「自分がやってる」と思うか否か。2021年11月近況

私のペースでは記事更新はご無沙汰だが、この記事を読んでみようと思った同志の皆さんは(リピーターの読者の方も、初めての方も)お元気か。
書こうと思えば書くことはありつつも、ほとばしるほど筆に込めたいものがなかったためにそのまま過ごしていた。
アウトプットしない時期の良い点は、誰に向かって語ることもないのでひたすら自分の内の、等身大の様子をただ自分のために知り続けることかね。

すると特に盛り上げることも盛り下げることもなく、「今の私はこうなんだな」という自分の内の構造を知ることができる。

私の活動、こうした記事を書き続ける真の目的は、「あなたがあなた自身を知ること」「あなたの力・あなた自身の創造の力を自覚した上で、それこそを頼りにできること」のバックアップ(後援)だから、私本人も同様にそれを実行していたい、フォーカスしていたい。でなければ私の語っていることは形だけの、机上の空論やポーズになってしまうからね。

さて、ちょっとしたシェアリング、そして近況として、近頃私が感じていたことやそれらを感じる具体的なきっかけになった事柄を、あるテーマのもとでここに列挙してみよう。

メインテーマは「自分がこれをやっている」

人生において何に対しても「自分がこれをやっている」と知っているか否かで、感じ方や反応、生み出す態度が大きく変わってくる。

それはあなたが「遊び」を楽しんでいるときのことを思い浮かべればわかるだろう。あなた自身が「これが遊びである、ゲームである、ごっこである」と知っていると、ある規定や世界観の中での「良い状況」「悪い状況」などの判断に関係なく楽しめる上、どんなときでも「これは遊びなのだ」という自覚によって自身の内の安定や余裕、いわば「心の平和」を真に失うことがない。

では、もしそれを忘れていたならばどうだろう?
つまり状況如何で「自分の存在がおびやかされる」とか「価値が変動する」ことが可能であると思い込んでいたら……? おお、身震いしたくなるね!
だって、そんな信念のもとではあなたは必死になって状況、すなわち「自分の外に見えるもの」をコントロールするだろうし、その試みは、この現実の性質的に「うまくいかないサイクル」を必ず経験させるだろうから。※
※これを詳しく学びたい、復習したい方は★霊的な目覚めと創造★マガジン内のお好みの記事をどうぞ。

正気の自己認識のもとでは、すべてを自分自身の創造として眺める。
自分がやっていることなら、変えられるのも自分。
そこには無力感がないから、創意工夫の楽しさ、体験すること自体の楽しさを思う存分味わえるのだ。

日常に現れるあれこれも全部あなたの創造

私もときには「これは私がやっている」という根本を忘れ、あたかも映画を製作している者でありながら「自分の知らない映画の中で、ある状況を否応なしにあてがわれた登場人物」に陥った気分になり、ハッと「いやいやそうではないのだ」と思い直す機会がある。

ちなみにしばらく記事を書かない間、これについては書きたいなという思いが私の内で少々芽生えていた日常のトピックは、ざっくり以下の通りだ。

◇ミスジさん(私の部屋に住んでいるハエトリグモ)、なぜか私になつく。自主的に手乗りグモになるほどの様子だったが、この数日は姿を見ていない(生きているのか?)
……ミスジさんに関する前回記事はこちら★「ミスジさん(ハエトリグモ)との共暮らし」

◇素爪のロングネイル状態、継続。ハイポさん(ハイポニキウム・爪下皮)の成長を観察する。
……これについての前回記事は★「素爪をロングにして新境地・日常生活からの価値ある発見」

上に関連して、爪を慈しみつつ伸ばしているとヘアケア時に爪に色がつくのが嫌になり、それまで愛用していたインディゴミックスのヘナ製品から、ヘナに移行(インディゴを使用すると頭に塗布するとき以外にも、しばらく髪や頭皮に残留して爪に付着するのを避けられないため)。
……note内でヘナに言及している記事は★「習慣を見直し、調和したライフスタイルを選び直す【満足度の高いセルフカット編】」と★「セルフカットで冷や汗かきかけても大丈夫! 【テキトーに極めようセルフカット道】」など。
現在はこちらを愛用して使い心地を観察中→★マハラニ・カラートリートメント花ブレンド★(染色成分はヘナのみだが、トリートメントや香りの目的で他のハーブがブレンドされている製品。)

――どの項目もそれぞれをひとつの記事に仕上げられるほどレポートできる内容があるのだが、ここでは省略する。
そこに共通しているのは、かつての私に各項目の内容を「こうしなさい」と外部から強制したならば、必ず抵抗したであろうということだ。すなわち、

ハエトリグモが好きでなかった私が、ハエトリグモになつかれたら?(その時点ではそうなる可能性が薄そうだが……)そんな状況を私は好ましく容認できただろうか。
爪を短く整えることが快適だった時の私が、爪を伸ばすようにと強要されたら? それで生活することは不愉快で、苦行のようにすら感じただろう。
同じく、使い心地や髪の発色などトータルでインディゴを混ぜた製品が自分に合っていると思っていた私が、その時点でもし誰かにヘナのみの製品を使うよう強いられたなら、たとえ同じ製品を選んだとしても、今のような感性で楽しむことはなかっただろう。それまで慣れていた物と比較して面倒だとか色が気に入らないとか、何かしらネガティブに感じたに違いない。
どれもが「自分でそうしたくてやっている」と認めているから面白いのだ。

日常のどんなことも、あなたにとって好ましいことであれそうでないことであれ、大きく感じることでも小さく感じることでも、それらを自身の創造と知るか、そうではないと思い込むかであなたの起こす反応も、できることも違う。
あなたの経験する現実すべてはあなたの創造だ。これに例外はない。このことを認めるか否かで、人生の質は確実に変わる。

人生に変化はつきものだが、何かにつまずいたり、そのままではどうにも進めなかったり、不便が生じたりすると、これまで当然になっていた物事をも含めた「今」を見直すことになる。やむをえずかもしれないが、自分という存在のイメージを構成する要素を点検するのだ。
そうした機会をあなたが歓迎するにせよ、そうでないにせよ、感じ方はどうであれ実はそれらは妨害のために生じているのではなく、あなたがこれまでよりもトーンアップした「新しい自己、そして新しい世界」に移りたいときに起こる。
逆に言うと、私たちが壁にぶち当たったり、困難が生じたり、あるいは停滞しているように感じるときには、さらに良い自分(よりあなた自身の希望と一致したあり方・人生)への招待を自分で自分宛に送り、それを受け取っているのだと捉えていい。

状況を利用して、あなたはあなた自身を知る。
あなたが現実として経験する物事の発端は、自分自身の思い・考えであり、源は内にあるということを覚えておこう。

それによってあなたは今あるあなた自身の力を忘れずに、望む方向に向けることができるからだ。


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