見出し画像

【創作大賞2024-恋愛小説部門-応募作品】『吸血姫 - きゅうけつき -』第三夜

「いらっしゃいませー、お好きな席にどうぞ」
 わたしは水の入ったコップをトレーに乗せ颯爽とお客さんのテーブルに向かった。

 ここはわたしの通う大学の最寄り駅からほど近い中規模クラスのカフェだ。 

 居抜きでビルごと買い取った夫婦が、三階建てビルの一階を昭和感満載の純喫茶から小ぎれいなカフェに改装し、常連しか入店出来そうも無かった結界を解放した。

 駅から五分程度離れているがご近所の常連、学生から主婦、会社員と客層も幅広い。 

 カウンター八席、テーブル席は二人掛け四人掛け合わせて四十二席分、喫煙席完備。

 一九時からはアルコールも出す。営業は八時から二三時まで、オーナー夫婦と雇われ店長と有能な厨房担当と複数のアルバイトで切りまわす繁盛店だ。

 店の名は〈MIST〉と言う。創業十三年目だそうだ。

 大学の講義の間にここのバイトを入れていて、火曜日のランチ終了までと月曜日と木曜日の十六時から二十一時まで週三回ほど来ている。

 たまたま大学のある駅近でカフェを見つけ、お茶をしながらアルバイトの張り紙を見つけたわけだ。

 アルバイトを探していたから、偵察がてら店内を観察し、店の雰囲気と漂う気の感じが心地よく、その場でアルバイトの募集はまだ受け付けているか掛け合ったのだ。

 オーナーの坂本夫婦はカフェを営むだけあり何処か垢ぬけていて、実年齢よりかなり若く思えた。

 わたしの両親は快くこのカフェでのアルバイトを了承してくれて、恥ずかしながら生まれて初めてアルバイトを経験中だった。

 働いて自分でお金を稼ぐ――初めて尽くしの日々は、あわやドジッ子の異名を拝命する手前で踏み止まり、初給料で両親にショートケーキを買って帰った。

 母は人間としての生活が安定しているわたしを見て涙ぐんでいたのが照れくさい。

 ふた月過ぎた頃には中堅並の働きをしていた。
 自分でも驚いているが、一度来たお客さんの顔を忘れる事は無い。

 オーナー夫婦や雇われ店長の奥菜おきなさん(強面のお兄さん――実はすごく優しい)にサービス業が向いていると言われてしまった。

 正直、大学に通う身でありながら将来どうありたいか、全く見えていない。

 他の人間の若者同様、何となく日々を過ごしているだけで時期が来れば就職する。

 そんな大河の本流に意味も無く流されている最中だ。

「晴夏ちゃん、由起子ちゃん時間だよ。ご苦労さん」
 カウンターから奥菜さんがバイトの終了時間だと告げている。 

 わたしはアルバイト仲間で大学は違うが同じ年の由起子さんと目配せして、バックヤードに向かった。
 中から施錠出来る更衣室は、備蓄庫も兼ねていてかなり広い。

 出入りも多いから着替えたら施錠を解放し補充に入ってくる妨げにならないようにするのが決まりだ。

 着替えると言ってもカフェエプロンを外してロッカーにしまうだけだから、滅多にわたしが施錠する事は無い。

 バックヤードの廊下の向かい側に厨房へ続く開口がある。

 両引き戸は営業時間中開けっ放しで出入りが激しい。
 飲み物はカウンターで作る。厨房の端に三人位座れるカウンターがあり、賄や試作料理を食す場所になっている。

 夜番の厨房担当、柳瀬やなせ姉弟は姉さん肌の京子さんと大人しめだが腕はピカ一の弟、てつさんのチームだ。

「晴夏ちゃん。夏フェアー用のカレー試食していかない?」

 厨房から京子さんが呼びかけて来た。
 笑顔が素敵な京子さんは厨房に咲く花である。
 奥菜さん曰く「えらい毒持ってるけどな」らしい。その意味をわたしが知る由は無い。京子さんは奥菜さんの恋人である。

「頂きます。今回のコンセプト何ですか?」
「いざ! 南国へ! かな、今年はココナッツとうちの定番のスパイスデラックス二本立て予定で、オーナー試食は明日なのよ。ボツかも知れないけど味わっていって」

 この姉弟の料理は下手なレストランよりずっと美味しい。
 どうして自分たちで店を構えないのかいつか聞いてみたい。

 カウンターの端を見ると、先客がいた。カフェオーナー夫婦の一人息子(ドラと付けたい!)阿人あさとだ。

 山盛りのハンバーグに今まさにフォークの一撃を加える手が止まり、わたしの方をチラ見する。

 興味もなさそうにハンバーグに視線を戻し、お上品にナイフで切り分け口へ運んだ。
 フォークを置き、哲さんに親指を上げた。
「うまい!」の合図だ。

 わたしは一つ席を空けて座り、京子さんが苦笑いしながら持ってきたカレー試食用の小鉢二つと水を受け取った。

 わたしとこのドラ息子との攻防はアルバイト初日から始まっていた。

 阿人はわたしの一つ上で同じ大学に通うらしい。
 らしいというのも別にどうでもいいからだ。
 背が高く見てくれは悪くない。どちらかと言えばタイプ……。

 細く見えてもナヨッとした感じは無い。しかしながら、声を大にして言いたい。

 わたしが、何かしましたか? 

 わたしがいない所では楽しく談笑しているらしい。
 つまり、わたしがいるところでは話さない。声を出さないのだ。

 視線も合わせないし、せいぜいチラ見されるくらい。
 これは気分を大いに害する。
 滅多にカフェで会う事も無いが、たまに顔を合わせてしまうとこれだ。

 わたしに非は無い筈だ。

 バイト初日にカフェに顔を出した阿人をオーナー夫婦から紹介された。
 その時、阿人は目を合わせずチラッとわたしを見て右手を上げて居住エリアに引き上げていった。それ以来対応は変わらない。

 他の従業員やアルバイトとは話しているらしいのに、理由もわからず避けられるのは気が重い以前に腹立たしい。

 京子さんは阿人が意外と人見知りだから気にするなと言うけれど、一方的な拒絶はわたしの心に小さな傷を刻んだ。

 カチャン――。

 フォークが落ちたのか阿人がスツールから降りて拾っていた。
 わたしはカレーを半分ほど平らげた所で、阿人の山盛りハンバーグの鉄板は盛りつけの痕跡を伺わせない消失っぷりだ。

 俗に言う特盛で、付け合わせもライスも無く牛肉百パーセントのハンバーグだけで、合計一キロはあると教えて貰った事がある。

 それを五分かからず食べきるなんてフードファイターでも目指しているのだろうか。

 フォークを拾い上げ、Tシャツの裾を見ながら阿人は落胆の表情を見せた。落ちた時にソースを少し付けてしまったようだ。

「早めに薄めの洗剤で摘んで洗えば染みは防げますよ」

 哲さんがアドバイスを送った。
 右手を上げお礼のつもりだろうか、阿人は笑顔を京子さんと哲さんに向け、わたしにはチラッと視線だけ投げて居住スペースに引き上げて行った。

 美味しかったカレーから味覚が抜け落ちてしまった。

 わたしは吸血鬼だから、人間の血液以外はまず滋養にならない。

 飲食は普通に楽しめるので多種多様な味覚を味わうのは楽しい時間なのだが…………食べ終わり、味の感想を言うわたしに京子さんは「お疲れさま、感想ありがとう」と優しく言った。
 
 阿人のTシャツの染みに、腹の中で「ザマー見ろ」と悪態をつきながらカフェを後にした。

-つづく-


 ここまで読んで頂きありがとうございます。
〈スキ〉を頂けると創作の励みになります。よろしくお願いいたします。

 全作品の目次はこちらからどうぞ

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!