写真集「連師子」ができるまで ー #1 穴の空いた写真
薄暗い舞台袖。向こうから差し込む光で、彼女のシルエットが浮かび上がっている。
キン、キン
舞台の始まりを知らせる拍子木の音が、僕や彼女の間をすり抜けて観客たち全員を射抜く。
鼓膜が破れないかと心配してしまう鋭いこの音を、「チョン」とやけに可愛いい言葉で表すのだと、僕は後に教わった。
本日の演目は...
これは、自分のストレートなドキュメンタリー作品に限界を感じていた30代の写真家が、様々な出会いや挑戦、試行錯誤を経て、写真集を国内外で販売するまでのお話です。
時を遡ること2014年の末、僕はある仕事で大学の先輩が働く大阪のオフィスビルを訪ねた。そこで偶然、日本舞踊家やまとふみこさんのリハーサルに居合せた。自分の祖母と同年代にあたる彼女が、見事なキレで舞っている。
なんだこれは。
僕は日本舞踊を直接見たことがなく、下手な振る舞いをすると怖いだとか、逆に周りのみんなが無条件に誇らしく外国人に紹介する姿に、なんとなく違和感さえ持っていた。だからだろう、このスーパーウーマンを自分の中で処理できず、圧倒された。
よく知らない世界で生きる、この隣人のことを知りたい。
それが小さなきっかけだった。
それから2年近く、幸い僕は全国の舞台や、流派内の式典や打ち上げまで、数々の現場に同席させてもらうことができた。しかし、撮れども撮れども、一向に作品としてまとめられなかった。
一体、僕は何をしているんだろう。
ただ時間と焦りが積み重なっていく日々だった。
実は、当時の僕の頭には、ずっと一枚の写真が浮かんでいた。
渡部雄吉さんの、実際の殺人事件を捜査する刑事たちを追った「張り込み日記」で、受話器に耳をあてる男性の写真だ。
撮影者がいなくても起こる実在のドラマと、鑑賞者を引き込む力。
写真家は気配を消して、瞬間を狙う。聞いたことのあるような写真家像を重ねながら、同時にその流儀における自分の限界を感じていた時期だった。
「手持ちのもので何かまとめようっていう発想に無理があるんじゃないですか。」
写真集を作るにあたって、僕は東京曳舟にあるReminders Photography Strongholdの後藤由美さんに相談した。
自分だけでは、目の前の壁の正体も分からない。藁をも掴む思いだった。
年に一度、5月に開催されているPhotobook as objectという写真集制作ワークショップでの一コマだ。
「自分で自分の写真見てて、面白くないんでしょう?」
「そう、、ですね。全然。」
「新聞とか雑誌の撮影が上手なのは分かる。でも写真集で物語を見せる上では、これでは深みがない。もしかして、想定したストーリーに当てはめてないですか?」
「ただ知ってることだけでまとめても、それではダメだと思います。」
「確かに、写真の隅々まで情報があって、誰かを納得させるように写真を組んできたかも。」
「楠本さんだから知ることができたことって何ですか?」
「何だろう。話をしていて思ったんですけど、もしかしたら主人公の目線でなく、弟子たちの目線でもなく、どこか冷めて物事を捉えて、勝手に型にはめているのかもしれません。」
そこで初めて、僕独自の写真だと言いながら、避けてきたはずの既視感のある物語を追ってしまっていたんだと気がついた。
師弟愛?汗と涙?現代的な継承?
そんなんに惹かれたわけじゃなかったような。。
結局、目新しさに追われ、追わされていただけだったのかもしれない。
僕はすぐにやまとふみこさんに相談して、自宅を訪ねた。
そこで、膨大な資料の中から運命的な写真と出会った。
虫食いの穴が目や頭、時に全身を食いちぎるように空いた彼女の幼い頃の写真。単に経年劣化という程度を超えて、強烈な“痛み”に似たものを僕に訴えて来るようだった。
痛い。苦しい。あなたにこの意味が分かる?
その時、手が小さく震えたのを、人の人生の重さをこの手が感じたのを忘れられない。
ごめん、今は分からない。でも出来ればもっと知りたい。
この瞬間から、やっと、僕の本当の製作は始まった。
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