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若い時なら憧れる人の一人や二人いたはずです。憧れる場所や、憧れる物もあったことでしょう。それなのに気付けばそういう感情にならなくなっていませんか?

なぜでしょうね?

とてもおもしろい文献を見つけました。PDFファイルなので、アドレスを貼っておきます。高知工科大学の「“経験”と“好奇心”は《憧れ》を見つけられる鍵なのか」という調査報告書です。 詳しく読みたい方はご覧ください。
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/pdf/2019/03/15/a1200532.pdf

結論を抜き出します。

好奇心は経験にも憧れにも影響を与えていることがわかった。どの分析でも好奇心から経験、好奇心から憧れへは有意性が見られたからだ。つまり、本研究で憧れを抱く鍵は好奇心であることが証明された。好奇心を向上させることで憧れを抱けることがわかった。

これはあくまでも学生を対象とした調査です。しかし「好奇心」「経験」「憧れ」ということに年齢は関係ないと思います。年を取ると「憧れ」がなくなっていくのは、「好奇心が失われている」からです。そこには「新しい経験」がなくなっていることも影響していることでしょう。


好奇心が憧れを作り、生きる糧になる。


中高年になってからも、「好奇心を持って新しい経験を継続し、憧れる存在を持っている人」は、周りにいますか?

こんな言葉を並べると、子供みたいな人ですよね。「子供みたいな無邪気な高齢者」が近くにいたら、冷たい目で見られそうです。大多数の人は年相応に老いていきます。見た目だけでなく、感情も老います。老いに反して子供っぽい高齢者がいたとしたら、こんな風に言われることでしょう。

「年甲斐もなく、あの人は〇〇だわ」

〇〇の中には、「変な人」「おかしい人」「普通じゃない」などという言葉が入ることでしょう。これを「個性」だと見る人はおそらく少ないと思われます。悲しいですけど、それが日本人の常識なのでしょう。

「憧れる気持ち」は人を成長させる


ミーハー(日本語の俗語で、軽薄な、流行に左右されやすい世の中の風潮や人を意味する)」なんて言葉も昔流行りましたよね。若い時にミーハーだった人は、高齢者になった今でもミーハーなのでしょうか? 人からどう見られるか気にするようになりますから、おそらく年を取るごとに減っているのではないかと思います。

「憧れる気持ち」は人を成長させると私は思います。逆に言えば、「憧れなくなったら、成長が止まる」ということではないでしょうか?

61歳の私には今も「憧れ」があります。「無邪気な高齢者」を目指し、冷たい目で見られても自分を貫くつもりです(笑)


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