NHK100分de名著 西田幾多郎『善の研究』第2回「“善”とは何か」
今回は第2回です
※第1回「生きることの“問い”」はこちらです
以下、番組の内容です
“善”とは人格の実現である、と西田はする
普通の“善し”“悪し”ではない
自分の中に種の様にあり開花していく可能性
宗教は大いなるはたらき
それを求めるのは真の自己に出会いたい要求
大いなるものの前では自分は絶対的な存在ではないと自覚する
己は小さきものと思い至り、大いなるものに畏怖を持って向き合う
そのとき、自己の根底で可能性が開花し、人間は真の自己になる
これを西田は“善”とした
普通、宗教というとある宗派を思い浮かべるが、西田のいう宗教は“大いなるもの”からの呼びかけ
普通の“自己実現”には“私”があるが
西田は、人と不可分な関係こそ“自己”なのだ
“私”を手放していく
“私”であろうとすることから開かれていく、とした
表層意識と深層意識が1つになり“行為”される時、初めて“善”への道が開かれるという
“善”という人格的要求にしたがっている時、他者を尊ぶことができる
反して、他者を尊ぶことができない時、容易に“悪”とつながる
表層意識と深層意識が1つにつながった“行為”の際には必ず他者がいる
意識は層をなしている
意識
個人的無意識
普遍的無意識(集合的無意識)
心の深いところでは元々他者とつながっている(ユング、河合隼雄)
私たちの心が深くなれば深くなるほど開かれていく
自己が他者に開かれていく
絶対的善行とは、意識統一其者のために働いた“行為”
普遍的無意識は見失っている人もいるけれど、それぞれの人に備わっている
完全な善行は果てしなき“愛”に昇華する
その開かれ方が最も深くなった時、人類まで、今、過去までつながる
西田はそれを誰にでもできると言う
私を早々に超えて、私たちから、人類、宇宙までに行け
“善”は努力して作り上げていくものではなく、既にあるものを発見していくこと
生きる意味は私たちの中にあって、私たちが作っていくのではない
無限の宇宙本体と融合し、言葉を超え、神意と冥合するのである
私たちは1人1人人類、1人1人宇宙、そして宇宙は無限
“言葉”を超えて無限と1つになること
すなわち“善”となる
私たちは何ものかに生かされている
どう生かされているか
両方考えていかなくてはいけない
【番組の内容を受けた考察】
第2回はなかなか盛りだくさんの内容でした
以下、順番に西田と自分の経験、考えを対比させて考察して行きたいと思います
〈“善”は人格の実現であるとしていることについて〉
西田は、“善”を普通の善悪の善としては用いていませんが、自分流に言い換えてみますと、
私たちの心の底のどこかに“魂”というのがあるとすれば
“善”とは“魂の進化向上”と言い換えることができるかもしれません
番組でも「自分の中に種の様にあり開花していくもの」と言っていますので、私たちの心の中に既にあるのだと言えます
〈大いなるなるものについて〉
西田は“神”を大いなるものと考えていた様ですが、自分も今では人格的な“神”は存在せず、意識はありつつも透明と言いますか、あまねく偏在しているものと感じています
その意味でも、自分はその大いなるものを1つの特徴を示さず、宇宙=天=神と呼びかけています
〈大いなるものを意識し始めた時〉
番組では、大いなるものを求めるのは真の自己に出会い要求するとされていましたが
自分はツインレイと言われるあの人への“愛”の深掘り純化、エゴの脱落の過程(サイレント)で、宇宙さんたちからシンクロニシティ(シンクロ)という形で数字、言葉などの様々なメッセージが届けられた時、出会いました
その意味で、人それぞれだと思いますが、真の自己を探っていく過程で、大いなるもの=宇宙さんに出会うのだと思います
〈“私”を手放していく過程について〉
自分の“私=エゴ=我”を手放していく過程は、ツインレイのあの人とサイレントで別離した後も続いた長年の“愛”への葛藤の中でした
その結果、あの人に対しエゴが完全なくなり、執着も完全になくなり、“無条件の愛”を確立しただけではなく、周囲の人のも“愛で在れ”る状態になり、周囲の人に無意識が開かれて行ったのでした
〈表層意識と深層意識が1つとなった“行為”について〉
私=エゴ=我が、ある酷い苦難や葛藤状態で潰され、剥がされていくと、表層意識が深掘りされ、個人的無意識を超えて、普遍的無意識まで到達します
そこでは宇宙=天=神と接続、一体化し、神意、宇宙の愛と同一のものとなります
その時の“行為”は自然と他者を尊ぶものとなりますが、“愛で在る”ことから他人の幸せを望む“行為=施し”となります
仏教用語では「“福田”ふくでん」といいます
〈“善”人格的実現の目的〉
自分の言葉で言い換えますと、自分のエゴ=我が、何らかの形で潰され、剥がされ、普遍的無意識まで到達し、宇宙さんたちとつながることにより、“愛の存在”に戻ることです
そのことにより、いかなる人生の場面でも、どんな人に対しても“愛で在る”ことができる様になります
その際の“愛”は宇宙さんたちとつながっていることから宇宙の愛=無限となります
〈“善”は努力して作り上げて行くものではないということについて〉
西田は“善”は私たちの中にあって発見して行くものであって、作って行くものではないとしています
“愛”も同じです。上部の愛ではなく、“無条件の真実の愛”は自分のエゴが全て取り去られて、普遍的無意識で宇宙さんたちと接続することによって現れます
“善”あるいは“真実の愛”は、私たちの普遍的無意識まで到達して心の奥深くから発見されるのです
西田は私たちの心の深い底での無限の宇宙と神との冥合を説いたのです
〈私たち1人1人が“善”の実現、あるいは“真実の愛”に到達すると、地球上から戦争がなくなり世界平和が訪れるか〉
現在もウクライナとロシアが戦争し、ハマスとイスラエルが戦争し始めました
戦争のない平和な日本にいる私たちは一体何なんだと思うでしょう
しかも北朝鮮もミサイルはバンバン撃ってくるし、中国も武力的な圧力をかけて来るし、こんなんじゃ戦争はなくなりっこない、世界平和は無理だと誰しも思うでしょう
ただ、なぜ自分が日本に生まれたかの意味を考える時に、日本もかつて戦争をした国で他国も侵略しました。結果、大敗し、憲法上、戦争放棄の国になり、戦争を行っていない国となりましたのですが
しかし、世界的な軍事的脅威の下、防衛費はみるみる増大しています
注視して行き過ぎに対しては抑制も必要です
今平和であるがゆえに、まずは日本で
西田のいう“善”に到達する人が増え、他人に“愛”で“行為”できる人が多数になる必要があります
平和を確かに実現するための要因を増やし、モデルを確立するのです
それは戦争をしていない日本国だからできるのです
自分の考えを言うと
日本国内で“善”に到達する人を可能な限り増やすこと
上記の内容のとおり、“善”に到達に一番近い人は、修行をしている僧侶や厳しいトレーニングを積んでいるアスリートの他に
酷い苦難、逆境にある人
経済的困難、劣悪な家庭環境、ブラックな就労環境ーブラック企業、医療従事者、介護従事者ー、災害に遭った人などが該当すると思われます
この人たちはある意味、強度な圧力から自分のエゴ=我の変更が日々余儀なくされ、心の深掘りがなされ続けている人たちだからです
これらの人が苦難を乗り越えた先には、“善”に到達し、“愛で在る”ことになる可能性が大なのです
そして、そんな人たちが多くを占めることが、他人を尊び、国内を愛で潤し、日本国の平和を絶対的に揺るがない堅固なものにしてくれると確信するのです
どうか、皆さんもなんとか心が“善”、“愛で在る”まで到達して、宇宙さんたちと一体化した感覚で、日々至福フクの日々を送ってほしいです
次回、第3回に続きます(*´-`)💖
※参考に、西田が感じた悲哀を想起させる曲の動画リンクを載せます。よかったら聴いてみてください☺️
Handel=HalvorsenのPassacaglia
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