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自分語り乙

《ある画家の話》
ある日、少年がお庭で遊んでいると
木陰に小さいお墓を見つけました。
なんと不思議なことに、その墓石には
自分の名前が刻印されていたのです。

自分は今ここにいるのに、もう死んでいる。
「一体この僕は誰なんだろう?」
少年は生涯ずっとこの墓の存在に囚われ、
ついに自らその命を絶ってしまいました。


フィンセント・ファン・ゴッホという男は
沢山のひまわりの絵と愛する弟への手紙を
残した。

彼の倒錯した自己像や破綻を繰り返す
人間関係、相手を脅かすまでの激しい愛情
が、弟に宛てた手紙に書かれている。

彼は自分が誰なのか知りたがった。
そのために人を愛し、愛されたがった。
あの墓に書いてあった自分の名前を、
今の自分の名で塗り替えようともがいた。

「ひまわり」という作品群はある1人の
友人のために描かれている。
彼との共同生活を美しく飾り立てる
インテリアとして、ゴッホは寝る間を
惜しんでひまわりを描き続けた。

ひまわりは彼の愛の強さを物語る。
しかし、そんな彼の愛も虚しく
友人との2人暮らしはたった2ヶ月で
悲劇的な終わりを迎えたのだ。



《ある小説家の話》
彼には周りの人間が何を望んでいるか
すぐに分かった。
時におどけて見せ、時に秀でた文才を
発揮して見せると大変可愛がられた。

しかし、彼にとってそれは面白くなかった。
期待外れのことをしたら自分には価値が
ないことにも気付いていた。
ある日彼は、愛人と共に投身自殺した。




太宰治という男は自殺未遂マスターとして
有名な人物である。

しかもそのたびに女絡みのトラブルが
付き物で、彼にとって愛と死は切っても
切り離せないものだった。

彼は自分のことがよく分からないことに
深く悩んでいた。
それは『人間失格』に克明に記される。

親の期待、周囲の反応、女からの愛
全てにきちんと答える優等生は
彼にとって「自分」ではなかった。

彼は最終的に親から絶縁され、周囲に
見放され、女からも裏切られて
人間関係は破綻した。

それでも、死ぬ間際まで
愛に必死にしがみつき
その結果愛人との心中を選んだのだ。



彼らの名前や作品は知られても
彼らの抱えるパーソナリティ障害の
苦しみはなかなか知られない。

「めんどくさい性格だった」という
事実だけは語り継がれるけれども
彼らが、自分自身についてどのような
イメージを抱いていたのかは
あまり語られることがない。

しかしその理由も私には分かる。
境界性パーソナリティ障害を持つ者は
自分について語るのが下手だ。

今日何をした、何を思った、何を見た
この自分がしたことの全てが
何か見当外れな馬鹿馬鹿しいものに
思えてしまうからだ。

自己肯定感が低いというより、そんなもの
ははなから存在しないと言ったほうがよい。

全ては自己否定感を補うための行動だ。

私はゴッホと太宰の生涯を借りてしか
自分について語ることができない。

しかし彼らの残してくれた人生の軌跡に
よって、自分を語ることができる。

つまり、この文は全て自分語りだった
わけである。ごめんなさい。



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