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Ⅱ章 彼女の場合⑦

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※本話は、試合内容を含みます。説明の補助のため、コート画像/用語集を転載しております。


「なんで俺が純と入れ替わらなきゃならないんですか!!」


 第3クォーター終了時点
  由比ヶ浜高校 52 ―― 青応大附属高校 49


 抑えきれない怒りと悲しみが混ざり合ったその声は、3年間を共にした監督とメンバー達に向けられた。亮二の声がベンチに響いた。


  最大17点差のリードを付けた由比ヶ浜の流れは、第3クォーターで完全に変わってしまった。中心人物の悠木 純が抑えられたこと、そして相手のエース 瀧 歩に、亮二が突破されたことが原因だった。

「お前じゃ勝てない。後半の追い上げは、どこから突破された。お前だってわかってるだろ?」
「んなことわかってるよ!でもアイツの動きにやっと慣れてきたんだ。本当さ。次は大丈夫だって!」
「意地張ってる場合じゃねぇだろ!俺がフォロー入っても突破されてるんだぞ!?」

 ハルと慧が促しても、彼は曲げなかった。
それまで一度も負けたことのない幼馴染への劣等感。それがチームを追い込む結果になっていることを受け止めるには時間が足りなかった。

「昔は負けなかったんだ。……だから大丈夫だよ」

その声は、周りではなく、自分自身に向けられた言葉だろうか……。

 わかりました。と応えて、嶋監督は重い口を開いた。
「亮二君。この試合は君だけのものではありません。由比ヶ浜高校バスケットボール部の試合です。それぞれが想うところがある。貴方は、それを解って意地を通すことになるのです……わかりますね?」
「私は正直言って、――――君では勝てないと思います。今すぐにでも純君の救出役に回って欲しい。彼しか勝機はありません。それでもというのなら……」

そう言って、嶋は4本の指を彼に見せた。

「4分待ちます。試合が始まれば、我々は早々に追い抜かれる。点差が大きく広がらないように4分間持ち堪えてください。そして、その後は必ず純君のカバーに回ってください。約束ですよ。」

 ありがとうございます、と言って、亮二はハルたちとコートへ戻った。


「先生。さっきのが厳しい決断なんですか?」
「いえ……。これからです」
「……どういうことですか?」
「おそらく4分後には大差になっているでしょう。それに青応側も早い段階の入れ替えは望まないはずです」
「……どういうことですか?」
「簡単なことですよ。青応にとって、亮二君は「カモ」だからです」

 試合を眺めながら、監督は落ち着いた口調で諭すように舞衣に語りかけた。

「青応の攻めは、前半で観察して、後半に脆いところから確実に攻め、追い上げる勝ち方です。――――現状、亮二君のところの戦力差が一番大きい。現に瀧君が動き出してから、彼は点を取れていません。逆に亮二君のところで点を取られ続けている。青応としては、ここで取っておきたい」

「彼らが交替――悠木 純と瀧 歩のマッチアップ――に応じるのは、おそらく残り時間5分前後、15点差以上になった時でしょう。安全圏になれば、応じてくれる可能性があります」
「可能性って……。他に手はないんですか?」

「ありません。控えも含めた総合力の差。そして瀧君の存在が致命的です」
「だったら亮二は……」
「……言い方は良くないですが、捨て駒になってもらう以外にありません」

「そんな……っ!?」
 舞衣は動揺を隠せなかった。
彼女の様子に構うことなく、監督は話を続けた。

「言ったはずです。後悔しない方を選びなさいと。それは彼の意地も同じこと。彼はチームではなく、自分を選びました。皆を危険に晒す。そのリスクを負ったのです」
「残念ながら、私が背負っているものは、彼の意地だけではありません。後に彼らが振り返ったとき、後悔のない戦いだったと肯定できる「今」を作ること。私は、そのための選択をしなければならない」

 亮二が抜かれ、また点が入った。いったい、これで何回目だろうか。
だが、もう彼女の意識は試合にはなかった。
「12点差になった段階で彼を交代します。これはチームのためです」


「そのあと君は、君のしたいようにしなさい」


 青応の勢いは止まらない。開始1分半で追い付き、そして追い越した。由比ヶ浜も懸命に攻めるが、パスが繋がらない場面が増え始めた。
亮二も懸命に動き、パスを貰うがシュートが入らなくなっていった。
外す度に焦りの色が強くなり、息が上がり、精度が落ちていくのが分かった。

「彼のシュート、入らなくなりましたね……。先生の言った通りだ」と青応ベンチのひとりが息を切らせながら、藤沢監督に話し掛けた。
――――彼は、先程まで悠木 純を相手に仕事を終えたばかりの男だ。

「そうだろう。ああいう感覚で打つタイプは、ちゃんとゴールを観てない。この辺にゴールがあるって把握する空間認識能力が高い。だから、どこからでも打てる。――――ただ欠点があってな。技術じゃなくて、感覚でやってるから調子が狂うと途端に入らなくなる。対処法は、守るときに手厚いプレスを掛け続けるか、攻める時にわざと本人の目の前で点を入れるか……」

「もしくは、彼のリズムを作ってる人間を動けなくするか、ですか」

「……その通りだ。そうして彼の感覚を破壊する。だから司令塔と悠木 純を抑えた。まともに機能できるのは水澤の幼馴染くらいだが、歩の相手としては物足りない。本当に、歩が間に合ってくれて良かったよ」


 青応で瀧 歩が有望視されたのは、その年の4月だった。しかし、夏の神奈川県予選で成果を挙げることが出来ず、監督やOB達も起用に難色を示した。
その結果、彼はインターハイのレギュラーから外された。

――――厳しい世界にいる。
その現実を目の当たりにして、彼はひとつの行動を執った。

動画に録った「自分のプレイ」と「青応が負けた試合」。
その2つの映像を時間の許す限り、食い入るように観察した。

この中に自分が生き残る答えがあるはず……。
次第に彼は、自分の持ち味。そして、今の青応に足りないものを探すようになった。

そうして積み上げた試行の末、彼は再びレギュラーに戻った。
――――突破力のある青応の要として。


 コートに切り込んだ歩は、両手でボールを持ち、右へ1歩踏み出す。合わせるように亮二が回り込むと、身体を大きく左へ振り回し、大股で左前方に2歩目を踏み出した。胴体が限界まで接近してから逆方向に切り替えされ、重心がブレた亮二は姿勢を崩して尻餅をついた。
振り向くとゴールネットが揺れていた。

真正面に踏み込んで止めようとすればファールを取られる。
かと言って、歩の1歩目を深く回り込むと2歩目で逆方向に抜かれる。
浅く踏み込むとそのまま1歩目の進行方向で抜かれてしまい、対応できない。――――次々と攻め込まれ、考えることが出来ない彼の思考は、大きな動揺の渦を創り出していた。


――――こんなはずじゃなかった。なんで……。なんでこうなった!?


 皆の前で見せた意地がひとつ、またひとつ、ネットの揺れる音に合わせて崩れていく。
 そうして、彼が何度目かの尻餅をついたときに振り返ると、歩と視線が重なった。その瞬間に自分が怯えているのが解かった。
 費やした時間と熱量、そして周りへの意識。そのすべてにおいて自分が不誠実だった。この状況を創り上げてしまった。その事実を理解してしまった。
――――なんでこんな時に……。


 審判が「タイムアウト」と聴こえた時、亮二は安堵した。
容赦のない暴力から解放された彼は、岸へ這いがるようにベンチへ戻った。
ぐったりとした身体を椅子に預け、ボトルを受け取り、タオルで汗を拭いてから監督の方を見上げた。

「亮二君、交代です。喜多村君お願いします。さっきの指示した通りです。お願いします」

「えっ……?ちょっと待ってください!交代ってどういうことですか!?」

 はい、と言って、2年 喜多村がすれ違うようにコートに入っていった。
他のメンバーたちは言葉を交わすことなく、給水を済ませて戦場へ戻っていく。

 スコアを観てみなさい。そう言って、嶋監督はスコアボードを指さした。


  由比ヶ浜高校 54 ―― 青応大附属高校 69


「15点差。これが約束した4分の結果です。君の意地が、この危機的な事態を招いたのです」
「だからって替えることないじゃないですか!喜多村みたいなボンクラ出したら、それこそ負けますよ!」



「では聴きますが、約束の4分が過ぎたら、君は、私の指示通りに動いてくれましたか?」



 核心を突かれた亮二は、言葉が出ない。
「貴方は、自分を過大評価しがちです。喜多村君はボンクラではありません。言われたことをきっちりとやり遂げる人です。この局面では、君より遥かに良い」

「俺は、由比ヶ浜のエースですよ!!」
受け止めきれない展開とやり切れない想いを抱えきれなくなった亮二は、声を荒げて自分の存在を言葉にした。
ベンチの空気が重い緊迫感に包まれるが、舞衣も後輩たちも黙って状況を見るしかない。

「……亮二君。私が一度でも貴方をエースだと公言したことがありましたか?」


その言葉を聴いて、亮二は前回の敗戦を思い出した。

「今回、負けた理由のひとつは君の慢心です。これは団体競技。君が怠けてしまえば、その分だけ周りに負担が掛かります。わかりますね。自分でエースというのなら、まず一対一で負けない。何が求められているかを自覚して人一倍練習しなさい」

「貴方の得点源としての活躍は認めます。ですが、その活躍はチャンスを作ってくれた選手たちがいたからです。貴方だけの力ではありません」

普段は温厚な嶋監督が、怒気を含めた形相で亮二へと詰め寄った。
重く大きい気配がゆっくりと彼に近寄り、そして、ハッキリと口にした。


「このチームのエースは、悠木 純君です。彼が、君も含めた全員のポテンシャルを引き出すプレイに徹してきた。そんな彼の姿を見て、皆がチームプレイを学んだ。今まで体力の少ない君が後半まで持っていたのは、彼の誘導や周りの助けがあったからです」


 第3クォーターの中盤から息の上がったことは自覚していた。しかし、その原因が幼馴染との対決だけではなかったことを、彼はこの時知った。

 今までの自分の在り方。その認識が間違っていたことが、思考の中で鮮明になっていく。皆に支えられていたこと。自分だけが怠けていたこと。
余裕を作ると言って重ねた慢心が、今の誤った自分を作ったこと。
何より、そのすべてが自業自得だということ。
結果、チームを危機に晒していること。

次々と脳裏に思い起こされる過ちが自分の中で積み上がり、創り上げてきた「今までの自分」を圧し潰していく。その重圧に耐えきれなくなった彼は、静かに立ち上がって、監督に頭を下げた。

 帰ります、とだけ言って、顔も見ずに出口へ向かった。
困惑する後輩や舞衣たちとは、対照的に嶋監督は静かに頷いてからコートへ視線を戻した。

「先生!あれで良いんですか!!」
 舞衣は、緊迫した空気が残る中で言葉を投げた。
監督は、照明を見上げながら答える。

「これが私の選択です。マネージャー。あとは2年生に任せて良いですよ」

 舞衣は、後輩たちを見ながら考えた。
皆で目指した舞台の結末に立ち会わなくていいのだろうか。
仮に私が彼を追ったところで何になるのか。
何より、私は彼にどうして欲しいのか。

彼女の脳裏に、監督の言葉が過ぎった。

      「そのあと君は、君のしたいようにしなさい」

 長谷、極楽寺。あと頼んだ、と後輩に声を掛けてから舞衣は、彼を追い掛けた。困惑する2年生を尻目に、老年の監督が視線で彼女の姿を送った。


――――行ってきなさい。貴方もまたチームのひとりです。
 結果がどうであれ、悔いのない3年間にしてください。



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