夏祭り 下

私に声をかけてきたのは、阿賀野さんだった。信じられなかったのも無理はない。阿賀野さんの声は知っていても、その声が私に向かってかけられる言葉を発したことは一度だってなかったし、これからもないと思っていたから。それに一切の接点のない阿賀野さんが、私の名前を知ってること自体、意味が分からなかった。阿賀野さんは私に声をかけたあと、不思議そうな顔をしながら私の事を見つめていた。
「あ、あの、どうして?」
「何が?」
「なんで私の事…」
「ああごめんごめん。律子たちから聞いてたから。修学旅行、あの子たちと同じ班だったんでしょ?」
阿賀野さんが言うには、彼女は律子ちゃんの中学時代からの友達だったらしい。律子ちゃんと同じ部活に所属してた阿賀野さんは、だから必然的に佑香ちゃんとも友達になった。あの二人と阿賀野さんにそんな接点があったなんて知らなかった。二人から聞いたとはいえ、阿賀野さんが私の顔を知ってくれていて、名前まで覚えてくれていたことが嬉しかった半面、私は本当にあの二人の事を何にも知らないんだな、なんて事実をさらに突きつけられて、私は驚きと緊張ともやもやで破裂寸前だった。
「律子たちと来たの?」
「え?あ、はい…」
「二人は?」
「ゆ、佑香ちゃん迷っちゃったみたいで、律子ちゃんが迎えに行ってます」
「ふーん。隣いい?」
阿賀野さんはそう言うと、私の返答を待たずに隣に腰掛けてきた。あれほど憧れていた阿賀野さんが、肩が触れるほどの距離にいることに軽くパニックを起こしながらも、彼女の髪の間からちらと覗く真白な耳の先で控えめに輝く小さなピアスを可愛いなと思えるような冷静な自分もいることに驚いた。阿賀野さんはさも当然のように私の隣に座り、スマホをいじりはじめた。そのあまりの距離感の近さにびっくりしたけれど、こんな形とは言え阿賀野さんのそばにいられるのは嬉しかった。彼女は浴衣を着ていた。私の中の勝手なイメージで、彼女はなんとなく浴衣とか着なさそうなイメージだったし、何より夏祭りに来るような印象ではなかったから、そのギャップに勝手に驚きながらも、彼女が私と同じようにこの会場に来て、夏祭りを楽しんでいることがとてもうれしかった。間近でみる彼女はとても綺麗だった。整った顔立ちにはシンプルなメイクが施されていて、長く伸びた茶色の髪をポニーテールでまとめ上げていた。そのおかげであらわになったうなじは透きとおるほどに真っ白で、お祭りのビビットな電飾を吸い込んでぼんやりと輝いていた。
「能代さん、チョコバナナ派?パイン派?」
「へ?」
阿賀野さんに見惚れていた私は、急にスマホから目を離しこちらを向いた彼女に驚いたけれど、同時にやっぱり私の印象とはかけ離れたセリフが阿賀野さんの口から発せられたことが少しおかしくて、そうして胸がぎゅっと締め付けられた。
「えっと、私はパイン派です」
「だよね、私も。買いそびれちゃってさ。買いに行かない?」
阿賀野さんに突然誘われ、しどろもどろしていると、ドンッという大きな音と共にあたり一面が一気に明るくなった。その一回が合図になったかのように、和太鼓みたいな音が立て続けに地面を揺らし始めた。
「はじまっちゃったね」
立ち上がっていた阿賀野さんは少し困ったように眉をへの字に曲げながら私に微笑むと、ま、いっか、なんていいながらベンチに座り直した。
冷静に考えてみると、この状況はとてもじゃないけど耐えられるものじゃなかった。ずっと憧れていた、でも決して触れることの出来ない存在が、いま私の隣で、ちょっとすると肩が触れてしまいそうなほどの距離で、まるで最初から二人でここに来たのだと言わんばかりに自然に花火を楽しんでいる。私の心臓は痛いくらいに脈打って、でもその痛みはとっても心地よかった。花火の音はどんどん激しさを増し、空に打ちあがる花火たちはここぞとばかりに空を自分たちの色に染めていく。規則的に続く爆発音と色彩豊かな明滅は私の心の暗い感情を徐々に和らげていった。隣に座る阿賀野さんは、時々気のない歓声を上げながら、それでも全身で花火を楽しんでいた。ふと香る硝煙の香りは私の脳を溶かしていった。次第に周囲の輪郭はあやふやになっていって、何だかすべてがどうでもよくなるような感覚に襲われたけれど、それはとっても心地よくて、私はそんな柔らかな倦怠感に全身をゆだねることにした。


「私さ、ふられちゃったんだよね」
脈絡なく阿賀野さんの口から放たれた言葉は、まるで夢の中のようにふわふわで、溶けだしそうなほどの心地よさの中で空を見上げていた私の心に、大きな影を落とした。その影は見る見るうちに形を変え、あの時橋の上で見た金髪の女の子へと姿を変えていった。それでも彼女からその言葉を聞いたとき、私の心を最初によぎったのは、なんでそんなことを私に言うのって困惑でもなければ、ほんの少し前まで阿賀野さんの恋人だったであろうあの女の子への嫉妬でもなかった。私の心を最初に駆け巡ったのは、何の根拠もない、そうしてとても醜い、喜びだった。
「そ、そうなんですね…」
「続かないんだよね~、私」
「はあ」
はあ、なんて間抜けな返答しかできない自分を今ここで殺してしまいたかった。かといって阿賀野さんに何か言うなんて、私ごときがおこがましいことのように思った。
「私がいる必要性ないよね、だって」
「あの、金髪の方ですか?」
そんなことないです、なんて言葉が口から出かかったけど、そんなことないって、私は阿賀野さんの何を知ってるんだろうなんて思ってしまって、だから必死に飲みこんだ『そんなことないです』の代わりに咄嗟に出したその言葉に少し驚いたような顔を見せた阿賀野さんを見て、しまったと思ったけど、もうどうしたって取り返しはつかなかった。
「見てた?」
「あ、いえ、あの、遠目から一緒に居るところをみただけで、あの……。すみません」
「別に謝らなくても。あんなとこだったしね。人前で堂々とふられたのは中々に堪えたけど」
そう言うと阿賀野さんは困ったように、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。そんな彼女の表情が、不謹慎だけど、とても愛おしく思えた。
「私、映画好きなんだ」
「映画?」
「うん。ニコラス・ウィンディング・レフンとかラース・フォン・トリアーって知ってる?あとはギャスパー・ノエとか!」
「ぜ、全然」
「そっか。『ネオンデーモン』とか『奇跡の海』って映画、知らない?ノエは最近クライマックスって新作出して少し話題になってたけど」
さっきまでの間延びした声とは打って変わって、阿賀野さんの言葉が熱を帯び始める。
「ご、ごめんなさい…」
「だから謝らなくていいって。私が特に好きな三人でさ。レフンは『ドライブ』って作品が有名なんだけど、彼の映画はストーリーももちろんだけど、色彩感覚がとにかく最高なの。ものすごくビビットで、普通ならみててすぐ疲れちゃうような配色なんだけどね、彼が作る映画は不思議と色同士が喧嘩してなくてさ、原色ばっかで激しい映像なのになぜか調和がとれてるんだよね。色彩感覚の良さで言ったらダリオ・アルジェントって監督の『サスペリア』ってホラー映画があって、あれもすごくてさ。特に大きなホールに生徒全員が寝泊まりするときのシーンの照明がほんと綺麗でね」
阿賀野さんはこちらまで息苦しくなるほどに矢継ぎ早に聞いたことのない映画監督の名前やら作品名を羅列し始めた。今の阿賀野さんはまるで子供の様で、目には今までなかったような輝きがともっていた。
「トリアーはストーリーのテーマ性とか組み立て方がすごく好きで、結構実験的な映画も撮っててさあ。特に好きなのは『奇跡の海』で、ああでも『アンチクライスト』も『メランコリア』も『ニンフォマニアック』も捨てがたいなあ。『ドッグヴィル』って映画なんて、セットの町全体が床に書かれた絵だけで表現されててね…」
まずいとは思ったけど、ついに我慢が出来なくなってしまって、私は噴き出た。私の中の、そして噂の中の阿賀野さんは、常に落ち着いていてつかみどころのないようなイメージだったけれど、蓋を開けてみれば子供みたいに目を輝かせて好きな映画の事を語っていて、でも好きが溢れすぎて、私が知らないって前提完全無視、しかも語彙も死んでて、だからこそとっても可愛らしかった。
「あ、ご、ごめん」
「い、いえ、こちらこそ。でも…」
そうして私はこらえきれなくなって、いよいよ本格的に笑い始めてしまった。
「そんなに笑わなくてもいいのに…」
阿賀野さんは恥ずかしそうにそう言うと、ちょっぴりむくれてみせた。それがまたあどけなくて、たまらなく可愛かった。
「ま、まあこんなだからね。話それちゃったけど、私がふられるのはいつもこれのせい」
「映画のせいですか?」
「気をつけなきゃってのはわかってるんだけどね、デート中とかでもつい」
「デート中もその感じなんですか…」
素直にちょっと引いてしまった。
「ま、毎回じゃないよ?」
「わかってますケド…」
「それに私演劇部入っててさ、おまけに自主映画も撮ってるんだよね」
「演劇部ですか?映研じゃなくて」
「うん。まあ将来は一応映画に携わること出来たらな、なんて思ってるけどね。わたし浮気性と言うかさ、ちょっと興味持ったジャンルにすぐに手出しちゃうんだよね~。そのせいでまあ、広く浅くになっちゃってるところがあるんだけどね。でもね、言い訳かもしれないけど、いろんなジャンルに触れた人が作った映画の方が深みが出ると思うんだよね。写真でも絵画でも漫画でもアニメでも演劇でも、いろんなジャンルに触れることでその中の手法が別の物に活かせるというかさ。例えば写真とか絵画の構図は映像作品作るときにも応用がきいたりするでしょ。まあ高校生が何生意気言ってんだって感じだけど、そんな感じで私はいろんなものに触れていたいの。将来は一本くらいすごいって言われるような映画撮れる監督になれたらなあ、なんて」
「阿賀野さん、すごいですね。私なんて、自分のやりたい事とか何もなくて、ただ普通の生活のために精一杯で」
「普通の生活?」
「いえ、何でもないです。ほんと阿賀野さんはすごいです」
「すごくないよ。好きなこと好きなようにやっちゃってるだけでさ。ふと我に返った時とかにさ、夢中になり過ぎて周りに迷惑かけてるエゴイストなのかなって思っちゃったりするよ。実際好きな人とデート行っても自分の事ばっかり喋っちゃって、それで家に帰った後にようやくやり過ぎた、またやっちゃった、今度は気をつけよう、なんて思うのに、結局同じことしちゃうし。挙句にデートの約束ドタキャンして脚本書いたり映画撮ったりしちゃうこともあるし。私、別にみてないわけじゃなかったんだよ。私は私なりに好きだったんだ。あの子のことも、詩乃の事もさ」
詩乃、という名前が阿賀野さんの口から急に出た時、今までの楽しかった感情の中にすっと影が落ちた。さっきの金髪の子もそうだけど、阿賀野さんは私にとって遠すぎて、だからこそどこか小説の中の出来事のように聞くことが出来た今までの話の中に、突然私の身近なところにいる酒匂さんの名前が出てきて、途端に阿賀野さんの話は一種の生々しさみたいなものを帯びてしまった。そうして阿賀野さんが特別に酒匂さんの名前だけを強調したことも、変に心に引っかかってしまった。
「酒匂さんにも、そう言われたんですか?」
「うん。詩乃とは結構続いたんだけどね~。やっぱだめだったな〜」

「いいですね、そういうの」

自分でも思いがけない言葉だった。それは授業中にふと消しゴムを落とし拾うように、驚くほどに何も考えず、そうして反射的に口をついた。阿賀野さんが真剣だったかどうかはさておき、少なくとも悩みのようなものを打ち明けてくれている最中に、その人に向かって言っていい言葉ではなかった。阿賀野さんの顔は見れない。早く謝って訂正しなきゃ。頭では分かっていたけど、それよりも先になぜか口が動いてしまっていた。
「羨ましいです、そういうの。酒匂さん、特別だったんですね。酒匂さんだけ、名前出して。私が知ってるからって意味だったかもしれないですけど。でもお二人はお互いに相手に気持ちを伝えたんですよね。そうして深くつながって、だからこそ相手に対して嫌に思うことも出てきて、喧嘩もできたんですよね。相手としっかり繋がれてるからこそ、相手に対して抱いた理想を分かってもらおうともできたし、衝突することもできたんですよね。そう言うの、すごく羨ましいんです」
早く黙らないといけないことは、よくわかっていた。でもほんと、堰を切ったようにって言葉がぴったりなほどに、私の口は止まらなかった。自分でも思いがけず。貯めていた何かがあふれ出してきて、それはどうしたって止めることが出来なかった。私は話した。ずっと誰にも言わなかったことを。家の事、女の子が好きなこと、佑香ちゃんや律子ちゃんに対して思ってること、そうして自分がいかに空っぽになってしまったかも。自分の事をほとんど知らない相手だから話せた、なんて見方もできるかもしれないけれど、やっぱりこんな話を初めて顔を合わせる相手にするのはおかしなことで、およそ迷惑極まりないことだった。
早く黙れ早く黙れ早く黙れ。
頭の中では常に私がそう呼びかけてくるのに、私の口だけはまるで独立して意思を持ってしまったみたいに勝手に話し続けた。
「そうやって私は、ずっと自分を殺し続けてきたんです。何も海咲ちゃんの時に始まった訳じゃないんです。もっとずっと、小さい時から。母は、事あるごとに私の人格を否定しました。こはくはそんなこじゃない。こはくは本来ならそう思う子じゃないから。母が望む理想の娘と違った意見を言った私に待ってるのは、そんな言葉の数々でした。それに母は手が出るんです。神様を悲しませた罰だって。マリア様の像の前に頭抑えつけられて祈らされることもよくありました。母に怒られないように。痛いことをされないように。友達に嫌われないように。気持ち悪がられないように。浮かないように。傷つけられないように。そうやって私はどんどん自分を殺して、他人に流されて。そこに私の意思なんてなかったんです。ただもう、相手に嫌われないためだけの、相手にとって人畜無害で理想的な人間を演じ続けてきたんです。誰かが笑えば笑う。誰かが怒れば怒る。誰かが悲しめば悲しむ。私の心はただ周りの感情を投影してるだけで、そこに私の意思なんて存在してないんです。だから、そもそも私があの二人の仲に入ろうなんておこがましいんです。どっちにしろ、私は本気で二人と向き合うことなんてできない。だから、私は蚊帳の外でいいんです。でも何でですかね。今日二人を見てたら、何だかずっと胸のとこがきつくて。私が望んでいいものじゃないのに。諦めたはずだったのに」
どこかにずっとため込んでたものを吐き出し終わったのか、私の口は急に動かなくなった。ドンッという大きな花火の音が地面を揺らして、反射的に肩が震えた。そこでようやく、ああ私は夏祭りに来てるんだった、なんてことを思い出す。どうやら私の耳には、ずっと同じような音量で響き渡っていた花火の音すら、耳に届いてなかったらしい。我に返ったところで今まで散々阿賀野さんに向かってわめき散らしていた言葉の数々が頭の中で反芻しはじた。顔が急激に熱くなってきて、そうしてどうやら自分が涙を流していることにも気がついた。鼻水も詰まっていて、ふとした拍子に垂れてきそう。声がみっともないくらいに鼻声だったこともようやく気がついた。
「あ、あああ、あの!すみませんでした!こんなつもりは!あ、あのほんとすみませ…」

「能代さん、私の事好きでしょ?」

「へ?」
全く想像してなかった言葉に意表を突かれたせいで、私は素っ頓狂な声と共に阿賀野さんに顔を向けた。阿賀野さんはいたずらっぽい笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。花火の輝きと屋台の電飾に照らされた阿賀野さんは、やっぱり綺麗で、そうしてとってもかわいかった。
「それで私と詩乃に嫉妬して…」
「い、いえ私はっ!」
「うそうそ、冗談だよ。ごめんね」
そう言うと阿賀野さんは笑い始めた。あんまり子供っぽく笑うから、何だか私もつられて笑い出してしまった。阿賀野さんの笑顔には、悪意のかけらもないように思った。
「からかわないでください」
「ごめんって。ああでもさっきの話だけど、あの二人は能代さんのことそうは思ってないと思うよ?」
「へ?」
「私は演劇部が忙しくて最近あんまあの二人と会ってないんだけどさ、でもね、二年生になってから二人と会うともう能代さんの話題でもちきりなんだよ」
「私の?」
ふと、あの二人の笑顔が浮かんだ。独りぼっちだった私に声をかけてくれた二人。お昼ご飯を一緒に食べるようになって、教室移動でも休み時間でも、いつの間にか何をするにも一緒に行動するようになった。休日も遊びに誘ってくれるようになって、こうして夏祭りにまで連れ出してくれた二人。
「うん、口を開けばこはくがこはくがってうるさいくらいだよ。もう能代さんに夢中って感じでさ」
「そんな…」
「能代さん、色々話してくれてありがとね。能代さんにも色々あると思うし、初めて会った私はなんも言えないけどさ、ただあの二人は能代さんをそんな風に思ってるわけじゃないってのは知っててほしいかな」
二人が私の事をそんな風に思ってくれてたなんて。それなのに私は…。
「それに傷つくことが怖いとか嫌われるのが怖いってさ、別に特別なことじゃないと思うよ。私ね、先週財布拾ったんだ」
「財布、ですか」
「うん。学校行くとき前歩いてるサラリーマンの人が落としてさ。すぐ気づいて渡してあげて、まあお礼言われてそのまま別れたんだけど、後になってあの時愛想悪かったかなとか、お礼言われたんだからもっとうまい返しできただろとか、そんなことその日一日考えちゃったんだよね。能代さんもそういうとこあったりしない?」
恥ずかしいくらいに図星だった。それに阿賀野さんもそんな風に考えちゃうことがあるんだってことが驚いたし、何だか少しほっとした。
「よくあります…」
「やっぱり?でもさ、その人とのかかわりなんて私の人生でその一瞬だけなんだよね。その人にとっても。私たちが経験する出会いのほとんどって、そんな程度の価値しかないと思わない?私の好きな漫画風の例えを使えば、うんこしてケツふいた後のトイレットペーパーくらいの価値しかない、ってね」
た、例えが汚い…。
「それくらいの価値の出会いだったんだって思えば、そんな人にどう思われようと、別にどうでもよくならない?能代さん、きっと優しいから色々考えちゃうだろうし、こんなこと口では簡単に言えるし誰だって気づいてるだろうけどさ、でも実際やってみるとなかなか上手くいかないよね。でもさ、そんなにずっと気張ってたらいつになっても楽しくないと思うよ?まあ私も人の事言えないけどね」
そうして阿賀野さんは少し照れくさそうに笑って見せた。
「でもさ、そんな出会いばっかりだからこそ、大切にしたいと思える人たちに出会えたのなら、その人たちの事だけはしっかり知ろうとしてもいいんじゃない?」
二人の顔が浮かぶ。私はずっと二人の蚊帳の外だと思ってた。でもそう思い込む私は、かってに二人に壁を作って、勝手に蚊帳の中に閉じこもっていた。あの修学旅行の日だって、二人は私に色々なことを聞いてくれたし、話してくれた。それなのに私はそれを、二人がただ私に対して気を遣って無理に話を繋げようとしてるなんて受け取って、そして私は、あろうことかそれを鬱陶しいとさえ思ってしまっていた。
「私二人に…」

「こはく!ごめんっ!」

花火の音を切り裂いて突然響き渡ったその声は、ききなれているはずなのに、なんだかとっても新鮮で、それでいてなつかしいように感じた。
「ハクごめんよ~、ってあっちゃんいるじゃん」
「よっ」
駆け寄ってきた律子ちゃんと佑香ちゃんに、阿賀野さんは軽く手を上げて返事をした。二人は肩で息をしていて、額には汗までにじんでいた。二人は走ってきてくれたんだ、私のために。こんな私のために。
「なんで阿賀野がいんだよ」
「いやあ、一人で寂しそうにしてる能代さん見つけたからナンパしたんよ」
「はあ?」
そういって律子ちゃんはほっぺを膨らませて阿賀野さんをにらんだ。それはちょっと子供っぽい表情で、そういえば律子ちゃんって、こんな表情することあったんだ。
「お前さっき彼女といたじゃん」
「ふられちった」
「あのなあ」
「んじゃあ私はそろそろ行くね。これ以上いると律子がめんどくさいしね」
阿賀野さんはそう言うと私をちらっと見て、そして律子ちゃんに視線を映しいたずらっぽく笑ってみせた。
「はあ?なんで私が…」
「まあまあ、リツ~」
「能代さん」
阿賀野さんは私を呼ぶと、私の手を掴んで体ごと自分に引き寄せた。あまりにも近い距離に阿賀野さんを感じていて、しばらく麻痺してた心臓のドキドキが思い出したみたいに激しくなった。阿賀野さんは私の耳元に顔を寄せた。

「あとは一人で頑張れるね?」

阿賀野さんの声はとっても優しくて、温かかった。

「はい」

「じゃあみなさん私はこれで」
「はよ帰れ」
「え~、あっちゃん一緒にまわらないの?」
「私はいいよ。相手がいなくなっちゃったからね~。またかわいい子見つけてナンパしなきゃ。今日ホテル行く気満々で準備してたんだから」
「ホ、ホテッ…」
阿賀野さんはほんとに自由で、ちょっぴりやんちゃで、でも。
「じゃあ、能代さん、また学校でね!」
ふり返りざまに笑った阿賀野さんの後ろに、大きな花火が広がった。ああやっぱり阿賀野さんは、綺麗で、かわいくて。
「はい!また学校で」
私には、こんなにもたくさん、大切にしなきゃいけない出会いがあったんだ。


「ごめんね~ハク。時間かかっちゃって」
「ほんとごめんな。こいつ待ってろって言っといたとこから動きやがってさ」
「だって寂しかったんだもん。それに私に会えなくて寂しがってるハクに一刻も早く会いに行かなきゃって思って~」
「お前反省してないだろ」
二人のやりとりが、何だかとっても愛おしいものに思えた。これは、私の大切な出会い。大切な人たち。私は…。

「もう佑香ちゃん、ほんとに反省してないでしょ。そんなんならもう口きいてあげないから」

途端に三人の間に静寂が訪れた。花火の音がいやにうるさい。やっちゃったかな…。二人は静かになって、呆然とこっちを見てて。ああ、慣れないことなんてするもんじゃない。あんまり慣れないことしたものだから、保育園児みたいな言い方になってしまった…。顔が熱い。これは、完全にやっちゃったかな…。
最初に静寂を破ったのは律子ちゃんだった。くしゃみしたのかと思ったけど、どうやら律子ちゃんは噴き出したみたいで。ちょっとだけ頑張ってこらえていたみたいだけど、すぐに本格的に笑い始めた。
「子供か!」
「うえええ、ハクが、ハクが怒った!!!」
そういう佑香ちゃんはなぜだかとっても嬉しそうに目を輝かせていた。
「ご、ごめんこれ冗談!冗談だから…」
ふと、三人の目が同時に合った。何だかそれがとてもおかしくて、楽しくて、いとおしくて。今度は三人一緒に噴き出して、我慢できなくて、とうとう三人で笑い出してしまった。


わかり切ったことだけど、佑香ちゃんの置いたゴミ袋はどこにもなくて、その代わりにゴミ袋を置いていた場所には、家族連れがブルーシートを広げて花火を見上げていた。
「まあ、だろうな」
「あっれえ~」
「あれじゃねえだろこら」
「やっちった。てへ?」
そう言って佑香ちゃんはいたずらっぽく舌をだし、案の定律子ちゃんの突っ込みが脳天に炸裂した。
「ほら、こはくもたまには叩いていいよ」
そういって律子ちゃんは佑香ちゃんをヘッドロックした状態で、彼女の頭をこっちに向けてきた。
「人を物みたいに~」
と言いながらも、やっぱり佑香ちゃんはあんまり抵抗する気も無いみたいで。
「えっと…」
律子ちゃんみたいに思い切りスコンッと叩けるほどの勇気はなかったけど、私はもう、余り困らなかった。
「じゃあこれで」
軽く握ったこぶしでこつん、と佑香ちゃんの頭をつついた。
「こはく、いいか、こうすんだよ」
そう言って律子ちゃん、今度は佑香ちゃんのこめかみにこぶしを当ててぐりぐりし始めた。
「リ、リツサン…。イ、イタイイタイダイダイダイダイイ!酷いよ二人とも~」
「ね、私はもうここで立ち見でもいいよ?」
きっと数時間前の私なら、この流れの中でこんなこと言う勇気はなかっただろう。でも私は、自分でも驚くぐらいに簡単にそんなことを言うことが出来た。
「そうだな、誰かさんのせいであと二十分もないからな」
「ダレノコトカナ?」
「もう佑香ちゃん」
「任せろこはく。花火終わったらこいつ駿河湾に沈めてくるから」
「ゴ、ゴジヒヲ…」
自分から殻を破るのはとっても大変で、でもきっとこの二人の為なら、私にも出来るような気がした。

「ねえ二人とも、今度さ、二人の家に遊びに行ってもいい?」

越えることの出来ない大きな壁だと思ってた。でもそれが自分で築いてしまったものだったとわかったら、なんだか簡単に壊すことが出来るように思えて。見方を変えてしまえば、案外世界は思い通りに動いてくれるような気さえしてしまった。ちょっぴり驚いた表情をした二人は、でもすぐに嬉しそうに笑ってくれた。

「うん、いつでもこいよ」

「先にうちに来なよ!リツんち汚いから掃除に一カ月くらいかかるだろろうし」
「うん、ドラム缶にコンクリ詰めされるか体中にブロック巻かれるか好きな方選んでいいぞ」
「バイオレンス!」
きっと私はこれから先いっぱい傷つくことになる。今日は何とかごまかして抜けることが出来たけど、これからもっとあの母と衝突することになるだろうし、そのたびに何を言われるかもわかりきってる。でも、これは私の人生で、私は誰かのために生きるわけじゃない。私は私のために生きる。私は、この二人ともっと仲良くなりたい。もっと知りたいし、私を友達として受け入れてくれたこの二人に、私もいろんな方法でありがとうを伝えたい。この二人になら、家のことも、女の子が好きだってことも、これまでの事も、これからの事だって相談できるかもしれない。
傷つくことは怖いし、出来ることなら避けたい。でもそれ以上に、私はこの二人とこれからも一緒に居たい。もっと二人の事を知りたいし、私の事も知ってほしい。そうして築くことが出来るかもしれないこの大切な二人との関係を想えば、私は傷つくことだって耐えることが出来るように思えた。
夏祭りはいよいよ終わりを迎えそうで。打ちあがる花火たちは最期の時を思い切り楽しむように、思い思いに空一杯を自分の色に染め上げていく。湿り気を帯びた夜風。舞い散る色とりどりの火花と、屋台の電飾で彩られる淡い空間。硝煙とソースとシロップの匂いが混じった独特の香りの中で、思い思いに花火を楽しむ観客たちの喧騒。私は夏祭りが好きだ。でも私は今日、夏祭りの新しい楽しみ方を知った。私の隣では、私の大切な友人たちの笑顔がはじける。大切な人たちと楽しむ、初めての夏祭り。
ドンドンドン。ひときわ大きな音が連続で鳴り響いて、真白で、ちょっぴり切ない、大きな大きな花火が、いつもより少しだけ近い空を埋め尽くした。

 

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