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写真集「連師子」ができるまで ー #8 リバイバル

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写真集「連師子」ができるまで ー #1 穴の空いた写真
写真集「連師子」ができるまで ー #2 どう撮るのが正解なのか
写真集「連師子」ができるまで ー #3 ラジオの音に
写真集「連師子」ができるまで ー #4 茹でたカニのように
写真集「連師子」ができるまで ー #5 あなたの言語は
写真集「連師子」ができるまで ー #6 オランダの光
写真集「連師子」ができるまで ー #7 交通整理

「私は12才の時の友人に勝る友人を、その後、持った覚えはない。」のナレーションが印象的で、12才だった頃の僕は、繰り返し繰り返し映画“Stand by me”を観た。この映画に限らず、幼少期の多くの出来事によって、回顧的な物の捉え方や価値観は、僕に確実に根付き、どの作品の根幹にも存在する。

時を経て、自分の結婚式に参列した旧友を見たときのことが忘れられない。スローモーションのように記憶に残るその表情を思い出すたび、映画の中の主人公ゴーディーの気持ちに少し近づけるような気がしている。

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これは、自分のストレートなドキュメンタリー作品に限界を感じていた30代の写真家が、様々な出会いや挑戦、試行錯誤を経て、写真集を国内外で販売するまでのお話です。

「ここから現代まで大きく時代的にジャンプしていて、写真のテイストも変わっちゃうね。」
写真集制作ワークショップ後も、Reminders Photography Strongholdの後藤さんには、ダミーブックの進展を見てもらっていた。
「物語を、もっと演目の間奏みたいに続けて見せる形は無いの?」
「個人史みたいに、時系列にただ古い写真を並べたくは無いんですよね。どうしよう。。。」

僕の写真集の中には、森の中を進むイメージの写真が複数ページに渡ってある。
新旧様々な写真をシームレスにつなぐことに苦心した僕は、あぜ道を進む主人公の姿を意識したこのパートこそ、獅子と人を、時間軸と音楽を、一つにする挑戦だった。

「思慮深く聡明でまじめな人を伴侶として共に歩めないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとりで歩め。(略)悪を為さず。求めるものは少なく。林の中の象のように。」
ダンマパダ(Dhammapada)23章329〜330節より

神社で舞を奉納することを決め、突然、華やかな舞台を去ったやまとふみこ師匠。
取材を進めながら、「心を許せる本当の関係はどうやったら築けるのか」と、僕は自問自答した。数多の別れと、愛情の授受に葛藤してきたことの全てが、僕がこの取材で行き着いた事実だった。

僕は、主人公であるやまとふみこさんの舞踊家人生に心からの敬意を込めて、最終的に世に出す本の冊数を68冊とした。それは(本の発売時点までの)彼女の芸歴を示す数字だった。

そして、当たり前のことだけれども、作家として作品を発表することに意味があるのかを常に他者に問われていると感じる。
”これは見るに値するものなのか。”
”なぜこの物語を見なければならないのか。”
自らの血を分けた存在如何に関わらず、自身の持つ全ての中から、相手にとって価値のあるものを探し手渡そうとする行為を、身近に見てきた数年間。
芸事に限らず、世の親や、先輩後輩の関係にも通じることだろう。

僕は、この行為を、改めて優しく捉え直すことができたように思う。
時に痛みを伴う、とても尊いものとして。

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銃声が鳴り、ゴーディーが不良のエースに銃を向け睨むシーンが頭をよぎる。
「こいつら全員を撃つのか?」
「まさか、お前だけだ。」
彼が本当に守ろうとしたものは、目に見えず、共有し難く、他者にとって時に無価値なものだろう。
それでもずっと繰り返し思うのだ。
上空高く飛んだその弾丸は、一瞬の音と消えて、何も無かったかのように明日を迎えるのだろうか。

虚と実の世界を行き来しながら、瞬間に生きる舞踊家の物語。
一つ一つ、時間をかけて本を作る。
全ての工程の最後、エディション数の下に落款を押す。
この時、僕は逆光に浮かぶシルエットと、鋭いあの音を思う。

チョン、チョン

本を開けば三味線が鳴り、白獅子が物語の行く末を見守る。
あの鋭い木の音が知らせる舞台袖に、僕はしばらく足を運べていない。
ただ全てが、そこに確かにあったからこの本が生まれた。それが誇らしい。

この物語が、いつでも、どこでも、まだ見ぬ誰かの手の中で、リバイバルされていくよう祈っている。

お読みいただき、ありがとうございました。

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