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まいにち易経_0525【いたずらに凶を忌み、脅えない】吉凶とはその失得を言うなり。[繋辞上伝:第三章a]

彖者。言乎象者也。爻者。言乎變者也。吉凶者。言乎其失得也。悔吝者。言乎其小疵也。无咎者。善補過也。
たんとはしょうを言うもの也。こうとは変を言うもの也。吉凶とはその失得を言う也。悔吝とはその小疵しょうしを言う也。咎无とがなしとは善くあやまちをおぎなう也。


たんは「彖辞」いわゆる「卦辞」と呼ばれるもので、一つの卦全体が示す象徴を説明する。対して、こうは「爻辞」となり、六つの爻が陰陽の変化を通じて物事の微妙な状況を説明するもの。
「卦辞」は、一つの卦の全体像を描く。一方「爻辞」は、各爻が持つ個々の意味を詳細に説明するもの。六十四卦それぞれに六つの爻があり、それぞれの爻が具体的な状況や状態を示す。
「吉凶」とは、事の善し悪しを示す言葉である。吉は良い結果や幸福を意味し、凶は悪い結果や不幸を意味する。これらは未来の可能性を指し示し、どのように行動すべきかの判断材料となる。
「悔吝」これは道義的には必ずしも悪くないが、時や位に合わない小さな過失を意味する。例えば、善意から行った行動が結果的に適切でなかった場合などに使われる。
「咎無し」これは本来咎があるはずの行為を指すが、自己の過ちを善く改め、補うことで咎を免れる場合に使われる。つまり、過ちを犯しても、それを正しく修正することで許されるという考えである。
これらの概念を理解することは、『易経』を読み解く上で非常に重要である。それぞれの卦や爻が示す象徴やメッセージを理解することで、より深い洞察と指針を得ることができる。


易経の卦辞・彖辞、爻辞の「吉」や「凶」という言葉は、その卦や爻が天地自然の摂理(せつり)に適っているかどうかを示す。
天地自然の摂理とは、宇宙の法則や人間社会が順調に回っていくための道理。これに従うことが吉(良いこと)で、道理から外れることが凶(悪いこと)。つまり、「吉」は、天地自然の摂理に適っており、人生の道を得ていることを意味する。「凶」は、摂理から外れており、道を失っていることを警告している。

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まず、易経の基本的な概念からお話ししましょう。
「吉」と「凶」という言葉はよく聞いたり使ったことがあるでしょう?
一般的には、吉は良い事が起き、凶は悪い事が起きると解釈されます。しかし、これを受動的に捉えると、私たちは時の変化に翻弄されるばかりです。つまり、良いことがあれば喜び、悪いことがあれば落ち込むという姿勢では、環境に振り回されてしまうのです。

では、易経が伝えたい本当の意味は何でしょうか?
吉とは正しい道を得ること、凶とは正しい道を失うことを指しています。例えば、春に種を蒔けば実りを得ますが、冬に種を蒔けば実りを失います。
昔の人は季節の移り変わりに従って行動することが生存のカギでした。春になれば種を蒔き、秋になれば収穫する。これを怠ると、翌年の食料に困ってしまいます。易経はこの自然の理に倣って、「時宜(じぎ)を得た」行動をとることの大切さを説いているのです。

ここで重要なのは、結果を得るか失うかという能動的な視点に立つことです。受動的に待つのではなく、自らの手で運命を切り開くという姿勢が求められます。例えば、逆境に立たされた時にどう対処するか。ここに易経の真髄があります。「禍を転じて福と為す」という言葉がありますが、これはまさにその姿勢を表しています。困難に直面したとき、それを乗り越えることで新たな道を見つけ出し、最終的には幸福へと繋げるのです。

私の経験から言えば、困難に直面したときこそ、自分の真価が問われます。例えば、私が経営者として大きな危機に直面したとき、その困難をどう乗り越えるかが、企業の未来を決める大きな分岐点となりました。易経を学んだことで、私はいたずらに凶を忌み、脅えることなく、冷静に対処することができました。

皆さんもこれから様々な困難や試練に直面するでしょう。しかし、その時にどう対処するかが、リーダーとしての真価を問われる瞬間です。正しい道を見つけ、それを進むことで、必ずや成果を得ることができるでしょう。

ここで一つ、歴史的な例を挙げましょう。トーマス・エジソンは、失敗を恐れないことで知られています。彼は電球を発明するまでに一千回以上も失敗してきたといいますが、その度に新たな方法を試みました。
彼の有名な言葉に
「私は実験において失敗など一度たりともしていない。 これでは電球は光らないという発見を今までに、1万回してきたのだ。」
というものがあります。このように、失敗を恐れず、常に前向きに挑戦し続ける姿勢が重要なのです。


参考出典

吉は良い事が起き、凶は悪い事が起きるというのが一般の解釈だが、吉凶を受動的にとらえると、時の変化に翻弄される。
吉とは正しい道を得る、凶は正しい道を失うこと。春に種を蒔けば実りを得るし、冬に種を蒔けば実りを失うということだ。結果を得るか失うかという能動的視点に立ち、対処を探求して努力邁進するならば、「禍を転じて福と為す」道も見出せる。易経を学んだ人々は、「いたずらに凶を忌み、脅えなくなった」という。

易経一日一言/竹村亞希子

卦爻辞に出て来る「吉凶」とは、事の善し悪しを意味する。

易(朝日選書)/本田濟

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