ミスジさん(ハエトリグモ)との共暮らし

振り返れば今年の私は着々と、ハエトリグモへの思いをもうワンランクアップグレードさせる準備を整えつつあった。
私のハエトリグモへの思いは「どちらかというと苦手」から始まり、「嫌いじゃないよ」になり、それが今年は「親しみ」にまで自然と移行していたのだ。
そしてついに! 思いがけずハエトリグモ界に私の「お気に入り」までもが現れた。夏のことである。
2021年7月の◆「クモへの今年の心情と、全生物に新たに実用したい夢」、そして8月「ちんまり身辺の生き物ニュース・目覚めたまま遊ぶエネルギー世界」の2つの記事には、今夏私がハエトリグモに接してどんな様子だったかと、私の心に残った出会いとを描写している。

その時からさらに季節が移り変わった今、私は共に暮らしているミスジハエトリのオス「ミスジさん」を紹介したいのだが、このようにハエトリグモに親しみを持つまでに辿った私の旅路をもう少々語らせてもらおう。

ハエトリグモは私のこれまでの暮らしの中で、ごく当たり前に見かける存在だった。ほかにもそういう人は多くいるだろう。人生のある時期まで、彼らをどう思うかすら特に意識しなかった。
ところが都内で暮らしていた頃、「アダンソンハエトリ」と名付けられている黒い体のハエトリグモとかなり頻繁に室内で会うようになる。室内に虫の出現の少ない都内にあっては(あの虫を除き)目立つ存在で、当時の私は掃除中などに見つけ次第、窓から外へ出していた。
その頃ほかに苦手な虫(ここではクモも虫と総称する)が私には色々いたのだが、ハエトリグモに関しては、苦手といっても触れないとか怖いという感覚はなかった。そのくせ、好意的な気持ちになれなかったのだ。私にとって好みとして「純粋に嫌い」と言い表せそうなのがハエトリグモだった。
その姿勢は、クモがほかの虫を食べてくれるんだよと、人間から見ての「害虫・益虫」の区分で益虫扱いされようとも、全く動じなかった。そのような理由で自分のハエトリグモへの気持ちが変わることはなかったのだ。

しかしその後、私が「虫愛・エンライトメント」と呼んでいる、虫に対する愛情の一種の覚醒を経て、このnote上でもそこそこ多く虫の話題を取り上げているほどに虫への見方が大きく変わった(自然や生き物にまつわる記事は★ネイチャーコミュニケーション(生き物たちとの交流)★マガジンに収録している)。
それでもなお、ハエトリグモに対しては「彼らのことを知って好きになろうと努めても、なかなか心からはそうなれない」という「純粋な苦手意識」を認めた上での、自身の心情のゆるやかな変化を見守ってきたのだ。

いつしか、もうひと押しで本当に「純粋な(好意的な)愛情」と呼べる手前まで来ていた。その状態へ押し上げる最終的なきっかけをくれたのは、家で出会ったミスジハエトリのオスたちだ。

ミスジの大将の次は、小柄で懐っこいミスジさん

ミスジハエトリとの出会いは、先に紹介した記事◆「ちんまり身辺の生き物ニュース・目覚めたまま遊ぶエネルギー世界」で綴った2ヶ月ちょっと前にさかのぼる。そのとき私は初めてミスジハエトリを認識し(それまで今の家でよく見たのは私の記憶が正しければチャスジハエトリだった)、目周りが緋色で体格のよいオスの彼を「大将」と呼んだ。

大将とは、あまり親しくならなかった。上述の記事に書いたとき以来、一度同じ玄関で出会ったことがあるが、そのときは威嚇はされなかったものの(前回に私は初めてハエトリグモからのはっきりとした威嚇を経験)、私が近づいて目を覗き込んだ後、あからさまに「ぷい」と後ろを向かれたのだった。
それ以降、私は大将の姿を見かけることはなかったが、そんな大将の個性も私のお気に入りだったと言える。

大将のおかげで「ミスジハエトリ」という種にすでに好感を持っていたが、それはあの個体に対してだけかもしれないと思っていた私の前に、しばらく経って彼が現れた。

出会いは、今月(2021年10月)に入ってからのある夜。
私がノートパソコンに向かっていると、ひょいっとモニターの後ろから小柄なハエトリグモが元気よく現れた。模様を見ると、オスだ。
ハエトリグモが明るく光るモニターに寄ってくる話は聞いたことがあったが、自分の体験としては初めてだった。

そのクモはぴょーんと飛んで、身のこなしが軽やかで、遊んでいるみたいで懐っこい印象を受けた。
クモはモニターの光に執着するわけでもなく、ノートパソコンの上や周りのあちこちをちょこちょこしていたので、排気口など案外彼の体より大きい隙間がパソコンにあることを懸念した私は、「この周りは危ないよ、別の所へ行きな」というようなことを言い、ほかの場所に彼を誘導した。
ちなみに、このときはまだこのハエトリグモがチャスジなのかミスジなのかをしっかり確認することはしていなかった。

すると、あくる日のこと。
再び同じ時間帯に、私のデスク周りにそのクモは現れた。やっぱり軽やかにぴょんぴょんと跳ねている。
私は目を凝らしてよーく彼を眺めてみた。大将に比べると体がかなり小さく、ぱっと見はそうとわかりづらいものの、目周りは緋色だ。オスのミスジハエトリであることがわかった。

けれども肉眼では、部屋を間接照明で照らしていたせいもあったが細かくは確認しづらい。そこで私はカメラで撮影することにした。

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……ん?

私はスマホのカメラを使い込んでいない。というか、なぜかスマホのカメラを使いこなす気分になれない。近年まで好んで旧式の携帯(通称ガラケー)を使っていたせいもあるのかもしれない。その頃、写真撮影は古いデジカメか、その携帯のカメラ機能を使っていたが、携帯カメラはくっきりしすぎないところが気に入っていて、いまだにそれを使うこともある(余談だがnote上のこの記事の写真が該当)。

今回はとっさにスマホをつかんで撮影したわけだが、薄暗い物陰にいたクモ君を照らすため、画面やや左上には私が懐中電灯を持って青白の光を当てている様子を判別することができる。そうと言われなければ気づかないほどだが……カァッとクモ君の体をLEDの光で照らしたところ、全体が白飛びして、私はそっとライトをそらすという半端な結果に至ったのがこの一枚だ。

キュートなミスジさんの姿

このとき私は、このハエトリグモを「ミスジ先生!」と自然と呼んでいた。
ミスジ先生は物が置いてある陰となる壁の上にいたため物をずらして撮影したのだが、そうした作業をしている間にもミスジ先生には写真を撮らせてねと声をかけ、脅かそうとしているわけではないことを理解してもらった。

ただ、私の側のやる気はといえば「気まぐれ」にすぎず、普段から写真撮影にまったく情熱を持っていない私は一枚目の出来を見るとすぐに、何の未練もなくスマホを置いた。二枚目を撮る気はなかったのだ。

ところが……しばらく経ってもミスジ先生は近くをうろうろしている。こんなに見えるところにずっと姿を現しているとなると、もう一回くらいは撮影にチャレンジしてみようかな、という気になる。

以下、そのとき撮影したミスジさんの姿をお披露目するが、先に断っておくとぼやぼやのショットである。ピンボケだったりズームで画素が粗くなったりしているが、このぼやぼや写真に写っているミスジさんが私から見るととてもかわいい。

<ミスジさんのご様子>
↓この写真はミスジさんの正面のお目々がよくわかるよう、体の向きに合わせて写真を回転させてある(元は上下さかさま)。

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どう? まるでゲームや漫画で親しまれるキャラクターのよう。このお目々のかわいさやいかに……。まんまるいお目々と目周りの緋色、そして触肢(顔の下の丸っこい短いお手々のように見える部分)の構えにも注目だ。

ちなみに私が最初にハエトリグモを心から愛らしいと思えるようになったのも、あるとき家の窓のそばで朝日に照らされながらハエトリグモ(そのときはチャスジハエトリ)が触肢で顔を手入れしている様子を見てからだった。
ハエトリグモの触肢をしっかり見たことがない人は、ハエトリグモに会ったら注目することをおすすめする。

また、以前の記事でふれたことだが、ハエトリグモは視覚の反応がわかりやすく、動きや表情にもそれが反映されやすい。目に意識を置きがちな人間にとって、そんな様子も親しみやすいと言えるだろう。

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↑正面の丸目の目線を斜めにして、たそがれているかのようなミスジさん。(この写真も向きを上下逆にしてある)

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木と一体化して境界がぼやけて見えるミスジさん(それは撮影者のせい)。ぼやけなければ背中や脚の模様がよく見えたであろう一枚。

ミスジさんはこの撮影の後、私のデスクの上の小物などに乗り、しばらくはぴょんぴょん歩き回っていた。私の経験ではこんなに平素から跳び回るハエトリグモも初めてだ。

ミスジさんとの共暮らし。「空気のような存在」は、いい意味で。

それ以降も私は同じ部屋でミスジさんと対面し続けている。出会う時間帯はまちまちで、場所もそのときどきで違うが、決まってこの部屋の中にいる。自宅の他の場所では見かけない。

一度注意したことが伝わったのだろうか、ミスジさんはノートパソコン周りには現れなくなった。「よっ」「おお」みたいな感じで思いがけないところで互いに目が合い、挨拶をしては、あとは各々好きに暮らしている間柄だ。
飼っているのではないし、飼われているのではない。ただ、同じスペースで暮らしていることを知っており、友好的な思いを抱いている(少なくとも私の側はそうだ。そしてミスジさんも、他のクモよりはやっぱり人懐っこい感じがあるのだ)。

かつてなかなか心から好きになれないと思っていた「ハエトリグモ」の魅力を見事に教えてくれたミスジハエトリたち。
彼らは他の種類のハエトリグモよりも、何かが私にとってツボだったようだ……と考えかけて、いや、その前に自分の心が変化していたのだろうなと思い直した。だからこそ、私の好みによりぴったりなハエトリグモと出会う展開になったのだろう。

一応付け加えておくと、ネットで調べれば様々なハエトリグモの美しい写真をたくさん見ることができる。くっきりしたそれらの写真を見ると、ハエトリグモがどんな姿をしているかがとてもわかりやすい。(ミスジハエトリの姿をしっかり見たことがない方へおさらい。以前も記事に載せた写真だが、●ミスジハエトリ - Wikipedia より、オスの写真。ご参考に。)

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ミスジさんとの共暮らしをしているうち、ふとこんな連想が浮かんだ。
「空気のような存在」という表現は、良い意味にこそ使えるのだなぁと。
空気は生存になくてはならない大切なものだが、空気を日々意識することはあまりない。自然に共にあって交流しているけれど、縛ろうとか独占しようとか一挙一動を監視しようとは思わない。けれども気にはかけていて、空気が澱んでいたら換気をしたり、心地よく過ごせるように空気の流れを作ったりはするだろう。

私はミスジさんの存在を知っている以上、この部屋が彼にとって安全であるようにという程度には気にかけている。だが、その生活を細かく追跡しようとは思わない。元気で彼の生命をまっとうしてほしいなとは思うが。

互いに尊重しつつ、好きにやる。
ぴったり密に生き物と関わるのも素敵だけれど、近年の私はこうした関係性に心安らぐのを感じている。

☆ミスジさんその後に言及している記事はこちら☆
「『自分がやってる』と思うか否か。2021年11月近況」


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