マガジンのカバー画像

辻政信氏追悼のための調査考察

21
2024年5月3日の追悼法会に向けて 「ツジマサノブ氏の無念は何か」をテーマに 調査考察をした記事をまとめています。
運営しているクリエイター

#流記屋の旅中記

【了】「追悼法会のための」辻政信氏調査考察 2024.4.13

【了】「追悼法会のための」辻政信氏調査考察 2024.4.13

2024年1月14日に
突如私の見る世界に現れた
「ツジマサノブさん」を調べる様になって
ちょうど3ヶ月になりました。

事の発端は、
当時ご縁を感じていた尼僧さんから
メッセンジャーを通した文面で名前のみを伝えられ、
「彼に関する情報を調べてみる」ことになった、
というものなのですが

当初は私自身の浅学もあって、
辻さんの生前の功績を存じ上げなかったため

御霊となった彼への第一印象は、
「外

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.4.4 中立論と東亜連盟の理想

【辻政信氏の調査考察】2024.4.4 中立論と東亜連盟の理想

ここしばらく、
地元の図書館で借りたご本人の著書を元に
辻政信氏が周りに「伝えようとしたこと」を読み解いてきました。

辻氏が書籍を出版したり、全国各地で演説をして
「どうにか日本の人々に伝えようとしたこと」を
ここで一度、整理してみようと思います。

一、中立論/天は自ら衛るものを衛る辻氏が提唱した「中立論」は、

敗戦後、
「今後の国防問題をどうするか」
という局面にあって、国の主導者たちは

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.4.2『亜細亜の共感』読解

【辻政信氏の調査考察】2024.4.2『亜細亜の共感』読解

現在、辻政信氏の理想形成と東亜連盟への参加の経緯を、
『亜細亜の共感』から追っています。

私は、辻氏の文章を読み、
若い彼が世界の実像を見るにつれ、
故国を構成する人々への不信感と、
宣伝を鵜呑みにして悪印象を抱いていた敵国(中国)人への見直しとが、
その心中で積み重なっていったらしい
ことを感じとりました。

その後、辻氏は昭和8年の
「新疆省方面のソ連の進出状況を視察する計画」
というものに

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.4.1『亜細亜の共感』読解

【辻政信氏の調査考察】2024.4.1『亜細亜の共感』読解

辻氏が東亜連盟の理想実現に
意欲を燃やすようになるまでの道のりには、
中国人を見直すような機会と、
日本人に失望するような機会があったようです。

故国から唾棄され、敵国から礼を尽くされた上官

林連隊長の死から視野を狭くした辻氏に、
中国人への敵意を考え直すきっかけを与えたのは、
空閑少佐という方だったそうです。

ここでは、
武人としての恥辱と責務との葛藤に苛まれている上官への惻隠と、
そんな

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.3.29『亜細亜の共感』読解

【辻政信氏の調査考察】2024.3.29『亜細亜の共感』読解

『亜細亜の共感』は1950年、
戦犯指定解除後に、立て続けに出版した本の中の一冊です。

発行者(出版社)は佐藤勝郎氏。
辻氏の、士官学校時代に教え子だった方です。

今回は、辻氏が東亜連盟の一員となった経緯を
探っていきたいと思います。

辻氏の回想によれば、

初陣前、陸軍歩兵少尉を任じられたばかりの当初は、
「中国」を外国として敵視していたそうです。

それは当時の日本の風潮であり、
メディ

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.3.25『自衛中立』読解

【辻政信氏の調査考察】2024.3.25『自衛中立』読解

辻氏が理想として唱えた「中立論」。

奇しくも、「中立」の文字が題にある著書が
地元の図書館に所蔵されていました。
この『自衛中立』を典拠に、
彼がどういう理想を掲げていたのかを読み解いていきます。

今回は、結論と思われる第六章を引用して、
彼の世界観を読み解いていこうと思います。

『自衛中立』第六章 獨立日本の進路 一、自ら中立を守れ

辻氏自身の目に映る日本も、
この中國人同志と同じ見解を

もっとみる
【辻政信氏の調査考察】2024.3.24 『自衛中立』読解

【辻政信氏の調査考察】2024.3.24 『自衛中立』読解

今回は辻氏が提唱した「中立論」について、
1950年頃に出版された『自衛中立』を典拠に
その論旨を読解していこうと思います。

地元の図書館に所蔵されていた『自衛中立』は、
昭和27(1952)年4月5日に蔵書用に購入されたもののようです。

最初の六頁は当時の時勢を表した写真が載せられていて
一頁目から順に紹介すると、

上記の写真たちは、
憂国の思いを人々に訴えるような内容だと感じます。

もっとみる
2024年3月22日 辻政信氏を基点にした記憶の整理

2024年3月22日 辻政信氏を基点にした記憶の整理

この記事で
辻氏の中国への(意地のような)信頼が危ういと感じたのには、
それ以前に読んでいた本の内容が記憶に残っていたからです。

📕 『新装版 運命を創る (安岡正篤人間学講話)』私が若い時に心酔した師が、こう言っていたんです。

この本は、私が2019年9月12日に読んでいたものです。

この時の記憶から、
日本の“純朴な”兄弟観で、海千山千の中国を見るのは危うい…
と感じたんだと思います。

もっとみる
2024年3月6日 『潜行三千里』を調べる③

2024年3月6日 『潜行三千里』を調べる③

前回、潜行ルートをなぞってみると宣言しておきながら、
今回はちょっと脱線して
辻さんが当時考えていたことを読み解いてみようと思います。
なるべく、彼の言葉を拾いながら。

2019年に改めて刊行された【完全版】の『潜行三千里』には、
「我等は何故敗けたか」という文書が収録されています。

これは、辻さんが潜伏中にGHQの監視を上手くかわしながら
親日派の中国人に頼んで、密かに日本の留守宅へ届けても

もっとみる
2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②

2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②

辻さんはなぜ潜ったのか戦後、
辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が
戦犯として処刑されていく中
辻さんは「潜行」を選びました。

そのことについて、当時からすでに
「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われ
ご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。

『潜行三千里』には、
潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへの
ご本人の言及があります。

辻さんについてなんの先入観もなかった頃に
後年の評を聞

もっとみる
辻政信さんの実家周辺をうろついた話

辻政信さんの実家周辺をうろついた話

2024年2月21日の大移動の日、
7時半過ぎに加賀温泉駅に着き
山中温泉バスターミナルから歩いて辻政信さんの生地を訪ねてみました。

山中温泉は、辻さんが高等学校に通う道中にあったそうです。
通学路だったかは定かではありませんが、
Googleマップに従って
白鷺橋を渡り、四十九院トンネルを抜けて
あとは平地をひたすら歩くコースを行きました。

印象的だったのは、トンネルの上や、
道路に面した場

もっとみる
開巻有得〜“絶対悪”の正義と信念①〜

開巻有得〜“絶対悪”の正義と信念①〜

この辻政信さんという方は、
一端に戦場に立っている気でいた頃の私と
好みが合いそうだなと、密かにシンパシーを抱いています。

前田啓介『辻政信の真実
 〜失踪60年 伝説の作戦参謀の謎を追う〜』Kindle unlimitedに登録していたので、無料で読むことができました。

彼を知ったのは、
忘れもしない2024年1月14日…つい先日です。

きっかけは、
十一面観音様の導きでご縁をいただいた尼

もっとみる
【流記屋の旅中記】彼は何を悔いているのか

【流記屋の旅中記】彼は何を悔いているのか

2024.1.14〜2024.1.24 の手記本稿は、
私が生きた日々の記録です。

2024年1月14日

2024年1月15日

2024年1月17日

2024年1月19日

2024年1月20日

2024年1月21日 辻氏の原動力を探る

2024年1月23日

2024年1月24日

※本稿は全文公開の有料記事です。
 辻政信氏に関して調査し、自分が日々感じたことを率直に書いています。

もっとみる