【スピードは万能薬にして劇薬】

スピードは万能薬
しかし劇薬でもある
全てを叶えてしまう力を持つがゆえに
全てを台無しにしてしまう力もまた持つ

スピードというものを我が日本が明確に意識したのはいつからだろうか?戦後?いや、明治維新後の文明開化と殖産興業の時代は間違いなく意識していただろう。いやいや、もっと昔、戦国時代にも見つけることが出来る。

武田信玄は戦を前に兵士たちに怒号をあげさせ、上杉謙信は逆に一切の私語を禁じ静寂の中で戦に臨んだとされる。

これらは全て軍に「勢い」をもたらすためとされるがこの「勢い」こそスピードだろう。

織田信長もまた桶狭間において電光石火を成した。しかし、彼がこのようなあり方を示したのはこれが最初で最後であったらしい。確か司馬遼太郎氏あたりがかように記していたと記憶する。

曰く、「真に英傑と呼ばれる人々は、往々にしてその人生において博打というものをするが、それは1度きり。2度はしない」と。

「勢い」は有用だが、「勢い」に頼らずとも成せる実力を養うこと、計を立てること、準備を怠らぬこと。

そのほうが大切だと織田信長のような人は桶狭間という博打で悟ったのかもしれない。

彼の影響を強く受けた豊臣秀吉はこの戒めをよく守り隆盛し、没落の香りを放った時は思えば疎かにいていた。その後、天下を太平に導いた徳川家康を見るとやはりそのような感じである。

「勢い」

怒号や静寂で「勢い」を得た軍は強い。華々しい。戦場の華と謳われる。しかし、軍ではなく兵士たちに着目したときどうであろうか?兵士たちに対して「兵士」ではなく一個の人間として想いを馳せたならばどうであろうか?

私は哀しさと哀れさを禁じ得ない。そこに人としての幸せはあっただろうか?自由な発想はあっただろうか?

人を殺すための大きな刃物を振り回して、お互いの身体の、その肉を斬り合い、骨を砕き合う。

実際はそんなこと、普通のメンタルを持った人にはそうそう出来ないからこそ、刀よりその感触をなるべく感じないで済む弓や槍が多く用いられた。


(こうやって言語化するだけでも、気持ちが悪くなるような地獄絵図。悲惨としか言いようがない。悪趣味な文章になってしまったことをお詫び申し上げる。伝えるためにこのような表現を使わざるを得ない技量しか、今の私にはないということ。そして私は、今まさにその技量の未熟を「勢い」つまり「スピード」を持ってして補おうとしている)

さて、そもそも殺し合いなど、本当は人間には出来ないはずのものだと思う。その不可能を可能にする「劇薬」これが「勢い」の本性なのだろう。現代風に表記し直すと「スピード」または「効率」「生産性」

言葉は変わっても、血生臭さは薄れはしても、本質は変わらない。

不可能を可能にする万能薬にして劇薬。大きな結果は得れるが必ず副作用があるものとして認識しておくことが大切だと感じる。

現在、AIだの何だのと謳われ、ひたすら効率が叫ばれている。どんどん効率と生産性は上がっている。

しかし、怨嗟の声は依然として絶えず。

「時間がない」
「人が足りない」

そしてまた「効率」が必要だと感じられる。麻薬の依存性、習慣性と全く変わることがない。

ひとえに足ることを知らないからであろう

生産性の向上により「収益」は拡大しているのかもしれぬが、人々は豊かになっていない。それが証拠に時代の悪癖を反映した「現代病」というものが絶えない。どんどん新しいものが増える。

スピードという劇薬の副作用とはこれを指すのでしょう。

これらによって生じた損失を補填するためにますます効率が求められる。

「スピードをドーピングだ!!」

往々にして近視眼なのだろう。このように書くと、「全ては生産の向上により人々の労働力を搾取し、収益を我が物にしている資本家の連中の陰謀だ!」みたいな陰謀論が言いたいのだと感じられるかもしれない。

そして、実際、私はずっとそんなコトばかり考えてもいたが。今は少し変わった。

多分、「上にいる人たち」もよく分かっていないんだと最近は思っています。

私達以上に近視眼になっているんではないだろうか?なぜなら私達なんかよりもずっと早くから、ずっとたくさんの「スピード」という名の劇薬をその身に打ち続けているのだから。

当初はひょっとしたら我がの身を立てるために、陰謀と搾取を行っていた彼らは、身を立てた今、世界に貢献すべくしている。しかし、悲しいかな彼らは劇薬を打ちすぎて近視眼になってしまっている。ゆえに彼らは劇薬をばらまくしかできない。その発想しかできない。彼らは彼らなりの誠意を持って、善意を持って劇薬を流布する。

結果として、上に挙げた生産性の終わりなきマッチポンプがグルグルと稼働している。そういうことなのかもしれぬと最近は感じる。

ならば「陰謀陰謀!」などと叫ぶばかりではどんどん本質から遠ざかって行くような気もする。

スピード、効率、生産性

同じものを指す言葉は色々あるが、世界は今、この劇薬の過剰摂取による副作用で近視眼になった人々が、善意を誠意をもって貢献を試み、災厄の種をばら撒くという悲しい構図にあるのかもしれない。

そう、直観する。

解決する方法は簡単だ。
劇薬の使用を控える。
やめる。これしかない。

今すぐにでも出来る。誰にでもできる。お金もかからない。でも怖い。

私は今、高齢者介護施設という、人生の最終局面を生きる人々が寄り合い生活している場所で、生きている。そして見て、関与している。

そこには安らかさもあれば穏やかさもあるが、深刻さも、悲惨さもある。凄惨さもある。

「あー、ご飯がねぇ!美味しいのよ!こんなに幸せなことはないのよ!」

と毎日笑顔で話す人々、

「苦しい」「もう死にたい」「早く殺して」とつぶやく人々、同じ空間で生きている。

この混沌はこの世界の凝縮と言えるだろう。そして私達が必ず歩む未来。

このままいけばますますこの混沌は極端なものとなるでしょう。しかし、まだ時間が残されているからこそそれは未来であり、いかようにも作り出せるからこそそこに希望はあるのです。

スピード

この万能薬にして劇薬

これのもたらす効用と副作用


実現したい未来を描き、現在を歩むにおいて留意して損はないかと感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?