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森(11話)

 中学生男子の顔は腫れていた。湿布がいたるところに貼られていたが、そのどれもが丸みを帯びていて、その下の腫れをありありと表している。

 部活に現れた彼を見て、友人らは絶句した。

「どうしたんだ」とたずねる彼らに一言言ってやりたい気持ちを両手の親指をにぎりこむことでぐっと抑える。

 お前らのせいだろうが。

 実際に彼を捕まえたのは顧問の先生であり、通報したのは駅前の店員のおばあちゃんであるわけなので、部員は関係ないのだが、彼はとても苛立っていて、正常な判断が難しい。

 今殴りかからなかったのだって、体に植え付けられた痛みへの恐怖がそうさせただけだ。ここで殴りかかりでもしたら中学生男子は間違いなく『また』殴られることになるのだ。

 あの日、車をどうにか運転させようとしているところにきた顧問。彼は一瞬悲しそうな顔をして、見つけました! と叫んだ。するとやってきた監視人に引き摺り出され、その場で顔やお腹を蹴られた。

 それを止めたのは老婆の「静かにしておくれ!」だったのが皮肉だが、それで中学生男子はなんとかその場は救われた。

 続いた「やるのは構わないけどね」と高笑いを監視人と顧問が受け入れたのか、学校に連れて行かれてから再度暴行を受けた。そのときは監視人だけではなく、顧問も中学生男子を殴り、蹴った。監視人より怒りはこもっていなかったおかげで、痛みは監視人にされたよりは少なかったが、その差は殴り蹴られている本人にはわからない。ただ、顧問は顔だけは殴らなかった。まるで担当が決まっているみたいに、顧問は腹部を監視人は顔に暴行を加えた。

「まったく、休みの日に駆り出さんといてくれよ!」と最後の一発の蹴りと同時に監視人は叫んだ。

「俺は用事があるから帰る。あとはお前の好きにしろ」

「好きにって……俺の監視はどうするんです」

「そんなの知らん。俺は帰る」監視人はそういっていかにも怒っているといった足取りで校門を出て行った。ほどなくしてエンジン音に続いて車が走り去る音がした。

「すまないな」そう言われて睨みたい気持ちを抑え、俯いたままで「いえ」と答えた。

「顔を見せろ」と言われて、再び殴られるのかと思った中学生男子は目をぎゅっとつぶって身構えたが、痛みは小さいものだった。

「あぁ、口の中まで切れてる。まったくあの人はやりすぎだ……顔なんて一番目立つところにつけたら他の生徒が怖がっちまうし、それで疑心感を抱かれた日には困るのはあの人自身なのに、まったく……」

 顧問は顔をぐりぐり動かして、傷の位置を確認し、それぞれ処置を行った。

 そこでようやく中学生男子は彼のしている表情がとても悲しげなことに否が応でも気がついてしまう。ずっと目をつぶっているわけにもいかず、顔を見られているということは、自分も見ることになるからだ。

「殴った本人が、どうしてそんなに悲しそうなんですか……」

 あっ、質問してもよろしいでしょうか! と続けると、顧問は笑って

「そういうのは今はいいよ」と言ってまた悲しげな表情をした。

「駅前の店員さん、元気がなさそうだったが大丈夫だったのか?」

 顧問の先生は質問には答えず、別の話題を振ったので中学生男子はそういうのはいい、というのが悲しそうな顔の理由の部分にあると思った。

 しかし、それは違った。

「昔な、先生も森について調べてたことがあったんだ」

「え!?」と思わず大きな声が出てしまう。同時に顔全体と、腹部に強烈な痛みが走った。

「しっ! 今日はお盆で部活も休みだから監視カメラもないが、どこで誰が聞いているかもわからん。反応はしなくていいから聞いてくれ」

 言われなくても中学生は派手な反応をしないでおこう、と心に決めたところだったが、先生はそんなことはしらず、一息ついてから声を落として続ける。

「先生も昔、森について興味があってな。夏休みの自由研究で調べることにしたんだよ。そのときはまだ今みたいに森に行ってはいけないって言われてもそこまで厳しくなかったんだ。子どもだけで泳ぎに行ってはダメ、とかそんな感覚だった。
 知らないことを知るためにやるのが自由研究、って当時の先生の先生が言っててな。そういうのもあったと思う。
 同じタイミングで興味を持ったのが駅前の店員さんでな。それで、一緒に調べることになったんだよ」

「え! 先生と駅前の店員さんって同級生だったんですか!」

 同時に走る痛み。先生はしーっ! と小さな声で叱り、周囲を見渡してから続ける。

「同級生ではなかった。あっちが一個下だった。こういうのはなんだが可愛かったよ。なんでもかんでも先輩先輩ってひっついてきてなぁ」顧問は照れくさそうに微笑んでからすぐに悲しそうな表情になった。

「多分、小さい頃に両親を亡くして、おばあちゃんと二人暮らしだったから、年上の俺を親のように思って親しくしてくれたんだと思う」

 先生の悲しそうな表情はさらに歪み、悲しいという感情を明確に表し出す。

「でも、先生たちはバレてな。その報復がこれだよ。そういって先生は自分のジャージをひっぱる。
「この学校の体育教師をやることになった。森について知ろうとする人がいれば、阻止する役目だ」

「逃げることは出来なかったんですか?」

「考えなかったな」

「どうして?」

「条件と引き換えに森にお願いしたからな」

 顧問はまぁ当時は俺は子どもだったから俺の両親がお願いしたんだけどと続ける。

 それを遮るように中学生男子は「条件?」とたずねた。

 顧問は少し喉に詰まったようにしてから「駅前の店員さんにはなにも危害を加えないこと。それを条件に俺はこの町で森について生徒が知ろうとしないようにする、知ろうとする人がいたら痛めつけてでも止める役割を引き受けた」

 先生は言った後でぷっと吹き出す。

「だから困ったよ。お前らが駅前の店員さんの車に乗ったときは。止めないといけないけど、彼女に危害を加えないようにしないといけないからな」

 中学生男子は反射的に「すみません」と口から出てしまう。しかし顧問の表情は柔らかで、怒っている様子はない。むしろ何か肩の荷が降りたような表情だった。

「さっきは監視人の目があったから顧問として暴行を加えたがすまなかった」先生は頭を下げる。あげてください、と中学生男子が言う前に彼は中学生男子の肩を掴んで続けた。

「諦めるな、森は完全じゃない。俺に監視人がついているのは、強い力があれば森の影響を受けないからだ。俺がそうして森について知ろうとする人たちに余計な情報を与えないためについているんだが、俺は今こうしてお前と話せてる。
 きっとあの転校生の女の子も森の影響を受けているはずだ。だが、お前ならきっと取り戻せる。そして、きっと昔俺たちがたどり着けなかった森の真実に気づけるはずだ」

「先生はなんでそこまでするんですか?」

「森の影響がついに駅前の店員さんにまで向いてしまった。森の影響がWブッキングしていて、うまく調和が取れていない状況なんだ。森について知ることができるのは今かもしれない。それに……」

 約束を破ったのは森の方だからなと続ける顧問の表情は晴れやかだった。

「しばらくは絶対に問題を起こすな。部活にきて、普通にしているんだ。心配するな、チャンスはきっとくる」

 その先生の言葉を信じて、中学生男子は部活のメンバーのいじりにも耐え続けているのだった。

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