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小説

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#恋愛

桜流し

「あなたへの好きをとっておくことなんて、できないから」

涙香(るいか)はそういって、寂しそうに笑った。
鼻をつく春の風は、甘ったるくて切なくて。
桜流しで湿ったアスファルト。遠くから聞こえる、電車の音。
逃げ出したいと切に願っていたこの町が、今日はなんだか少しだけ、愛おしく感じた。

「私が好きなもの先に食べるタイプだって、糸雨(しう)は知ってるでしょ?」

地面を弄ぶ、涙香の白茶けたコンバース

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夏祭り 上

湿り気を帯びた生暖かい夜空に、三色の火花が舞い散る。周りの観客たちから歓声が上がる。蒸し暑いせいか、観客たちの歓声もどことなくやる気のないような印象を帯びている。
「おお。はーと」
隣で阿賀野さんが気のない歓声を上げる。立て続けに花火が上がり、その光に照らされた阿賀野さんや他の観客たちの顔は興奮しているように見え、だから余計に彼女達からあがる気の抜けた歓声が少しおかしかった。
周りの観客のほとんど

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夏祭り 下

私に声をかけてきたのは、阿賀野さんだった。信じられなかったのも無理はない。阿賀野さんの声は知っていても、その声が私に向かってかけられる言葉を発したことは一度だってなかったし、これからもないと思っていたから。それに一切の接点のない阿賀野さんが、私の名前を知ってること自体、意味が分からなかった。阿賀野さんは私に声をかけたあと、不思議そうな顔をしながら私の事を見つめていた。
「あ、あの、どうして?」

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【絵から小説】輪郭

【絵から小説】輪郭

こちらの作品は、清世@会いに行く画家様の企画「絵から小説」に参加しております。

私の輪郭は酷く曖昧でつかみどころがない。だから常に他人の輪郭と混ざり合って、うっかりすると完全に溶け合ってしまいそうで。そうなったらいよいよ私という存在はこの世から消えてしまうと思うから、だからなんとか踏ん張って私らしさにしがみつこうと思ってみるけど、私らしさなんてそもそも持ち合わせてないようで。でもそんなこと認めて

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教室

秋の西日は、肌を刺すように強烈な夏のそれとは違って、小さなころ幼馴染のお姉さんに頭を撫でられた時みたいに、ちょっとこそばゆいような優しさをはらんでいて。だから私は、この時期の西日が差し込む放課後の教室が好きだ。こうして人がいなくなるまで荷物をまとめるふりをして適当にやり過ごす。そうしているうちに人がいなくなった教室の、開いた窓から流れる風が鼻先をかすめて、夏の香りをちょっとだけ残しつつも、確実に冬

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