旅館ってたいへん。だけど楽しい。 旅館大村屋が憧れる、ひさご旅館の物語
嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。
「嬉野温泉 暮らし観光案内所」は、旅館大村屋の公式サイトで「Web版」がスタート。
note版はかなり久々の更新となりました。
今回は旅館大村屋の北川さん自身が「憧れの宿」とまで話す、「ひさご旅館」の木島陽一朗、佳代子夫妻にスポットライトを当てます。
ひさご旅館を「憧れの宿」とまで語る理由
嬉野温泉にあるひさご旅館は、1965年に創業。
陽一朗さんがつくる美味しい料理。佳代子さんの細やかであたたかい、フレンドリーな接客と、特色ある調度品で生まれる独特な空間。
客室数は4室ですが、各部屋で趣向は大きく異なります。それぞれの部屋が別世界のように違い、一度泊まると全ての部屋に泊まってみたくなるほどです。
ほかの宿にはない唯一無二の空間と、その雰囲気に「第二の実家」のように利用するリピーターをたくさん抱えています。
ひさご旅館のファンとも言えるリピーターは「ヒサガー」と呼ばれており、深い関係性を築いているのです。
2022年に本noteでも取り上げた、古民家暮らしの建築士・長田宜郎さんとタッグを組み、館内のリノベーションに着手。よりいっそう、魅力的な空間が出来上がりました。
今回は北川さんと一緒に、ひさご旅館に泊まってみます。
──憧れの宿があるというので、京都とか箱根とか、何か別の場所なのかと思ったら、まさかの同じ嬉野温泉だとは……。
はい。同じ嬉野温泉の「ひさご旅館」こそ、憧れの宿です。ぼくの佐賀新聞の連載「湯けむり通信」でも、ご紹介しました。
──こう言っちゃなんですが、はっきり言って、ど競合の宿ですよね。そんな手放しで誉めちぎっていいんですか。
嬉野温泉の他の旅館のことを「競合」や「敵」とは思っていません。互いに高めあう仲間だと思っています。その中でも「ひさご旅館」は同志といっても良いような存在ですね。
──それほどまでに深い関係性があるんですね。北川さんから見た「ひさご旅館」の魅力について、詳しく教えてください。
まずポイントは嬉野で一番、ミニマムサイズだということですね。客室は4室しかない。
──4室ってすごいですよね。かなり珍しいんじゃ……。
今でこそ珍しいんですけど、もともと嬉野はこれぐらいの規模の旅館の集まりだったんですよ。それが、高度経済成長以降にどんどん規模が大きくなっていったんですよね。むしろ、これくらいのサイズ感が嬉野のルーツなんです。
──そうだったんですね。むしろ、これが自然な姿だったのか。
これくらいの規模感だと、リピーターが一定数いて、循環していくという感じですね。規模が大きくなると、いろんな人に受け入れてもらわなければならなくなるので、サービスが画一的になりやすくなります。
──たしかに。個性で尖れなくなるのか……。
「ひさご旅館」の成功を見て、うちも「音楽」とか「読書」とか独自の方向性に行っていいんだと勇気づけられたんですよね。
──今の旅館大村屋の個性があるのは、「ひさご旅館」の影響が大きいんですね……。
ひさご旅館ならではの魅力とは?
──「ひさご旅館」のどんなところが好きなのか、もっと教えてください。
たくさんありますよ。まずひとつ。陽一朗さんの料理!!旅行予約サイトを使っていた頃、いつも料理の評価が5点満点でしたよ。
──それはすごい……。今は旅行予約サイトを使っていないんですか?
旅行予約サイトを使わなくても「ひさご旅館」はいつも満室ですから。旅行予約サイトに頼らなくても、大丈夫。100%直接予約で、リピーターと口コミだけで高い稼働率を維持しています。
──それはたしかに最先端だ……。貴重な事例ですね。
さらに魅力的なのが、佳代子さんの世界観ですね。個人作家やアーティストさんがお好きで。いわゆる「旅館のしつらえ」ではない、独自の感性で館内を少しずつ変えていったんです。
──もともとはいかにも、旅館らしい佇まいだったわけですね。
そうです。それがだんだん変化し、雑貨やインテリアが好きな人とかも来るようになって。美味しい料理との相乗効果もあり、だんだん人気宿になっていったんです。
──それは凄いですね……。
ぼくが嬉野に帰って、大村屋を継いだくらいにご結婚されて。その過程をずっと見ているので、思い入れも深いんですよ。大村屋の目標はひさご旅館のようになることなんです。
──なんでも、大村屋の忘年会をひさご旅館で開催されているそうですね。
何度かやってますね。うちのスタッフに、ひさご旅館のサービスを体感して欲しいんですよ。かしこまったサービスも大事なんですけど、旅館ってお客さんによってはフレンドリーな接客を求めている人もたくさんいらっしゃるので。
──フレンドリーで上質なサービスって、なかなか難しそうですね。人それぞれの正解がありそうで。
一度、自分で経験しないとわからないと思いますね。
ひさご旅館を全力で楽しもう
ひさご旅館の魅力はよくわかったので、あとは滞在を楽しもうと思います。
──そういえば、ひさご旅館の「ひさご」って、なんですか?
ひさごは「瓢箪」のことです。瓢箪の「瓢」って、「ひさご」って読むんですよ。あれ、大塚さん、ライターでしょ……?
──…あっ、あ〜〜!!!!!そっちね!!そっちのひさごか〜〜!!
……。えーっと、それで、ひさご旅館の館内には、ひさご型のものがたくさんあるんですよ。たとえば、これもひさご型。
──ほんとだ! かわいいですね。
ほかにもホラ、あの掛け軸もひさごでしょう。
──すごい。凝ってるな〜〜。
では、館内を見てまわりましょうか!
2回の共用スペースには、大きな本棚が。さまざまな本がありますが、少しプロレスの書籍が多めに見えます。
陽一朗さんがプロレス好きなんですよ。それで、プロレスに関する品が、すこし多くなっています。
かわいいキッズスペースも。親しみやすい、ちょうどよいおしゃれさです。仲の良い親戚の家におじゃましたときのような感覚。
とにかく居心地が良くて、くつろいじゃいます。いいとこだなぁ……。
夕食前に、お風呂に入りましょう! お風呂は「みかん風呂」と「紅茶風呂」がありますよ。
迷いましたが、「みかん風呂」をチョイス。
柑橘のさわやかな香りとともに、日本三大美肌の湯である嬉野温泉を堪能。お風呂を上がると、待っていたのは豪華な夕食でした。
ここからは、ひさご旅館のリノベーションを担当した建築士の長田宜郎さんも一緒に。乾杯!!
もう料理はとにかく、まっすぐに美味しい。細やかなところまでこだわりがあって、サービス精神が詰め込まれています。
豪華で美味しい料理のおかげで、お酒も進みます。
いやー、最高最高。楽しい夕食でした。翌朝の朝食もすごかった……。
一枚のお椀にこんなに小鉢って乗るものなんですか。さらに写真入りきれてないのですが、温泉湯どうふもあります。
おいしい料理と空間。そして、丁寧かつフレンドリーな接客。すっかりひさご旅館に魅了されてしまいました。
ひさご旅館の魅力を存分に感じたところで、ひさご旅館の若女将、佳代子さんにお話をうかがいます。
ひさご旅館の転機を支えたクリエイターたち
──いいお宿ですね。完全に仕事を忘れ、すっかりくつろいじゃいました。ありがとうございます。
よかったです。ありがとうございます。
ひさご旅館に嫁がれたのが、いつのことでしたっけ。
16年くらい前ですね。私は佐賀県鹿島市の出身なんですが、当時あまり佐賀が好きではなくて、外に出てたんです。でも、諸事情あって、帰ってこないといけなくなって。当時は独身ですし「ここで何をするんだ」と思って、どんよりして。そんな私の姿を見て、母が泣いちゃって。
──今の姿からは想像できないですね。
「このままじゃダメだ」と思っていると、見かねた母が中古の軽自動車を買ってくれて。「これで外へ出て、好きなところを廻りなさい」って。
うわー、いいお母さんですね。気分転換のためですね。どんな旅をされていたんですか。
ライブに行ったり、カフェに行ったりしてたかな。行った場所場所で隣に座った人などに話しかけて、その人が影響されたものを辿るという旅をしたの。
──え〜!!独特。それ面白そうですね。
ドラクエみたい!
そんな旅をしている中で、波佐見のムック(monne legui mooks※)を知って。当時はオープンしたての年で、まだそんなに人は多くなくて、ゆったりしていて。「こんな場所があったんだな」って。
そこで長瀬渉さん※という作家さんに出会ったんです。彼の作品の中に、カエルが乗っている手洗い鉢があるんですよ。私、カエルが大キライなんですけど「彼のカエルは許せる」と思って。
「めっちゃ欲しい!」って思ったけど、手洗い鉢を買っても、そんなものが置けるような家に将来住めるなんてわからないでしょ。そんなときに、うちの旦那とお見合いパーティで出会ったんですよね。
商工会の青年部がやってたやつね。
そうそう。それで、カップル成立して。自分のことを「料理人」って言うから、イタリアンかなにかだと思っていたら、旅館で。最初に旅館って聞いてたら、絶対に選ばない。笑
──でも旅館だったら、あの手洗い鉢が使える。
そうそう。まずはトイレを自分の好きな空間に変えていきました。7箇所のトイレをリノベーションは私の夢で……。全て完了しました!
それはすごい。他にも夢はあるんですか?
私の三大ドリームは、トイレとお庭とミニクーパー。
全部かなってるじゃないですか!!
──えっ、そうなんですか?
まず、今はミニクーパーに乗っているでしょ。
そして、客室「燕 en」には、別世界のような立派なお庭が。
──すごい。夢を叶えている……。
庭の改装は「まだまだ改装すべき場所があるのになぜ庭?」と言われたので、自分で貯金を切り崩してやりました。今では世界で活躍している西海園芸の山口陽介さん※が手がけています。
陽介さんに依頼する時、陽介さんが「佳代子さんの夢をぼくに語ってください」って、言ってくれて。「ぼくはその夢に繋げる庭をつくる」と。
──かっこいい。いいエピソードですね。
この部屋をエースにして、他の客室の稼働率も上がっていくといいなと思って、つくった庭なんです。
これからのひさご旅館はまちの「ポイント」に
何はともあれ、佐賀に帰ってきてよかったですね。
佐賀で(北川)健太くんに出会えたのは大きかったかな。「キライな佐賀にも同志がいるんだ」って思って。
──北川さんを同志だと感じたのは、なぜですか?
私が行くところを全て知っているのよ。お店も。人も。私、「隠し持っていた自分の世界」を晒せる人って、佐賀にいないんじゃないかって思ってたんです。私はマニアックなところがあるから……。
──共感してくれる人がいないと思っていたんですね。
そうです。自分の独自性を晒しても「面白い」と言ってくれるっていう。
──めちゃくちゃ重要な存在じゃないですか。笑
そうだったんですね。笑 まあ、いつも「ひさごさんはそのままでいいんです」って、言ってましたからね。
──これからのひさご旅館は、どうしていこうと思ってらっしゃいますか。
母は76歳、私の母も82歳になります。これからは後期高齢者と一緒に働くということを考えないといけないし。それに後継者がいないから、私たちが老夫婦になったときのことも考えないといけない。
自らが高齢者になった時の「旅館のあり方」についても、考えていっているということなんですね。
ゆくゆくはここを何らかの福祉施設にしてもいいと思っているんです。元気な未亡人が集って、ここで暮らす。お風呂が必要なら、ヘルパーさんを呼んで、共同で暮らすとか。
──そんなことまで考えてらっしゃるんですね。自由な発想だ。
いいですよね。旅館という形にこだわってはいなくて、まちの中の一つの「ポイント」になれたらいいな、と思います。
でもですよ。もしも「ひさご旅館を継ぎたいんです!」っていう、若い人がでたらどうします?
私は託すかな。高齢者になったら、何でも辛くなるし。それに、そうじゃないとシャッター街になっていくだけだしね。
本当にそうですね。「血縁のある人から後継者をつくらないと!」ってこだわる人が多いじゃないですか。でも、その結果なくなってしまったところがたくさんありますからね。
旅館ってたいへん。 だけど楽しい!
──嫁いで16年ですか。けっこう大変だったんじゃないですか。
まあ、家族経営で……。給料って、あってないようなものじゃないですか。……頑張ってきたなぁ。
そんなタイミングでこういう取材ができて、感慨深いですよ。ぼくも。とはいえ、楽しそうですよね。
よく「楽しそう」って言われますね。それはそう。実際に楽しいし。
私も妻から「好きなことばかりやって、楽しそうだね」と言われます。
──それはちょっと、また別の意味で深みが……。
とは言え、旅館ってもともとそういうものだったと思うんですよ。宿のオーナーの趣味とか、世界観とか、あって然るべきだと思います。「旅館だからこうしなきゃ」という考えにとらわれず、自由にしていいはずです。
──そう考えるといいお仕事ですね。旅館に嫁ぐって、ありかも。
「自分をこれからどう活かしていこう」と考える女性には、おすすめですよ。大変そうって、思うかもだけど。
まあ、大変なのは大変なんですけどね。笑
大変だけど、楽しいのよね。
ひさご旅館は楽しい宿であり続ける
ひさご旅館に宿泊してみて、北川さんがなぜ「憧れの旅館」とまで話すのか、よくわかりました。そして、改めて「旅館の仕事って、魅力的だな」と感じることができ、貴重な体験となりました。
旅館大村屋のnoteなのに、こんなことを言うのもなんですが、ぜひひさご旅館に泊まってみてください。マジで予約が埋まってますので、ご予約は計画的に。
「じゃらん」や「楽天トラベル」とかでいくら探しても出てきませんので、公式サイトからどうぞ。
また、ひさご旅館の館内の様子は今回のリノベーションを担当した長田宜郎さんのYouTubeでも紹介されていますので、ぜひそちらもご覧ください。
「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。