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まいにち易経_0602【無作為】耕せずして獲。菑せずして畬する時は、往くところあるに利あり。[25䷘天雷无妄:六二]

六二。不耕穫。不菑畬。則利有攸往。 象曰。不耕穫。未富也。
六二は、耕さずしてせずしてするときは、往くところあるに利あり。象に曰く、耕さずして穫、いまだ富まざるなり。

天雷无妄(てんらいむぼう)
ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

『天雷无妄』の教えの核心は、「自然のままに任せること」の大切さです。現代のビジネスやリーダーシップの世界では、常に新しい戦略や計画を立てることが求められます。しかし、『天雷无妄』は、時には「何もしない」という選択が最善であると説いています。これを理解するために、まずは基本的な概念から説明します。

「菑(し)せずして畬(よ)する」
『菑』は開墾後一年の荒れた畠、『畬』は開墾後三年の畠を意味します。この言葉が示すのは、畑を耕したり開墾したりしなくても、自然の力で豊かな収穫を得られることがある、ということです。つまり、無理に手を加えなくても、自然の力を信じて任せることで結果が出ることがあるのです。

『天雷无妄』は、「何もしない努力」の大切さを教えています。現代の社会では、常に努力し、計画し、実行することが求められます。しかし、自然の法則に従い、無理に手を加えず、自然の流れに任せることも時には重要です。

たとえば、成功を追い求めるばかりに無理をすると、逆に失敗することがあります。自然の流れに身を任せ、自分の役割を果たしながら、結果を焦らず待つことも必要です。これは、農業で言うところの「種をまいて待つ」ようなものです。

私も若い頃は、常に目標を立て、努力!努力!と努力を重ねてきました。でも、年を重ねるにつれ、自然の理に従うことの大切さに気づきました。

皆さんは、これから社会のリーダーとして活躍することが期待されています。リーダーとは、人々を導き、組織を成功に導く存在です。でも、そのためには常に力強く前に出ていればいいわけではありません。時に、自然の流れに身を任せることも大切なのです。

易経では「無為」という言葉で、この心得を教えています。「無為」とは、無理にことを起こそうとせず、自然の成り行きにまかせることです。

時には、行き詰まったり、うまくいかないことがあるかもしれません。でも、そこで無理に先に進もうとするのではなく、一旦立ち止まり、自然の成り行きを見守ることです。すると、予期せぬ好機が巡ってくるでしょう。

昔から、偉大なリーダーといわれる人々は、この「無為」の精神を体現している人が多かったと思います。時に行動を起こし、時に自然に任せる。その兼ね備えた姿勢こそが、本当のリーダーシップなのかもしれません。

ここで一つ、面白い話をしましょう。竹は、最初の数年間は地面の中で根を広げるだけで、地上にはほとんど成長しません。しかし、ある時期になると急速に成長し、わずか数週間で何メートルも伸びることがあります。これは、竹が自然の法則に従い、根をしっかり張り巡らせてから一気に成長するためです。

ビジネスでも同じことが言えます。最初は成果が見えなくても、地道な努力を続けることで、ある時点で急速な成長が訪れることがあります。無理に急ごうとせず、時には「何もしない努力」を信じることが大切です。

具体的なビジネスの場面でも、『天雷无妄』の教えを生かすことができます。例えば、新しいプロジェクトを始めるとき、最初は準備に時間をかけ、結果を急がないことです。マーケットの動向を見極め、タイミングを見計らうことで、自然の流れに乗ることができるのです。

また、社員やチームメンバーに対しても、過度なプレッシャーをかけず、自然に成長する環境を整えることが重要です。彼らの自主性を尊重し、自然な成長を促すことで、思いがけない成果が得られることもあります。

鳥が巣を作るとき、必要最低限の枝や葉を使い、無駄な努力をしません。これは、自然の中で最も効率的な方法を選んでいるからです。ビジネスでも同様に、最小の努力で最大の成果を上げるためには、自然の法則に従い、無駄を省くことが重要です。

皆さん、リーダーとして成功するためには、『天雷无妄』の教えを心に留めてください。自然の流れに身を任せ、無理に介入せず、時には「何もしない」という選択が最善であることを理解しましょう。この教えを実践することで、皆さんのリーダーシップは一層強化され、より良い成果を生むことができるでしょう。


参考出典

田畑を耕さなくとも収穫がある。また、「菑(し)せずして畬(よ)する」開墾せずとも田畑がこなれる。思い込みを捨て、洞察力を持ち、自然に則して生きるならば、本来、耕作や開墾すら必要ないという意味である。
天雷无妄の卦は、作為せず自然の法則のままにまかせたなら、天は万物を養うと説いている。我々は時として「何もしない努力」を知らなくてはならない。

易経一日一言/竹村亞希子

『菑』は開墾後一年の荒れた畠。ここでは開墾すること。新墾治(あらきりばり):草ぼうぼうの所を切り開く、開いたばかりの新田。
『畬』は開墾後三年の畠。ここでは地味が熟すること。畭(あらた):既に一度、収穫したことのある田。次の年に使う、または一年置いてから三年目に使う田のこと。
説文に『耕さず田なり』とある。水災によって荒廃した地に再び草が生じることで、菑畲は荒地を開墾したことを意味する。
六二は柔順で(陰爻)、「中正」(内卦の中、陰爻陰位)。時に逆らわず、天理に沿って動く。自分勝手な願望を持たない。望みもしないのに自然そうなることが无妄である。
そこで、耕さないのに収穫があり、開墾の努力を払わないのに畠が肥えるというイメージが、无妄の極端な例に用いられる。人が願望し作為するのはすべて妄であり、人が希望しないのに天理おのずから然るのが无妄である。耕さずに穫るという場合も、必ずしも富を得ようと希望してそうなったのではない(象伝)。施せばその陽報があると承知して耕作するのではなく、田を開き稲を作るのは農夫の天職であって、来年になれば立派に役立つとか儲かるなどといった先の望みを抱いて開墾したり耕作するわけではない
占ってこの爻を得たら、往くところあるに利あり。予期せぬ得が自然に転げこんで来る。

易(朝日選書)/本田濟

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