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Ⅱ章 彼女の場合⑥

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 第3クォーターの笛が鳴ってすぐ、青応が仕掛けた。
ボールを持ったハルや亮二、純に激しいディフェンスのマークを付け、プレッシャーを掛けたのだ。特に純に対してのマークは過激だった。
ハルには、水澤。亮二には歩が付いたが、純にだけは「2人のマーク」が付いた。


 ――――由比ヶ浜の生命線は、悠木 純だ。
「一見地味で目立たないが、どのプレーにも必ず絡んでる。あっちの主将の意図を即座に理解して、パスを繋ぎ、仲間の通り道を作り、仲間を動きやすい位置へ誘導する。守りのフォローも上手い。」

 藤沢監督は淡々と評価をした後、青応の面々へ向き直した。

「彼を完全に止めろ。それが最重要課題だ。試合の交代枠は、彼のマークに全部使う。言いたいことは分かるな?マークする者は、体力が続く限り、全力で抑えてくれ。そこが生命線だ。頼んだぞ」

 試合において、青応は悠木 純を徹底的にマークして動きを制限した。
ゴール下はジョナサンに一任、ハルには水澤が、亮二に対しては歩がそれぞれ対応する。
――――これが青応の守りのプランだった。

 この采配は見事に的中する。由比ヶ浜の動きが明らかに悪くなった。
ハルが水澤を抜いたところで、ゴール下にはパスコースがない。ゴール下に陣取るジョナサンの圧が前半よりも強く、重くなっているからだろう。
慧も隆も完全に押されているのは明らかだった。

 かと言って、安易に亮二との連携を多用することは出来ない。
亮二は運動量の多い選手ではない。ゆえに広く走らせると後半に響いた。
――――だからこそ、純が必要だった。亮二を最小限の動きで活かすために……。

 積み重ねた「1周のズレ」。
そのズレが、ここに来てハルの肩に大きく伸し掛かった。

 その矢先、一瞬の隙を見せたハルの手から球が離れた。
奪われたボールの行方を追って振り返ると、水澤が由比ヶ浜のゴールへ走り、ボールを抱えて、1、2とステップを踏み、ボード中央の四隅目掛けて跳躍して放った。


レイアップと呼ばれるシュートを決めた水澤は、着地と同時にここぞとばかりに大きな雄叫びを上げた。

 攻撃開始、と言わんばかりに絶対王者の咆哮が会場に響く。客席が湧き始め、青応のコールが次第に大きくなっていく。彼らは会場を味方に付けた。


————このままでは呑まれる。
麻衣も含め、由比ヶ浜の誰もが王者の大きな気配を感じ始めた。


すかさず、由比ヶ浜はタイムアウトを入れた。
試合を止め、冷静になり、流れを変える時間を作りたかった。

「純君を止めに来るとは思いましたが、ダブルチームで来るとは……」
「ゴール下はジョナサン。亮二と僕には、それぞれマークマンが付いてますね」
「亮二のマークを一任したってことは、同等の相手が付いていると思った方がいいな……」

 監督の嶋、ハル、慧、それぞれが現状と予測を口に出して確認し合った。

「ハル。俺だ。攻めは俺にパス出してくれ。走ってマーク外すから」と亮二が入る。
「わかってる。ただ、それだけだと攻め手が少ない。お前も状況に応じて壁になってくれ。あとゴール下は諦めよう。隆は、ジョナサンにプレスを掛けて消耗させてくれ。慧はアシストに専念して、僕と亮二を手伝ってくれ」

「純の方はどうだ。あのマークは振り切れないか?出来ないなら第3クォーター動きまくって消耗させるとか……」と切り出した亮二へ嶋が答える。

「おそらく意味がないでしょう。残りの交代枠すべてを使って、純君を止めに来る。そういう采配です、これは。であれば、今のプランで対応してみましょう。守りは前半と同じく固めること」

 はい、という声が重なってベンチに響く。
やれることが残っている限り諦めない。その姿勢こそ、今の最適解だとわかっていた。


 試合が再開するとハルが水澤を抜き、かつジョナサンの巨体が向かってこないギリギリの位置でシュートを1つ、2つと立て続けに決めていく。一対一では、やはりハルに軍配が上がった。
 対する青応は、純に対して2人のマークを付けて守りの動きも制限させ、残った水澤、歩、ジョナサンで高さを活かした攻めを展開する。純を抑えたことでゴール下が攻めやすくなったのだ。

 試合が動いたのは、残り時間が5分を切ったときだった。

 青応の意識が自分に向いたと確信したハルは、亮二へとパスを出した。
フリーで受け取った亮二はシュートモーションへ入る。腰を落として力を溜め、素早く上昇したまさにその時、彼のボールは横から掠め取られた。

 亮二自身は何が起こったのか分からないままだったが、ハルと純が即座に反応した。自陣のゴールに辿り着いた時には既にネットは揺れた後だったが、2人は確信した。

「さっきより不味いヤラれ方だったな」
「……うん。そうだね」
「強いな、青応。水澤だけで十分脅威だったんだけどな」
「騙されたね」
「騙してはいないんじゃないか?隠してただけで」

少しの沈黙が流れた後、2人はクスリと笑う。

「覚悟決めるか……。なぁ、純。後で頼まれてくれるか」

ハルの言葉に頷いた純は、深く息を吸って。そして吐いた。


 試合は由比ヶ浜ボールで再開する。ハルは先程よりも丁寧に距離を見て、亮二にパスを出した。いつも以上に走らせるコースではあるが、「彼」から引き剝がしてスリーを打たせるためには致し方なかった。
その甲斐あって、亮二が追い付いてシュートを放つ。降り落ちるボールが綺麗にリングを抜けた。ヨシッ!と言って、握り拳を周りに見せて自陣に戻る。

青応が徹底した個別マークの守備に対して、由比ヶ浜は自陣に集まって互いにカバーしあう陣形だった。一見すると堅牢に見える由比ヶ浜の守備だが、青応が崩しにかかる。

 慧は、ジョナサンがゴール下に入ると、彼がボールではなくゴールを見ていることに気付いた。周りを見ると更におかしなことに気付く。
明らかに自分たちから見て左側にスペースを作っており、ハルに対する水澤の距離が近かったのだ。

————この陣形。青応は亮二と幼馴染の対決に持ち込むつもりか……。

 一定のリズムを刻みながら亮二を見つめる歩が動いた。
一瞬で亮二の右脇腹の横を身体に当たるギリギリで抜けた。その速さに慧は驚くが、ハルが水澤に、純が青応の2人に止められていることを確認してフォローに入る。さらに加速した歩の視界を遮るように身体を前に入れるが、その姿がない。

混乱していると、一拍置いてキュッとシューズの止まる音が横から聴こえた。歩は、亮二を右から抜いたあと、更に右へサイドステップをして自分から距離を取り、シュートを決めた。距離にして3歩程だろうか。
その距離に慧は驚きを隠せない。――――あの一瞬でそれだけ動けるのか。

 切り替えろ、と言ったハルの声で我を取り戻す。

「知ってたのか、お前」
「さっき亮二がヤラれた時だ。純も気付いてる」

 はぁ……、とため息をつきながら司令塔に向き合う。
絶望的なときに聴く彼の声は、いつも心強く自分に響いた。

「覚悟決めるしかないな、これは」
「あぁ……多分、先生も決めてるはずだ。問題は、どこで作戦変更するか」

「少なくとも、このクォーターは追い抜かれないことが優先だろうな」
「あぁ……そうだな」


 同じく、ベンチでも同じく監督がひとつの覚悟を決めていた。

「麻生さん。この状況どう思いますか」
「えっ、私ですか!?」

 今まで何度か聴かれたことはあったが、今回のような難しい局面ではなかった。彼女にとっては、勝ち筋の見えた試合のベンチ陣の暇潰し程度の認識だった。

「この状況だとまだ分りません。勝って欲しいですけど……」
「そうですか……。私は正直、厳しい状況だと思います。非常にね」

 試合の空気が良くないことは、麻衣にもわかっていた。純への徹底マークでチームの動きが悪くなったこともそうだが、さっきの青応の2年生の抜き方は異常だった。

「ときに麻生さん。亮二君に告白しないのですか?」
「なんですか、こんな時に!?しませんよ!!」

 
 立て続けに望外の言葉を向けられ、狼狽える彼女を見ながら監督は穏やかな口調で続けた。

「告白するもしないも貴女の自由だと思います。ですが、なるべく後悔しない方を選びなさい。それは恋に限らず。選択で迷ったときはそうなさい」
「先生。こんなときに言う話じゃないですよ、それ……」

「いえ……ここなんです。ここだから必要なことなんですよ。私は、君たちに悔いのない3年間で終わって欲しい。そのために非情な選択をしなければならない瞬間があるのです。この後の決断のように」




「最終クォーターが始まる前に、私はその選択をします。君たちが後悔しないための決断です。その時が来たら、貴女は、自分がしたいようにしなさい」


 第3クォーター残り3分時点
  由比ヶ浜高校  50―― 青応大附属高校 40




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