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『吸血姫 - きゅうけつき -』第九夜【創作大賞2024-応募作品】

 木枯らしが落ち葉を蹴散らし、曇りの日が増えた。

 肌寒い中、郵便受けに封蝋ふうろうが施された消印の無い封筒を見つけた。

 わたし宛の封筒の裏にはエミールとある。
 とうとう家まで来たらしい。

 来る一二月×日 同封した地図の場所までおいでください。
 たがえれば大切な者達が闇の住人となるでしょう。
 何処に隠れようと、獣の牙を持ってしても我の想いを妨げる事は出来ません。
     愛を込めて エミール

 地図が同封されていた。

 棺桶を破壊された影響が出ているのだろうか。
 事を急ごうとするのがありありと感じられる文体だった。

 取って付けたような愛の言葉も寒々しく、まさしくストーカーから地獄への招待状といったところだろう。

 数枚の写真が同封されていて、それを目にしたわたしは目の前が怒りで赤く染まり、吸血鬼の気を吐き出す周囲から生き物の気配が消えた。

 風の流れすら止まった空間に写真を握り潰し呪いの言葉を呟くわたしが立っていた。

 数枚の写真には延べ十人位写っていて、全ての首筋にうっすらと二つの傷跡があった。
 ゼミの友達やヒカリの姿もあった。

エミールは彼女たちを吸血し印を残した。わたしが行くことを拒めば躊躇うことなく命を奪うまで吸い尽くす。

「そう……わたしを怒らせて何の得があるのかしら」

 口角がゆっくりと上がる。
 鏡で見ればぞっとする鬼女が映っている事だろう。 

 家の施錠を確認し駅へ向かって歩き出す。 

 指定された日は今日だった。

 いつもと違う方向の電車に乗った。
 時刻は十六時を回ったあたり……冬の日の入りは早い、それだけ闇に蠢く者の時間が多くなる。

 これから先は人間の踏み込めない領域、生き残りたければ闘い、魂の安息を勝ち取らねばならない。

 仕損じれば永劫の闇に堕ち、望んだ時間は水泡へと還る。
 苛烈で残酷な闘技場へわたしは向かうのだ。

 ホームへ滑り込んだ電車を降り改札を抜けて数分、神奈川県にあるとある公園墓地の前に立っていた。

 とうに日は落ち死者たちの憩いの時間を守るべく墓地の入口は固く施錠されていた。

 海風が届くこの辺りは、遠い昔に命を落とした潮の香りを懐かしむ船乗りたちの永眠の場でもあった。
 時刻は二十時を回っている。

 月が無く雲の無い夜空は星が綺麗だった。

 軽い動作で塀を飛び越し墓地の深い所に進む、暗い道も吸血鬼のわたしには関係ない。

 目的の場所は古い十字架が並び、縁故が絶えて久しい寂しい場所だ。

 花を手向たむける者も無く忘れられ風化に任せた石の墓標は、無言の慈悲で照らす星だけが救いのようだった。

「来たわ、エミール」

 スーッと左側の墓石の裏から現れたエミールは、白蝋の肌に青い血管が浮いてそれが輝く金髪と蒼い瞳の美しさを退廃の美へと押し上げている。

 マントの下は貴族的な豪奢な衣装をまとい、姫を迎える者に相応しい。

 恭しく一礼し、右手を差し出す。

「姫よ、今宵そなたはわれと一歩を踏み出すのだ」

 甘い香りと言葉、香りは血の残り香……エミールは誰かの血を吸い力に変え、輝くばかりの美貌と妖気だ。

 濃密な血の香りにわたしの意識は吸血鬼たる自我に火を点ける。

 その血が欲しい。

 あなたの飲んだ同じ血をわたしにも頂戴。

 エミールの右手にうっすらと着いた血を凝視し大気に乗せて吸収する――体を貫く味覚に全身が歓喜に沸いた。こんなものが世界にあるなんて……。

「もっとくれてやりたいが、もう手に入らん。このように美味なら飼い置けば良かった」

 エミールはわたしの手を取り、朽ちかけたベンチに座らせた。
 血の味覚に吸血鬼としてまどろむわたしは思考が停止していた。

 首筋に冷たい唇が触れた。
 軽く噛まれ血を吸われる。

 背中を突き抜ける心地良さに身を任せた。

 唇が離れベンチの上に寝かされると、エミールは手を一振りした。
 コートのボタンが外れシャツのボタンも半ばまで外れている。
 エミールはわたしの首の傷に優しく口づけし囁いた。

「同属と結ばれるのが一番の幸せだ。子は陽の下で育ち夜はわれと語らうのだ。獣臭い血など直ぐに忘れる――」
 エミールの冷たい身体がわたしと重なる。

「獣の血?」

 言葉に出したわたしは、悲鳴と共にエミールを突き飛ばしシャツを左手で押さえた。

 空気に凄惨な気が満ちる。
 闇の覇者が見せる笑顔は残酷な殺戮者の物だった。

「薄汚い狼は来ない。棺の返礼に不死解除の日を探し出し本懐を果たした。この国の狼は完全に滅びた――復活は無い」

 指さす方に視線を向け、絶望の悲鳴が上がる。

 朽ちた墓石の裏から腕が覗いている。
 誰のものかは明白だ。

 エミールは同じく左腕を引きちぎり、阿人を殺してきたのだろう。

 エミールがわたしに与えたのは死闘の末流された血…………。

 生きるために抗った血潮の美味たる酔いに、わたしは吸血鬼として当然の反応をし、友人として最悪の結果を出した。

 戦って死んだ阿人の血がこれまで吸血した中で最高に美味だったからだ。

「いや……いやぁ!」

 阿人の腕から視線を外す事が出来ない。
 身近な者の死に接した事がなく、底の見えない喪失感と無残に引きちぎられた傷跡に眩暈がした。

 不死属性解除日(新月)とは銀の弾丸も無効とする狼男の命を容易く奪うのだろうか。

 足元を抜ける風に押されるように立ち上がり、コートを脱ぎシャツのボタンを留めた。

 わたしの顔に何を見たのかエミールは失望の色を浮かべた。

「姫よ、我の手を拒むのか……光の子を産みたる聖女。やはり、我らとは相反する者よ」

「エミール……あなたはわたしの生む子が欲しいだけ。亜種の生む子なら相手がオリジナルでも太陽の下で暮らせる可能性は高くなる。闇の子でも決して手の届かない血を分けた吸血鬼の子供が手に入る」

「我は、闇の子などいらぬ。血を分け光の下を生き夜は共に語らう者が欲しいのだ。闇の子ならその場で殺せばよい。子ならまた作れる」

「そんなの、許されるわけない」

 エミールはカッと牙を剥きだした。
 皮膚を刺すような妖気の刺激が怒りの沸点の高さを物語っていた。

 ほうら、怒りで全身が霞むよう。

「吸血鬼として生まれた貴様に何が分かる! 我は人間としての時間を永遠に奪われた。我を悪魔に換えた相手を滅ぼそうと付け狙ったが、人間に先を越されたわ! 愛しい姫は我の失踪で政略結婚に出され戦火と共に死んだ。奪われた時間を取り返そうとして何が悪い! 人間として生を終えたいなどと片腹痛いわ! だからこれまで殺してきたのだ。亜種など……亜種など滅びてしまえ!」

 呪詛を吐くエミールは妖気が紅くぎらつき、呪いの渦は天に向かって広がった。星の光が陰り闇に覆われた死の香りが強くなった。

「同情はしない。それがあなたの定めだからよ」

 わたしは冷たく言い放った。

-つづく-


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