見出し画像

これまで生きてきて私は何一つ真っ当にやり遂げたことがありません。やり遂げたと言えるとしたら、フルマラソンを完走したことでしょう。

私は子供の頃から何をやっても三日坊主でした。中学生の時に「速記」に興味を持ったことがあります。親に「絶対続けるから!」と泣いて約束したにもかかわらず、続きませんでした。通信教育でしたから、提出しなければそれで終了です。

就職してからも転々と職を変えてきました。正社員だけでも10社変わっています。アルバイトは数えたことありませんが、おそらく30種類くらいしてきたと思います。住所も変え、何もかもが続きません。さらに、バツイチです。

こんな私が6ヶ月計画を立ててフルマラソンを完走できるなんて嘘のような本当の話です。「三日坊主」なんて言葉は、私のためにあると思っていましたが、一つでも打破できると生きる自信が付きました。

三日坊主というのは、三日もやるから続かないのだという、私の解釈。


三日やってその後が続かないのだったら、最初から三日もやるからダメなんです。一日でいいんです。やるのは一日だけ。三日休んでまた一日だけやってみるんです。

これが私の考え方でした。

この発想を思いついた時は、自分でも笑ってしまうほどの名案だったと、思い出します。三日も続ければ、そりゃ~嫌にもなりますよ。それって頑張りすぎなんですよ。雨降ったらもう一日休んだっていいじゃないですか! しんどかったらまたもう一日休んでもいいじゃないですか! もし一週間休んでしまっても、その次の日に走ることができたら上出来です。

「継続する」という言葉がありますが、初詣を毎年継続されている人は年に一回を継続しているにすぎません。それでも30年毎年正月に初詣していたら、それは「継続している」ことになります。

一週間に一回のことを一年間続けたら、それもまた継続していることになります。やめてしまったらそこで継続は終了します。しかしまたそのうち始めることができたら、継続していることになると解釈しました。

がんばらないことが継続の秘訣


もしコロナ禍で走り始めたけど、今はもう走っていないという人がいましたら、それはやめたのではなく、休んでいるだけと解釈すればいいだけです。もっともっと気楽に考えることです。

フルマラソンは定年退職してから始める人も少なくありません。ぜんぜん問題なく可能です。ただ、頑張りすぎないことだけは重要です。そのためにも三日坊主上等です。私はフルマラソンに挑戦することで生きる力を得ることができました。元気いっぱい動ける体になることができました。きっとあなたにもできます。私にできたんですから、きっと大丈夫です。

増補改訂版 がんばらないで楽に長く走る: 痛み、故障しらずの“脱力ラン”/鮎川 良 (著)


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。