平成生まれの、銭湯体験記。
平成元年の夏に、私は誕生しました。
良くも悪くも、過去のことをすぐに忘れるタイプである私は、通っていた幼稚園の名前や場所、小学校の組や友達の名前、昔住んでいたマンション名など、すべて忘却の彼方。高校のクラスも思い出せないレベルです。
幼い頃から全国各地を転々とした転勤族であったため、恐らく色々な経験をしているはずです。なのに、大抵のことは覚えていない。あぁ勿体無い。
恐らく、平成生まれの私でも、行ったことがあったはずでした。
銭湯。
先日「仕事」について熱く語った記事にうっすらと書きましたが、ほんの数日、工事のため、家のお風呂に入れない時期がありました。
一晩だけなら耐えられても、2日以上風呂なしはさすがにキツい。どうしようかとなり、急遽グーグルマップで「銭湯」と検索し、家の近所にあるらしい(けれど一回も行ったこともなければ前を通ったことすらない)銭湯に行くことにしました。
私の記憶の中では、銭湯(スーパー銭湯ではなく、本気の銭湯とでもいいましょうか)に行ったことはありませんでした。未知の体験。もはや気分は、小旅行です。家から5分なんですけど。
母と二人、銭湯まで歩きながら話しました。
「番台に、おっちゃんがおったらどうしようか」。
流石にそれは嫌でした。映画でしか見たことのない、「番台」。男湯も女湯も覗ける状態なんて、気が狂っとんかといいたくなるシステム。いくら男女の裸を見慣れているであろう銭湯の番台のおっちゃんとはいえ、おっちゃんの時点で無理。絶対無理。マジで無理。ほんとに嫌。もし番台におっちゃんがいたら、すぐに引き返す。何日でも風呂なしで生きてやろう。そう決めて、銭湯のドアをガラガラと引きました。
靴を靴箱に入れます。ここまでは、居酒屋と一緒です。
中に入りました。
・・・・カウンター式でした。
よかった。嫁入り前の私、番台との戦いに勝利しました。
カウンターで、2人分の料金を支払う母。一方私は、カウンター横に置かれている棚に釘付けでした。
これです。
これは・・・・・・のり・・・・・?????
母が「いやぁぁぁぁーーーー、懐かしい!」ときゃっきゃします。
どうやらこれは、シャンプーのようでした。一個30円で売られていました。私には、小学校に置いてあった、あの紙をくっつけたりする「のり」の短いバージョンにしか見えません。
これ。(え、ていうか、色合い、シャンプーと一緒では・・・!?)
試そうか迷いましたが、ただでさえ癖っ毛・ショートヘアの私の髪の毛をこの子たちがどうにかできるとは思えず、持参した旅行用のシャンプー・トリートメントを使用することに決めました。番台におっちゃんが座っていなかっただけでは、まだ銭湯に対する警戒心は解けません。守りに入る私。
「女湯」と書かれた暖簾をくぐります。
鍵付きのロッカーがずらり。おぉ。鍵がついているとは。よかった、安心である。
「女子校あるある:脱衣所で服を脱ぐのが早すぎる」の私は、秒で服を脱ぎ、いざ!大浴場へ!!!!出陣なのじゃぁ!!!!
ケロ・・・リン・・・・・・・??
そこには大量の、黄色い「ケロリン」と書かれた桶が。
な、なるほど、こ、これを使うのだな。
全裸で動揺 これが銭湯 いざ行こう。(ラップ)
私より30〜40年ほど人生経験が多いと思われる先輩方が数名、いらっしゃいましたので、私はお邪魔にならないよう、ケロリンを手にし、人の少ないあたりの洗い場へ直行しました。
そこで、出会います。
固定式シャワー。
壁から生える、シャワー。しかも、上の方ではなく、目の前から生える、シャワー。手で持つことができません。
私は、戸惑いました。
みなさん、シャワーって、どう浴びますか??
ここで「オギャー」と生まれた時からずっと私を見ていたはずの母も知らない私の一面を見せることになるのですが、私はシャワーを、手に持って、このように頭を洗います。
つまり、顔に水がかからない状態で髪の毛を洗いたいのです。
もっとどうでもいい情報をご披露しますが、私は泳げません。カナヅチです。ゆえに、そこまで水と仲良くできません。顔を水につけるなんていう時間は、なるべく少なくしたいのです。
固定式シャワーを見て、「どう髪の毛を洗えと・・・?」と思った私に、実演披露してくれたのは母でした。
「下向いて、こうやって洗うんよ。こうすれば、手も疲れないやろ」
私は思いました。「溺れる」と。
しかし、シャワーを使わずに髪の毛を洗うのはもっと大変です。ケロリン桶だけで頭を洗ったことなんてありません。あぁ。なんて無力なのでしょうか。「人間偏差値」でいくと、多分私は20にも満たないでしょう。入れる学校、無いよー。えーん。
そんなこんなで、「グホッ、バフっぉ、クハッ」などと言いながら、まぁ要は半分溺れかけながら、髪の毛を洗うことに成功しました。人間偏差値は25にアップです。
無事身体も洗い、さぁ湯に浸かりましょうか。
湯は、なかなか気持ちの良い温度で、とてもスッキリとした気持ちで楽しむことができました。古き良き、映画で見るのとほぼおんなじ「富士山」が描かれた壁。こんなに古典的な銭湯、いまだにあるんだな、と感心しながら、普段一緒に風呂になんて入ることのない母と、親子水入らず(水、あるな・・・)の時を過ごします。
母が、話し始めました。
「昔な、母さんが小さい頃なんかはな、銭湯行くと、茶色いもんが浮いてたんよ」
・・・・・!?
「そんでな、番台のおばちゃんに、『浮いとるよ!』って言ったら、おばちゃんどうしたと思う?そのう○ち、ザルみたいなやつで掬って捨てるだけなんよ。っはっはっは!!今思い出しても、笑えるなぁぁぁーーーー^^」
・・・いや全然笑えない。ここ、銭湯。今その話されるの、ホラーやん?????
そんな愉快な時間を過ごし、脱衣所に上がります。
脱衣所は、一つの広い部屋の間に壁で仕切った造りになっていて、天井が男湯の脱衣所とつながっていました。要は、男湯の脱衣所と、会話ができる状況です。
脱衣所にはテレビが一台置いてあったのですが、そのテレビはなんと、その間にある壁の上に乗せてあります。要は、男湯脱衣所からも女湯脱衣所からも見れる位置に置いてあるのです。テレビ一台で済む方法。・・・・・・賢い。
キッチンにある測りみたいな古いタイプの体重計で体重を測り「ヒィ」となりながら、バスタオルを巻いたまま涼みます。なんだかんだ、良い湯だったな。
とその時、同じ頃にお風呂から上がった30代後半くらいと思われるお姉さんが、男湯脱衣所に向かって叫び始めました。
「まぁくーん?たぁくーん?」
(おっ、この感じ、息子くんたちが旦那さんと一緒に男湯に入っとるな?微笑ましい微笑ましい^^)
『はぁいー!ママーーーー!ママぁーーーーーー!?』
ドタドタどたっ!!!!!ガチャガチャっっ!!!!
(・・・・・・・・!?)
「ダメよまーくん、そこ、あけちゃだめ!」
そう、まーくんは、男湯脱衣所と女湯脱衣所を唯一隔たらせてくれている大切な壁についたドアを、思いっきりオーーーーープン!!!!しようとしたのです。おいおい恐ろしいぞ。そのドア、鍵かかっていて開かなかったものの、開いてたら地獄絵図だったぞ、おい、まーくん、そこに座りなさい(怒)。
涼み終わった私は、「あーー・・・・なんも考えてなかったけど、ここ、ドライヤーあるんか?」と思いました。
ふと、洗面台を見ます。
なんとそこには、パナソニックのイオンドライヤーがあるじゃあありませんか!!!!!!!!!!!!!!
感動。光り輝いて見えました。だって、カウンターにあったのは、このシャンプーです。
そんな銭湯にあるドライヤーが、これ。
脳内の時代設定がバグります。
ドライヤーを手にし、ウヒョーとテンションが上がりながらスイッチをオン・・・に・・・・したのに・・・・?あれ?動かない・・・
そこで気づくのです。
これ、有料だ、と・・・・・。
10円玉を入れる機械が、横に添えられていました。「10円 分」。
一番肝心な「分」の数字が、マジックがかすれて見えません。
財布の中を確認しました。10円が見えません。10円玉が、ありませんでした。このキャッシュレス時代に、10円玉なんてそんなに持ち歩きません。
そうです。銭湯の世界観にやられて忘れかけていますが、今私が息をしているこの時代は令和であり、私が生まれたのは平成の時代であり、そして今はキャッシュレス社会なのであります。
辛い。寒い。
シンプルにそう思いながら、髪を濡らしたまま、バスタオルを肩にかけ、家まで歩いて帰りました。
翌日も、同じ銭湯へ行きました。
初日から変わったことといえば、固定式シャワーに戸惑わずに「プチ溺れ」くらいで済ませられたことと、カウンターのおばちゃんに「お金、両替しようか?ドライヤー、使わんの?」とドライヤー営業をかけられたくらいです。
あたたかい昭和の空気が、そこにはありました。
特に理由はないんですけど、無くなるのは寂しいなと、思いました。
各画像は、下記HPから拝借させていただきました。
シャンプー:株式会社昭和化学
のり:ヤマト株式会社
ケロリン:富山めぐみ製薬 ケロリンファン倶楽部
ドライヤー:パナソニック 商品一覧
絵:わたし
Sae
「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。