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【ショートショート】麦茶とティラミスとあの頃のハサミ

 スーパーでやんややんやと買い込み、ぱんぱんに膨らんだエコバッグを両手に、肩で実家のドアを開ける。重い旨を何度も口にしながらキッチンへど運び、ようやくの重さからの解放に全身が歓喜した。
 そして歓喜するや否や、思い出したように喉の渇き。なるほどこれは耐えられん。さっとシンクの水道で洗った手を食器棚に伸ばす。とにかく喉が渇いたと大きなガラスのコップを掴み、がばっと冷蔵庫の扉を開ける。
 ひんやり冷たい薄茶色が、「俺の出番だろ?」と言った気がした。

「あーーっ、うまー!」

 大きなコップに並々注がれた麦茶を一気に半分程、喉に流し込む。冷たさと、香ばしいながらも癖のない味が水分を欲していた体を満たしていった。最早テーマパークかと錯覚するような休日のスーパーの人混みと、立夏も過ぎた季節に揉まれた体に麦茶が染み渡る。
 やはり実家のやかんで沸かした麦茶が一番うまいと思いながらもう一口。単なる麦茶。されど麦茶。幼い頃から慣れ親しんだこの味は恐らくDNAレベルで旨味を刻まれているだろう。

 そう麦茶の旨味を再確認しつつ、エコバッグの中身を取り出す。冷蔵品は冷蔵庫にぽいぽいと仕舞い込み、合間に麦茶をごくごくと嗜む。そしてようやく片付けが終わった頃、エコバッグの底で悲しげに転がっていたティラミスのカップを発見し、「あっ」と声を漏らした。
 家に戻ってから食べようと思っていたが、完全に存在を忘れていた。そのせいでエコバッグの中では随分と揉まれたのだろう。カップの中身は色味で辛うじてティラミスと判断がつくレベルにぐちゃぐちゃだ。

「仕方ない……そう言う日もあるさ……トゥモアナトゥモアナ……」

 仕方がないと自分に言い聞かせつつ、時計を確認。晩ご飯を作り始めるまでまだ余裕はある。食器棚から適当なスプーンを取り出し、ティラミスへの謝罪を込めながら食べる事を決めた。蓋を開けようと、蓋とカップを繋ぐラベルを剥がす。
 だがしかしこれがなかなか剥がれない。エコバッグの中で揉まれても平気だった猛者だ。その粘着力は簡単に剥がせるエコなラベルの比ではなかった。これは剥がそうと奮闘するだけ時間の無駄である。ここは大人しく文明の利器・ハサミにヘルプを願うのが最善。

 だと思われたがハサミが見つからない。衝撃の事実だがこのキッチン、ハサミがない。まさか全てを包丁で済ませているのかと想像しながら、引き出しを開けては閉め開けては閉めを繰り返す。見つからない。ハサミのハの字もない。
 ティラミスひとつの為にハサミにヘルプを願う為に、まずはリビングでテレビを見る母にヘルプを願う必要があるようだ。

「お母さんー、ハサミどこー?」
「そっちにない?」
「ないー!」
「ハサミ、ハサミ……確かこの辺に……」

 発見の一声が聞こえてすぐにキッチンにひょこりと顔を出す母。その母からはいと差し出されたハサミを受け取って、思わず驚いた。
 鮮やかな黄色の持ち手に付いた名札。ひらがなで書かれた私の名前。「かみちゃたに りか」の文字。それから察するに恐らく幼稚園か小学校低学年の頃のものが、今この手にある。まるで時を駆けてきたようなその存在に驚きつつも、とりあえずラベルを切って蓋とカップを引き離し、リビングに戻ろうとしていた母に声をかけた。

「お母さん、このハサミいつのやつ?」
「確か梨香が幼稚園の頃のだったかなあ」
「お母さんマジで物持ち良過ぎる」
「特技の一個だからね」

 何その特技。得意げな母の顔にそう呟いた瞬間、がちゃりと玄関から良い肉担当の兄の声。それを聞いて今年も滞りなく母の日が開催出来ると安心し、急いでティラミスを口に放り込んだ。



麦茶がおいしい季節になりました。



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