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『吸血姫 - きゅうけつき -』第五夜【創作大賞2024-応募作品】

 ランチが終わり食器の山をさばいていると阿人が厨房に姿を見せた。

 わたしはバイト上がりまで十分ほどで、食器を汚れごとに分類しシンクに突っ込んでから上がろうと思っていた。

 いつものように言葉を発せず視線だけ飛ばし、試食カウンターに置いてあった頂き物らしいお菓子に手を伸ばしていた。
 袋を開け食べようとした瞬間――

「そう言えば、狼……って日本にいないんですよね」

 喉にお菓子がつかえたのか阿人は咳き込んでいた。
 わざと話しかけたのだ。

 これまでの恨み思い知れ!

「絶滅したのって、明治でしたっけ? 狼」

 阿人の目を見て言った。
 阿人も意図を理解したのか睨み返してきた。

 一息つけたのか目線で〈表出ろ!〉と言わんばかりに首をビルの裏手に向けた。

 丁度上がりの時間だったし、呆気に取られる昼番の厨房担当を残しエプロンから着替えて、ビルの裏手に出た。

 後ろ手に扉を閉め、一歩出たとこで抱きあげられあっという間に屋上に連れていかれた。

「ちょっと! いつまで抱き上げているのよ。セクハラよ! セクハラ」

 阿人はうんざり顔でわたしを下ろすと手近な木製のベンチに腰を下ろした。

 広い屋上に三メートル四方の天幕が張られたスペースがあり、木製のベンチと小さな鉄製のテーブル、その前にはわたしが座ろうとしているデッキチェアーが置いてある。

 阿人が話すのを待った。
 抱き上げここまで一瞬で運んだ力は人間の物じゃない。

「いつ気が付いた?」

 ソッポを向き、不機嫌そうに問いただす声は紛れもなく〈狼さん〉だった。
 声で正体がばれるからわたしの前では無言で通していたらしい。

「下北で、エミールから助けられた時に着ていたTシャツが厨房でソースの染みが付いた同じ物だったからよ」

 狼さん(阿人)の顔は見ものだった。

 しばらく目が泳ぎ思い出したのか耳だけ赤く染まっていく。

「…………マジか……」
 やっと縛り出したらしい呟きにわたしは吹き出し、阿人はまた不機嫌に戻った。

「ここのオーナーは人間? 貴方、他に仲間はいるの?」

 阿人は立ちあがり、デッキチェアーの傍まで来ると、見下ろす形で睨み付ける目には薄っすらと殺気が滲んでいる――寒い。

「この国に狼はいない。狼男もおれ一人。両親は育ての親で人間だ。もし……おれの正体を白日の下に晒そうとしたらお前でも命を貰う。ここはおれの縄張りで、生きる地盤だ」

 中腰からわたしの方に迫る迫力にデッキチェアーの背もたれに身を預けた。
 阿人は獣の殺気を纏ったままでわたしににじり寄ってくる。

「エミールってあの吸血鬼だろ。何を言われた」
 今度は阿人が問いただしてきた。

「何って、求婚されたのよ。頭おかしいんじゃないのって言ったら、城の中しか知らない姫だって馬鹿にされたわ……」

 わたしはエミールとの会話をかいつまんで説明し、阿人の顔は三十センチまで迫っていた。

「ふうーん。お前は意味が分からなかったのか。なら世間知らずのお姫様さ」

「狼さんまでそんな事言うの? 生き方なんて当人の自由じゃない。世間知らずなんて何の根拠かお節介も甚だしい」

 阿人の顔から殺気が抜けた。

「どう生きる?」

 また顔が近くなる。
「人間と恋をして人間として死ぬのよ」

「お前は、これっぽっちも見えていない」

 わたしは阿人を突き放し、怒りのたけをぶつけた。
「見えてるよ! 何言っているの」

「エミールはオリジナル吸血鬼、お前は亜種だけど吸血鬼、おれやお前は生まれつきでエミールはどうだ?」

 ――エミールは、エミールは……そう……吸血鬼にされた者。

 元は人間。
 魂のある死者として永遠の時間その身を闇に置く。

 わたしの目は狼さんを捕らえた。

「エミールは……吸血鬼になり切れなかった。陽の光を切望し自分の血に連なる子を陽の下に残したいと願った。人に産ませても闇の中でしか生きられないからな」

「だからなの? 亜種なら陽の下で生きられる子を儲ける事が可能と判断したから? オリジナルだってわたしに言わせれば同属であっても異なる存在だわ……亜種属性の子が出来る保証は無いし、そもそも子が出来るかどうかも分からない。わたしは人しか愛したくないのに」

 阿人の顔が目の前にあった。息がかかりそうだ。

「人間とそうなれたか? お前でも吸血鬼の魅了は少なからず使えるだろう。使わないまでも言い寄ってくる人間はいた筈だ。どうだ? 言えないのならおれが言ってやるよ」

 唇が触れそうだ。わたしはどうしてしまったのか

「お前に人間は愛せない。何故なら生まれながらに吸血鬼だからさ、お前の人間に抱く愛はごっこ遊びだ。捕食者という残酷な種なんだよ」

 阿人の唇はわたしの口元を過ぎ耳元へ移った。
 熱い息が阿人の身体ごとわたしを包んだ。

「おれなら、お前を幸せに出来る――」
 風が抜けた。天幕のせいで空が見えない。

「いでで……何しやがる」

 阿人は苦悶の声を上げわたしから身体を遠ざけた。
 その両腕にわたしの指が食い込み上腕骨が悲鳴を上げる。

 怒りに支配された指先は、狼男の腕を粉砕しようと食い込んでいた。

「最低!」

 阿人を突き飛ばしデッキチェアーから駆け出すとそのまま屋上から飛び降りた。

 後ろで阿人の声を聴いたが知った事か!

 すっくと路上に着地し何事も無かったかのように歩き出す。
 周りは一瞬驚いていたが、超常現象もこちらが知らんぷりを決め込めば脳が勝手に何も無かったと処理してしまう。

 度を越した事態を素直に理解出来るように人間の脳は出来ていないのだ。

 次の日、しばらくバイトは休むか辞めると連絡を入れた。
 試験があると理由を付けた。
 オーナー夫婦はいつでも戻っておいでと言ってくれたが、その優しさに応える日は来ないだろう。

 同属でも家族でもない第三者から「人間? 愛せるワケないじゃん。おまえ生まれながらの吸血鬼だぜ」

 一番言われたくない言葉だった。

 ずっと心の底に沈めていたのに……。

 わたしは人間が好き、なのに生涯を添う相手に選べない。
 狼さんの言っている事は真実だ。

 吸血時以外は吸血鬼であることを忘れようとした。

 人間に恋もしたし二人っきりで甘い時間を過ごす事もあったが――わたしは性的に高ぶると血を求めてしまう。

 血管を流れる血の音に心躍り一滴残らず求めようと相手を見つめる。
 その眼に狂鬼を見るのか、相手の男はことごとく逃げ出すのだ。

 そりゃそうだ、契ろうとする女が自分の血だけを欲しているのだから。

 どんなに抑えようとしても無理だった。
 これまで一度も致死量まで吸血せずにこられたのが奇跡みたいなものだし、努力は無駄と理解しながら人間以外に目を向ける事はしなかった。

 意固地とでも妄執とでも好きに取ればいい。

 心の揺れは、思い出したくもない過去の記憶を押し上げようとしていた。

-つづく-


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