『吸血姫 - きゅうけつき -』第一夜
〈あらすじ〉
今年大学生になった晴香は、夜道で吸血鬼と出会ってしまう。襲われそうになったところを狼のマスクを被った男に救われた。
お礼を言うとマスクを被った男は勇敢さが霧消し、及び腰で消え去ってしまった。
数日後、先に襲われた吸血鬼と再会してしまい、あろうことか求婚されてしまう。それは私の属性に関係することだった。
無理な求婚に困惑していると、狼マスクの男も求婚戦線に参戦し混戦模様に突入していく。
もうこんな時間……。
スマートフォンの時計は二十二時を示していた。
自宅最寄り駅で友人のメッセージを確認したのが運のつき――今年大学生となったわたしは同じゼミの友人からサークルの誘いを受けており、やんわり断るのに三十分を費やしていた。
何とか分かってもらい家路を急ごうと歩き出した。自宅周辺は最近不審者が出たらしく、パトロールも強化されているが住宅街を夜、若い女性一人で歩くには少し心もとない。
ここは東京都世田谷区、小田急ロマンスカーが停車し高級住宅地を要する地域だ。
しかし、わたしの家庭はセレブって事も無く至って普通。この地区の一軒家に引っ越しマンション暮らしから脱却して早や十年、この街がすっかり気に入っている。
自宅からちょっと歩けば仙川が流れ高層住宅は無く、休日ともなれば静かな地域だった。
そこの角を曲がれば家の門が見える。ふと防犯灯の下に人影を見咎め足を止めた。後ろ姿の男は背が高く金色の髪が綺麗だと思った。
マントが夜風に揺れ徐々にこちらに向き直る顔に、口元まである銀色のマスクを付けていた。
仮面舞踏会の会場を間違えたのだろうか。
この街にはお金持ちが多い地区もあるから、こんな酔狂な格好をする御仁がいても不思議ではない。
わたしの自宅付近に舞踏会が出来るお屋敷はないし、というか……この男が不審者ご本人じゃなかろうか。
我知らず、マスクマンがこちらに向き直る前に暗闇へ紛れようと後退する。わたしの姿はまだ見えていないはずだから。
瞬きの間にマスクマンの姿が消えた――同時に異様な殺気と肩へ手を置かれ、声にならない悲鳴が喉に絡みつき、硬直した耳元へ上品で優しい男の声が囁く。
「陽の下で人の時間を生きる吸血鬼など我らの名に泥を塗る者ぞ」
首元に氷を含んだ冷たい息がかかる――防犯灯の下に佇むマスクマンはわたしの背後に回っている。首を裂かれ血まみれでこと切れる自分が浮かんだ。
両親の顔が浮かんだが、男の唇が首筋に触れたとき呪縛が解けた。
思いっ切り頭を打ち付け距離を取って向き直る。わたしは防犯灯の下に、マスクマンは暗闇の中にいるがわたしには昼日中の明るさも同然だ。
わたしの頭突きをまともに受けた筈なのに痛そうな素振りがない、反撃の弾みで少し出血したのか、わたしの血がマスクマンの口元についている。
それを指先で拭い、愛おしそうに舐めた。
「忌むべき者の血が一番美味とは、食の世界は奥が深い……」
思考が沸騰する――それは私の血で、貴様の滋養ではない! 易々と命をむしられる気も毛頭ない。
マスクマンが闇に溶けた。後ろから抱きすくめられ、その体の冷たさが〈死〉という搦め手となってわたしを包もうとする。魂のある死人――それが吸血鬼だからだ。
腕の締め付けが徐々に増し、肺が空気を求める。血中酸素量が急速に低下し意識が遠のく。同時に首筋に冷たい唇が這う。
「せめて、死の痛みを和らげてくれよう」
視界が漆黒に落ちる刹那、軽い衝撃と解放感。
わたしはまだ生きていたが、状況が掴めない。酸素を求めて喘ぐわたしの前に第三者が現れた。
「貴様、その獣の匂いは、狼だな」
水を差された形になったマスクマンは、明らかな嫌悪を声にのせていた。
あまりの早業に認識が追い付いていないが、わたしはマスクマンの拘束から解放され、今は第三者を挟んでいる格好だった。
こんな状況でなければ吹き出していただろう。
防犯灯に照らされた後姿はよく出来た動物のマスクを被っていた。
マスクマンと似た背丈に見えるからかなり背が高いのだろう。
Tシャツとパンツの軽装だ。
ちょっと細目に見えるが吸血鬼を眼前に据えて一歩も引かない姿に、負け戦ではないという自信が漲っていた。
「ここはおれの縄張りだ。勝手な狩りはご法度だぜ」
意外と若い男の声は相手を嘲笑し挑発していた。膝を軽く曲げ焔のように立ち上る闘気が美しい。
「獣ふぜいが、貴様たちは我らに従う者。聞けぬならその穢れた血に教えてくれよう」
マスクマンが塵となった瞬間、第三者の姿も消え上空で銃声が轟いた。
目の前に落ちて来た第三者の胸から血が流れ動く様子が無い。少し先にマスクマンが姿を現し、その手には拳銃のような物が握られている。
わたしには銃器の知識はないから、手に持って玉が出るのは全て拳銃である。吸血鬼が拳銃で撃つと言う事は、射出された弾丸は――銀。
「他愛も無い、銀の弾一つで死に至る弱い者よ」
足で軽く蹴っただけなのに、死体となった身体を数メートル先に飛ばしてしまった。いよいよわたしの番らしい。
腹が座ってしまって冷静にマスクマンを観察する事が出来た。
吸血鬼なのは疑う余地は無いだろう。いるとは聞いていたがオリジナルの放つ妖気は死者のそれで、わたしには受け入れられない相手だった。
「貴方、何処から来たの?」どうして問いかけてしまったのだろう。
マスクマンはわたしに向き合ったままだ。その気になれば喉を裂くくらい容易いとみているのだろう。
マントが揺れている。マスクの下から深い蒼の瞳が揺れているように感じた。
――これは、悲しみ? まさかね。
闇の覇者たる吸血鬼に悲しみは似合わない。
彼らは常に誇り高く傲慢で残酷なのだ。マスクマンは歩を進める。
優雅に、次の曲が始まる前にわたしをエスコートすべく右手を差し出しながら。
その手を取ればわたしの命もラストダンスと共に尽きるだろう。
「舞踏会はお開きだぜ!」
マスクマンが後ろへ飛び退き、わたしを守るように前に立ち、ナイトよろしく啖呵を切ったのは、第三者改め、狼さんだった。
-つづく-
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illustration by Gracile [ x / @gracile_jp ]
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