ごきぶりは都会の虫だと母は言う・私の黒ごき試験の結果

今日も予想通りの定時のお出ましだった。昨夜、家のリビングで遭遇した黒ごき(クロゴキブリ)のことである。
前回◆「黒ごきへの微妙な対応【全生物に I love you】」と今回とをあわせて、これを「ごきぶり二部作」としたい。三部作まではちょっと、やらないかな……。
(前回は全文無料の記事。未読の方はそちらもどうぞ。)

ごきぶりといっても実はたいへん種類が多いが、日本の関東の「屋内に出るごきぶり経験値」に限定したら、私はそこそこ高い経験値を持っているかもしれない。なにせ都内で暮らしていた頃は、地域が変わっても必ずごきぶりと遭遇していたからだ。住んでいた賃貸の建物、会社、飲食店やコンビニ、道路上にも彼らはいた。

いや、私に限らず多くの人が、「とっておきのごきぶり経験談」のひとつやふたつ、あるいはそれ以上にたくさんの独自エピソードを心にしまっているのではあるまいか。
その一方で、東京に出てくるまではごきぶりを見たことがなかったという私の母のような人もいる。

ごきぶりにまつわる私自身と母のそれぞれ異なるエピソードを語りながら、今回の遭遇体験の結末、そして、前回説明した「生き物への博愛の試金石としての、黒ごきとの遭遇」を試験のように捉えると、今の私は合格したのか否か、この体験から何を感じたのか……までを綴る。

名前を付けても好きになれなかった思い出

都内で頻繁に見るごきぶりは二種類だ。クロゴキブリとチャバネゴキブリ。私はそのどちらとももれなく遭遇の経験がある。
前回記した通り、都内に住んでいた頃と違って今ではほぼごきぶりと出会わないので、昨日黒ごきが家に出たという話をしたら、自身も昨年黒と遭遇済み(都内在住)の妹が「クロゴキブリは家で繁殖したり家に住みつくことはない、餌を探してさすらってるだけだから大丈夫」と励ましてくれた。

しかし、それは私にはあまりぴんと来ないのだ。ネットで調べてもそういう情報は出ているが、私が二十代の頃住んでいた都心の部屋に連日姿を現し、台所を気に入っていたのが黒ごきだったからだ。
自分でできることの中で、たとえば清潔にするなど、彼らを寄せ付けないための注意はしていた。でも、どんなにきれいに後片付けをしても料理をすると彼らが来るので、ついに私は自炊を極力やめてしまった。それほど嫌だったのだ。そしてその効果はあった。チャバネはたまに出るけれど、室内での黒との遭遇は減ったのである。今思うと、その建物は立地が良くてメンテナンスもされている方ではあったが、築年数がかなり古く、マンション全体の配管か何かの中に黒ごきが住んでいたのだと思う。

その部屋に黒ごきがまだよく出ていた頃、帰宅すると冷蔵庫の上にいたり、台所にいたりすることに私は疲れてしまった。なにせ彼らは体が大きい。軽く見過ごすことができる感じとは異なる。殺すとしてもエネルギーが要る。

にっちもさっちもいかなくなった当時の私は、自分の心が変われば楽になるはずだと思い、彼らに愛情を持てるよう名前をつけることにした。個体差は識別できなかったが、とりあえず黒ごき全般に「ジョン」と名前をつけた。英語名で適当に思いついただけのネーミングだった。

しかし……その頃の私は、その程度で彼らに親しみや愛情を持つことはできなかったのだ。正直、姿を見るともう泣きたかった。またいるよ、ジョン。
そうして結局、前述の「料理をやめる戦法」と、市販の対策品の設置などにより効果を上げることができたのである。それでも思いがけない時期に本棚の陰に死体が転がっているのを発見したりはしたものだが。

それ以降も私は都内の別の複数の地域で暮らした経験があるが、たまたまどの建物も一階に飲食店やコンビニが入っていたせいか、室内に現れるのは主にチャバネだった。マンション内のごみ置き場には百パーセント常にいると言ってよく、そうなるとさすがに慣れて、人が入るたびチャバネがびくっと怯える様子が気の毒になったりもした。

つまり今回の黒ごきとの遭遇は、私にはかなりブランクがあったのである。
また、ジョンと名付けて慣れようとしたあのつらい体験があったからこそ、現在の自分の内的態度を知る「試金石」にこの虫がふさわしいと思ったのだった。

洒落た、都会の虫!?(母)

ところで2年近く前、このnoteを始めて間もない頃、日常エッセイのひとつとして書こうと思っていた内容が、「ごきぶりは、都会の虫だと母は言う」だった。ある日母と話して盛り上がったことを記事にしようとキーワードを紙のメモに残してあったのだが、書くことがないまま今に至っていたのだ。
けれどもメモは捨てずに残っていて、今こんなふさわしい流れでその話題を記事にしている。

母は東北の、冬には雪がたくさん降る地方の出身だ。また、母の両親は私が生まれる前に亡くなっているのだが、二人とも北海道の出身である。
それで私はある日、「北海道なんかの寒い地域だと、ごきぶりを見たことがない人もいるらしいね」と母になにげなく語りかけた。すると、母は意外なことにこう言ったのだ。
「私も東京に出てくるまで、ごきぶりを見たことはなかった」と。
母の両親もごきぶりの話などしたことがないと言うのだった。

だからこそ、母にとってごきぶりは「洒落た、都会の虫」との印象があったのだという。

ごきぶりがお高くとまっている!?(母)

もちろん、ごきぶりという虫がいるということは聞き知っていたのだが、「ごきぶり」という語は東京弁だと母は感じていたそうだ。
ごきぶり……なんだかお高くとまっている感じ。素敵そう。そんな感想も抱いていた。
(ごきぶりの「ご」に「御」という漢字を連想し、高貴さもイメージしていたのだと今日になって新情報を追加してくれた。)

私はその話を聞いたとき、笑った。ごきぶりが都会にいる虫だというのはまだしも、ごきぶりという語まで都会的だと感じるの? と。

すると、「だって、田舎では虫の名前っていうと『くさんじょろ』とかで、ごきぶりなんて洒落た呼び方の虫はいなかったもの」と。くさんじょろ!? 調べると、カメムシのことのようだ。
母は虫が好きではないので興味すら持たず、それがどんな虫だったかや他にどんな虫の呼び名があったかもほとんど忘れてしまっている。

母が就職のために東京に出てきた後、ごきぶりに遭遇する機会があり、これがごきぶりかと思ったそうだ。周囲の人々が「キャー!」とか言って嫌がるのを見て、そういうものだと学んだらしい。まあ、母は元々虫全般が苦手ではあったわけだが。

とはいえ、やはり東京の人の反応に合わせていった経緯はあるようで、この話の展開で意外だったのは、そのように虫が苦手な母がかつては郷里では、料理された「いなご」を何も思わず食べていたということだ。

いなごの料理を「気持ち悪い」と言われて(母)

母にとっては、子どもの頃に母親が作ってくれたので、いなご料理に抵抗はなかった。母親が七輪でいなごを炒っているのを、そばで楽しく眺めていた記憶もあるそうだ。
だから、東京で就職した後、帰省した際に東京の人たちへのお土産として、いなごの料理を選んで買ってきたことがあった。郷里のものだし、東京の人にはきっと珍しいから喜んでもらえるかな、という感覚だったという。

ところが。そのお土産は、「気持ち悪い!」と言われてしまったそうだ。
そのとき初めて「えっ、気持ち悪いんだ?」と、そういう反応があることを知った。そして今ではもう、母自身もすすんで食べたいとは思わなくなったらしい。

ごきぶりの話にしろ、いなご料理の話にしろ、後から価値観がインストールされて適用される例として興味深い。
自然に生じたのではなく、特定の反応が大人になってからの経験によって「学習され、加えられた」のだ。
こういうことは私たちの人生に多々あるよね。

私の今回の「黒ごき試験」の結果は? 体験を通して感じたこと、自分をどう見つめたか

それでは、今回の黒ごきとの遭遇を私がどう終わりにしたかと、この出来事を通して私が感じたこと、今の自分をどう捉えたのかをお話しする。

冒頭で書いたように今日も昨日と同じ時間帯、ぴったり同じ場所に黒ごきが再登場した。ダイニングテーブルの下だ。
私はこれを予想していた。私の予想はシンプルにこれまでのごきぶりたちとの経験に基づくのだが、それでもなお、予想した通りあまりにも律儀に同じ行動をとったから、少し驚いた。

昨日と同様、部分的に真上の電気が消されており、その位置は薄暗くなっていた。目をこらさなければ一見、いることがわからない。
けれども私は、家族が夕食をとっていてにぎやかで電気も明るく照っている頃には決して相手は現れず、父が就寝した後あたりに必ず出てくるだろうと狙いを定めていたので、リビングに入った途端、見当をつけていた箇所に目を走らせたのだ。

幸い、母は起きてテレビを見ていて、私は母の協力をあおげるうちに何とかしたかった。そこで、「出てきてるよ!」と母に声をかけると、母も見に来て「ほんとだ」と言い、私たちの気配に相手は即反応して、ちょろちょろっと走って少し移動した。その姿を見て、母は「普通に、ごきぶりだね……」とつぶやいた。
昨日の私たちの「何かコオロギ的な秋の虫だよ」という観測はなんだったのか。今目の前に見えるのは、どう見ても立派なごきぶりなのだった。

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