社会的意義について述べた良著。高校生から読める。単純な「労働者が貴族を倒した!」という話ではない、というのがわかる。

真山 仁『“正しい”を疑え!』:かつて正義中毒だった私が読むと胸が痛くなる。正義中毒者も自粛警察も根本にあるのは不安だからで、その不安は大体SNSから来ている。情報を見る時は何を伝えて「いない」のか、何を隠そうとしているのかに着目しよう。正解依存症は危険だ。なぜなら、世の中における正しさというのは常に移り変わるものだからだ。

山我 哲雄『キリスト教入門』:キリスト教学としてのキリスト教入門である。キリスト教を学ばないと英米文学も英米史もさっぱり歯が立たず、そういう意味でキリスト教を知ることには意義があるのだ。ルターが現代世界に及ぼした影響の大きさがわかるよ。

講談社ブルーバックス

なし

中公新書ラクレ(計1冊)

特徴:中公新書のやわらかい版。中公新書は学者先生が書いた学術的な内容が多いので、それよりは社会問題とかよりマイルドな話が多い。

村松秀『論文捏造』:何につけてもエビデンス・エビデンスと連呼する人に「それ、捏造だったらどうします?」と聞きたくなっちゃう本。NatureとかScienceに載ってるから正しい!な~んてのは権威主義の最たるものである。だってNatureの編集人が「別にウチの雑誌に載ってることが正しさを担保してるわけじゃないですしおすし」と明言しちゃってるんだもんね。また、捏造を指摘するというのは『椿井文書』でもあった通り、労力がめちゃくちゃかかるのに実績にはならないから、誰もやりたがらない。科学者が職業となった現代の弱点のひとつであろう。闇が深いのは、本書で取り上げられているのは「再試が可能だから捏造は起きません!(キリッ」の物理学での捏造だから、製薬会社の献金オンパレードのバイオ・医学研究は……。

新潮新書(計7冊)

特徴:文春よりは上品だが、うっすい内容のものも多い。『ケーキの切れない非行少年』と『スマホ脳』がバカ売れしたせいか、2匹目のどじょうを積極的に狙いに行っている。

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』:新潮新書の大・大・大ヒット作。端的に書くとスマホは手元の中にあるスロットマシーンであり、スクリーンタイムが増えれば増えるほど、GAFAはじめビッグ・テックは収益を得られる。無料で使えるってことはその分養分になっているというわけであり、「スマホやめますか?それとも人間やめますか?」になっている。ちなみに、昨今急増している精神疾患の原因の一つが、スマホをはじめとするデバイス依存・あるいはSNS依存であることは周知の事実だったりする。

アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』:ドーパミン受容体がぶっ壊れている私たち。物質的に非常に豊かで、望めばいくらでも欲しい刺激が得られる私たちは、それ故にドーパミンの過剰分泌による心身の不調に苦しんでいる。ドーパミンの前には意志なんてものは無力だ。快楽漬けの私たちは、ある意味では有史以来最も不幸な存在な、ディストピアに生きる存在なのかもしれない。

磯田 道史『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』:テレビや新聞でおなじみの磯田先生。さすがに面白い。堺雅人主演で映画化。江戸時代になると刀ではなく算盤で出世するのがメインだったんだろう。武士が縁戚関係を維持するためのコストは、想像以上に高かった。これは武士は見栄っ張りという単純な話ではなく、いざという時の資金調達先として縁戚が考えられていたため、いわば非常時のための相互保障制度だったのだ(現代みたいに公的保険も民間保険もありませんからね)。

烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』:マスメディアだからといって正しいということもない世の中だから、情報の真贋の見極め方をお教えしますよ、という本。フォロワー数が多くていいね!が数万だからって正確な意見ではありませんよ、ということも書いてあります。また、単純化した意見に引き寄せられやすいのは、私たちが矛盾に満ちた存在であり、多様性とか複雑性とかを耐えがたく思うから。

松浦壮『宇宙を動かす力は何か 日常から観る物理の話』:重力の話から相対性理論まで。文系の数式アレルギーの皆様もどうぞ。

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』:いわゆるベストセラー本。認知の歪みってやつが世界を正しくとらえられない原因なので、そこをトレーニングしていくと状況が改善しますよ、って話。机上の空論ではなく実践家としての提言。

村上智彦『医療にたかるな』:地域医療が破綻するのは、実は現地住民が義務を果たさず権利ばかり主張しているからだったりしますよ、という話。筆者は夕張の診療所長で、マスメディアでは悲劇的に描かれがちだが、実態を見るとあまりにもひどいガバガバ運営だった。過去の栄光にどっぷりつかって、いちばんよかったころの水準(家賃光熱費医療費全部タダ、映画館もタダ)を借金漬けで維持しようとしていたのです。破綻して国からの補助金を市職員の退職金に横流しってやべーよね。

文春新書(計4冊)

特徴:文春砲がすっかり世に知られるようになった2020年代ですが、新書の方はおとなしいです。四大新書よりライトで時事ネタ多め。

磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』:お茶っ葉を甘辛く炒めたお茶請けに興味あり。英国貴族の嗜好品が労働者の必需品になり、そして今ではスーパーで100個入り数百円で買えるようになった変遷を考えると面白い。

内田樹『寝ながら学べる構造主義』:文学部に行っていかにも思わせぶりに「」(かっこがき)を多用して言語とか思想とか語りたくなっちゃう本なので、中高生に読ませてはいけません。私は大学に入ってから読んだので、致命傷で済みました(?)。

岡田 尊司『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』:インターネットやスマホの恐ろしいところは、電車待ちの時間でもトイレの中でもベッドの中でもできてしまい、気力体力を完全に使い果たすまでやり続けられてしまうところにある。そりゃ依存や中毒にもなるよね。本書内で登場する眼科医アンドルーのように、「真の底つき体験」をして、人生がめちゃくちゃにならないと本気になれないというのが、このネット依存・スマホ依存・ゲーム依存の戦慄すべき点だ。しかしながら、筆者は患者に病識があれば治療の半分は既に済んでおり、重度の依存でもそこから脱し続ければ回復の見込みはある、としている。まぁまぁハードな事例も出てくるが、ネット依存・スマホ依存をやめるために何度も何度も繰り返し読みました。

やはり、
脳が壊れていた!
「デジタル・ヘロイン」
全情報。

岡田 尊司『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』(文春新書)

安田峰俊『性と欲望の中国』:普通にエロ本なので18禁です。3000万人男余りって、さすがにスケールが違うな。

光文社新書(計8冊)

特徴:人生で初めて買った新書が、小3の時イオンモールで買った山田真哉『さおだけ屋はなぜつぶれないのか?』なので、思い出深いです。社会問題とか医療とかビジネス書が多い。

今井 伸『射精道』:男性向けの性教育というは実は手薄で、「男は放っておいてもなんとかなるやろw」だからこそ、性暴力のような悲しい事件や男性由来の不妊や膣内射精障害に至るのである。ネットポルノの見すぎが及ぼす障害について、泌尿器科医もついに認識しだした、ということに価値がある。

稲田 豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』:本書を読んで早送り派と等速派で議論したら楽しそうだ。安易な若者批判ではなく、NetflixやAmazon Prime Videoなど、手のひらの薄い板で一生見切れないほどの作品があって、常に新作が投入されるんだから、そりゃ早送りしないと話題について行けないよね。みんなスマホにTSUTAYA大型店入ってるみたいなものなんだもん。

内田 良『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』:組体操とか部活動とか2分の1成人式とかの「感動ポルノ」で子どもも先生も苦しみ、保護者だけがそれを見て嬉々として喜んでる、という構図を描くものです。「保護者の皆さん、教育を「サービス」だと思って、受益者として学校に丸投げしてるんじゃないんですか?」という本。ちなみに筆者は部活の後輩の指導教員。

大平 万里『「代謝」がわかれば身体がわかる』:あなたがデブなのは糖質の過剰摂取が原因ですよ、という本。タンパク質=幹部候補生、脂質=一般社員、糖質=契約社員、ビタミンミネラル=専門職、毒=不良社員で例えられており、そう考えると現代の私たちのカラダ株式会社は、慢性的な幹部候補生・専門職不足で、契約社員でかろうじて業務を回している自転車操業ともいえる。

佐藤 健太郎『「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる』:2020年に狂ったように特定のリスクのみを主張する人たちを見て読んだ本。あるリスクAがあったとして(このリスクAはご自身で置き換えてください)、そのリスクを過度に恐れて多大なコストをかけてリスクAを減らしたとしても、別のリスクB,C,D...が現れてきて、トータルのリスクは元々のリスクAを超えてしまうことがあるのではありませんか?(コスト込みだともっと上回る)という内容。交通事故を恐れて自宅に引きこもっていても、(資産家や年金生活者とかでもない限り)生活の糧が得られなかったり運動不足や交流不足で心身の健康を損ねたりするわけです。リスクをゼロにしろ! とえらい人たちに下々がわめいたところで、結局のところそのコストはすべて自分たちに跳ね返ってきます。

夏井 睦『患者よ、医者から逃げろ その手術、本当に必要ですか?』:いわゆる火傷治療の標準治療が非科学的であり、消毒も実は「なんとなく」やっているだけだったりする。「傷に消毒液が染みているから効いている」のではなく、本来の皮膚や組織も同時に殺しているからしみるのだ。標準治療やガイドラインというのが常に正しいということではなく、実はそこには企みがあったりする。そもそも、EBMなんて言っても、そのエビデンスを作ろうとしている治療行為のエビデンスがあるはずがないではないか、という指摘も。

久松 達央『農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ』:かわいそうな農家というのは虚像であり、実際は補助金じゃぶじゃぶで生きているという側面もある。農業は大資本が必ず勝つようにできているゲームであり、その中で中小企業が生き残るには?という観点が持てる。ちなみに、有機農法推しの農家が失敗する原因についても述べられている。端的に書くと客層が悪い(うるさがたが多い)ので、常に主張が先鋭化しやすく売り上げが先細りになりがち、という致命的な弱点がある。

藤田 紘一郎『手を洗いすぎてはいけない 超清潔志向が人類を滅ぼす』:過剰に手を洗う、消毒・除菌することで、私たちの免疫力はどんどん弱まり、私たちの社会はいわば巨大な無菌室を志向しているようだ。ただ、その病的な消毒・除菌が有益な菌までも押し流してしまって、逆に有毒な菌を増やしてしまう、という皮肉な構造がある。つまり、良かれと思ってやっている消毒・除菌が、かえって問題を悪化させてしまっているのだ!私のようなアレルギーも花粉症も、消毒・除菌が過剰に行われているところに原因があり、空気清浄機なんてのは穴を掘って埋めている、の最たるものなのかもね。

朝日新書(計2冊)

特徴:新聞の方は「……」って感じですけど、新書の方はなかなかいい本が多い。学生さんよりも社会人向けの内容がメイン。

朝日新聞取材班『負動産時代 マイナス価格となる家と土地』:人口が減ってるのに住宅価格が上がってるってやっぱりおかしいし、「建築コストが~」とか「海外投資家の資金流入が~」ってのも結局実需と乖離しすぎたらはじけるよね。区分所有ってやつ、そもそも欠陥もいいところなのでは?というのがイヤになるほど分かる本。それ以上に地方のゴミ土地・クズ土地の相続問題が既に社会問題になっており、更に状況は悪化していくだろう。家を買う前の人にこの本をあげて縁を切られよう!

山崎 元,水瀬 ケンイチ『【全面改訂 第3版】ほったらかし投資術』:eMAXIS Slim 米国株式(S&P500)派だった私がオルカン派(eMAXIS Slim 全世界株式)になったきっかけの本。「長期・分散・低コスト」をなんべんも唱え続けましょう。また、山崎元氏の他の書籍を読むきっかけにもなった。でも、山崎氏とこんなに早くお別れするとは思わなかったよ。とても残念でなりません。

集英社新書(計2冊)

特徴:伏兵。姜尚中『悩む力』や斎藤幸平『人新世の『資本論』』など、大ヒットをしばしば出してくるが、それ以外の影が薄い。

酒井 敏『カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色』:京大の先生がSDGsの欺瞞的な構造を指摘している。陰謀論とかそういうのではなく、あくまでもSDGsはヨーロッパ由来の流行りものであり、だからこそストローは紙なのにカップはプラスチックとか、レジ袋がもらえないからわざわざダイソーでゴミ袋を買う、みたいなお笑いが生じている。みんなが同じ方向を向いている集団や社会は危険である。なぜならもしその方向が間違いだったら全滅だからだ。EVも欧州車が日本車に勝てないから生み出されたルール設定だったりするんだよね。

レジ―『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』:ファスト教養について批判する本であり、ファスト教養論者である中田敦彦やDaigoやホリエモンのような極端な個人自由主義者に不足しているのは「公共性」という指摘は慧眼。本書の良さはカビの生えた教養に回帰せよ!というおじいちゃんの絶叫ではなく、ファスト教養論者の書物にも読むに堪えるものはある、としている点。つまり黄金の中庸(Aurea Mediocritas.)、ということであり、ランダム性と失敗を繰り返すことが、真に教養的な人格を育てるのだ。

幻冬舎新書(計2冊)

特徴:アグレッシブに社会問題を取り扱っていく攻めの姿勢の版元(出版社)なので、結構イケイケな内容が多いです。黄色いカバーが目を引きます。

國分 功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』:地方公務員になりたい人におすすめの本。議会制民主主義というのは地方自治体では実は機能しておらず、行政がすべて決めちゃってるんじゃないですか?という内容。

森田 洋之『日本の医療の不都合な真実 コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側』:「ヒトはいつか死ぬ」し「高齢者はそもそも死にやすい」のに、保険診療でじゃぶじゃぶ金使い過ぎなんじゃないですか? という本。保険診療なのに民間病院の医療従事者の応召義務がないのはおかしいですよね、という話もある。お医者さんってお勉強はできるけど、経済が止まったらその保険診療ってやつを支える人も飛ぶってことが分かってない、まるでお金がどこかから無限に湧いてくるって思っている人が結構いるよね。これは教員や公務員もそうですけど。

角川新書(計1冊)

特徴:出版社の規模の割には影が薄い。あんまりやる気ないんかな?

キャサリン・プライス『スマホ断ち 30日でスマホ依存から抜け出す方法』:スマホ断ちの理論と実践について。もはや生活に不可欠で、これがないと社会生活で不利益を被ることが多いデバイスになりつつあるのに依存性が高いというのがスマホの厄介なところである。実践的な内容であり、まずはこれから読んでもよいだろう。それにしても、スクリーンタイムなかなか減りませんね。

PHP新書(計1冊)

特徴:ダークホース。やや右寄り傾向があるが、たまにどデカい大ヒットを飛ばす。

太田 肇『同調圧力の正体』:現代版『「空気」の研究』である。この「空気」(airではなくatmosphereの方が近いが、もっと強制力があるもの。同調圧力とも言い換えられるかもしれない。しかしその強制する主体は目に見えない)を共同体主義と位置付けており、結局かつての村八分がSNS八分になっただけである。そこに正義という概念が拍車をかける。正義のお墨付きがあれば(スシペロやら不倫やら脚本家やら)、たとえその人が自分の人生に直接は1ミリも関係ない人間でも、私たちは正義の名のもとにその人を心行くまでボコボコに公開リンチできる。おお、こわいこわい。

ソフトバンク新書

なし

宝島社新書

なし

インターナショナル新書(計1冊)

澁川 祐子『味なニッポン戦後史』:うま味・塩味・甘味・酸味・苦味・辛味・ニューカマーである脂肪味について、私たちの戦後の味覚がどう変遷していったのかを見ていく。味の素の白い粉はもう見なくなったけど、その代わりにラーメン屋や町中華ではふんだんに使ってるし、めんつゆや顆粒だしにはその白い粉と同じ成分が入ってます。

NHK出版新書(計1冊)

特徴:ハズレが少ない。山椒は小粒でもぴりりと辛い、を地で行くレーベル。

仲正 昌樹『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』:この世界で最悪なものが全体主義であることがわかる本です。全体主義の恐ろしいのは、究極的にはその人間(たち)が生きていた痕跡すら消去してしまう点であり、全体主義の芽は私たちが無自覚に持っている、という点です。「そんなことはないよ!」という方はとてもしあわせな方々です。不景気になったり社会に閉塞感が漂い始めると、大衆たる私たちは安直な善悪二元論とか分かりやすいイデオロギー(ワンフレーズ・ポリティクスとか)とかに飛びついてしまいます。その帰結が「○○さえいなくなれば私たちの暮らしは良くなる!」からの絶滅収容所です。

扶桑社新書(計1冊)

特徴:嫌韓保守のみなさまが定期的に出しているということで、極端な右寄りのレーベル。どぎついオレンジのカバーが目を引く。

坂爪真吾『孤独とセックス』:こじらせ男子高校生(つまり私のことですが)におすすめしたい。数多くの相手と関係を持つことは虚しい。なぜならば、それは他者によって立てられた問いに答えさせられ続けることだから、真に自分自身に向き合ってないのだ。問いは自分自身によって立てられなければならない。

「東大とセックスしてやったぜ! どうだ!!」

坂爪真吾『孤独とセックス』(扶桑社新書)

感想

文学部で言語学(日本語の文法)・大学院で国語教育をやっていたこともあって、哲学・言語・歴史・経済の本が多かったですね。
自然科学の本、特にブルーバックスは多少読んだのですが、全然なかったです。
一方医療問題については、2020年頃から急激に関心を持つようになったので、ちらほら100選にもランクインしています。
また、農業や食にも2021年以降関心を持つようになり、積極的にランクインしています。

どのくらい新書読んだの?

100選を選ぶためには、その3倍は読む必要がありました。ということで、新書は300冊以上、足掛け4年半ほどかかりました。
仮にすべて紙の新刊で購入すると、2024年8月2日現在93,733円だそうです。もっとも、2024年現在絶版になっているもの・Kindle版でしか入手できないものもあります。ちなみに9割前後を図書館や他の方から借りて読んでいます。残りは新刊を購入、あるいは古書店で入手しています。

新書10選

この中から更に10冊に絞れ、と言われたら、以下を選びます。無人島に一冊だけ持って行っていいと言われたら、『禅と日本文化』かな。

  • 鈴木 大拙『禅と日本文化』(岩波新書)

  • 服部 正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』(中公新書)

  • 山室 信一『キメラ: 満洲国の肖像』(中公新書)

  • 岩井 寛『森田療法』(講談社現代新書)

  • 上野 修『スピノザの世界―神あるいは自然』(講談社現代新書)

  • 高槻 泰郎『大坂堂島米市場 江戸幕府vs市場経済』(講談社現代新書)

  • 遅塚 忠躬『フランス革命: 歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)

  • 内田 樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)

  • 佐藤 健太郎『「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる』(光文社新書)

  • 仲正 昌樹『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)

2024年版ってことは続編があるの?

これからも新書を読んでいきますので、また数年後に「sakurabarの新書100選(20XX年版)」が出るかもしれません。

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