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#3-2 キャリア意識、キャリアステージによるリフレクションの違い【MAWARUリフレクション:町支先生#2】

みなさんこんにちは。MAWARUリフレクション事務局です。今回は、12月10日(土)に開催した、「リフレクションを対話的に再構成する~研究者と実践者でリフレクションを紡ぎなおす~」シリーズの第3回目イベントの様子を、引き続きお伝えします。

PartⅡからPartⅣは、参加者から寄せられた質問をテーマに、町支先生のご回答や参加者とのディスカッションの様子をお届けしていきます。この記事はPartⅡになります。なお、本シリーズはPodcastでも配信しています。

キャリア意識、キャリアステージによるリフレクションの違い

山下:先ほど町支先生からもお話がありましたが、事前の読書会で「キャリアには本当に色々ある、管理職を目指しているキャリアなのか、あるいはジョブJobとしてお金を稼ぐ目的だとか、目的が全然違う。あるいは、キャリアのステージによっても、キャリア意識が変わってくるのではないか」という話が出ました。先ほど町支先生から、今回の研究では「見通しを持っているか持っていないか」ということで研究をされたとお話があったのですが、参加者が非常に関心を持っている点で、このあたり町支先生はどんな風にお考えになられていますか。

町支:はい。まさに(スライドに)書いてある通りで、キャリアには色々あります。例えば、10年ほど前になるのですが、教員10年目くらいの方に、ストレートに「管理職になりたいですか、なりたくないですか」という調査をしていた時、管理職になりたいという人は確かに1割もいなかったです。そういったところから、リアルに「管理職になりたい」とは思っていないけれど、学校の中にいると、自分がそういう方向のキャリアパスに流されている、というと変ですが、何となく学年主任をやって教務主任をやって、自分はそういう流れにあるなと感じてくるとか、(ステージによって)キャリアに対する見通しも全然違うだろうと思いました。
あと、「ジョブ(お金を稼ぐ)」の部分で教員になるということが、今はけっこう自然に表に出せますが、昔はなかなか表に出せないというか。いや別に(教員になるのは)お金を稼ぐためだし、もう少し良い仕事があれば、次の職に変わるという軽やかさって、10年前と全然違うじゃないですか。まさに(教員のキャリア意識には)色々あるのではないかというところに皆さんの意識が向いたということ自体が、すごく今っぽいなと思いました。昔だと、「管理職になるか、ならないか」という2択のような感じだったのが、色々な捉え方が出てきているのだなと思います。先ほども言いましたが、それ(キャリア意識の捉え方)次第で、結果は全然違うと思います。
ただ、これはキャリアステージのところにも関わってきますけれども、経験学習をしているほど、(どこの方向に向かうかは違っていても)成長する・前に進むというのは、どのようなキャリア意識を持っていても、おそらくある。けれど例えば、キャリアステージによって何が違うかというと、これは研究がされています。ビジネスパーソン向けだったかと思いますが。4つのステップの中でどれが成長につながるかについて、最初の頃には色んな経験をするとか、どんどん新しいことを経験するというような具体的経験がすごく大事です。それが何年目からか、内省的観察とか、抽象的概念化が成長につながるようになる。(経験学習のサイクルを)回していても、どこが成長につながるかというのは、例えばキャリアステージで変わってくるかもしれないし、キャリア意識によって変わってくるかもしれない。ジョブのキャリア意識だと、「何か新しいことをして、どんどんできることを増やしていきたい」というようなイメージにはなかなかならないと思います。それよりは、「できることを安定的にやりたい」という方が強くなると思うので。そういう意識によって、経験学習の4つのうちの何が成長につながるのかというのは違う気がします。これは、実証研究してみたいなと思いました。

山下:ありがとうございます。キャリアステージによって、初めは具体的な経験が大事だけれど、だんだんキャリアを積むことによって、4つの段階でも濃淡が違ってくるというのはすごく面白いなと思いました。

中島:今のお話は、松尾先生の経験学習入門(※1)の本にあったかなと記憶しているのですが、具体的経験が大切なのは新入社員の段階ですよね。最初のうちは、内省的観察より具体的経験の方がより自分が成長したと思える実感につながったという研究があったことを思い出しました。

※1 松尾睦(2019)職場が生きる 人が育つ「経験学習」入門. ダイアモンド社.
https://www.diamond.co.jp/book/9784478017296.html

リフレクションの個別性/目的に応じた促し方の違い

町支:なるほど。本当にそれは、相手に対する促し方や関わり方にも関係してくると思うのですよね。今私が教職大学院で一緒にリフレクションをしている中で、ストマス(学卒院生)という初任に近い子たちは毎週学校に行っていて、学校で起きた出来事をリフレクションしています。最初のうちはやはりコアの部分というか、「教師とは~」とか、「学校の先生ってね~」のような話をしようと思っていたのですが、最近はやはり1年目とか初任に近い方たちは、リフレクションの目的をもう「改善」に振っていいのではないかと思っています。やはり、「授業はどうやったらうまくいくのだろう」とか、振り返ることで何かが良くなるとか何かが出来るようになるとか、そういう自信が溜まってこないと、自信というか、自分のキャリアのベクトルが上に向いていないと。もう本当にぐわーっとなっていて、教師やめたいなとか、合ってないのではないかというところに向かってしまいがちなので、やはり最初は「いいねいいね」というところとか、「こういう風にしてみたらどうか」ができるようになっていく、それを大切にしてあげるところが必要じゃないかなと最近は思っています。逆に、やはり10年15年の現職の先生は、目的は「変容」だと思うのですね。改善じゃなく、コアな部分をどう自分で見つめ直して、考えていくかということをしていかないとならない。相手によって、目的も関わり方も全然違うと思います。

山下:ありがとうございます。今日の参加者の皆さんは、若手の方を育てていくことにすごく関心が高く、実際そういった仕事をされている方だと思うのですが、皆さんいかがですか。

A:今のお話を伺って、私は毎週、初任者研修で振り返りの時間を取っていて、コアに繋がるようなところも最初は目指していました。2人のうち、1人は結構うまくいって、もう1人は、目の前の改善の方に関心があるなと思いながら、半年以上たったのでコアのところも聞いてみようと促して、結構うまく先生方も振り返りができた。でも、飲み会の時に話していたら、「先生はすごく私のことを認めてくれて、色々振り返りをしてもらえるのですが、実際はどうしたらいいのですか、何かいい案があるのではないですか」みたいなことを言われて、そうかヒントも欲しかったのかな、と思ったことを思い出しました。

町支:先ほどの話でもありましたが、リフレクションはすごく個別的で、1年目だからどうこうということもありますが、やはり今その方に何が必要なのかという視点だと思うのですよね。そう思うと、今のお話にはすごく納得できます。同じ年次でも、変容に向けて揺さぶられたい方もいれば基礎の(段階の)方もいるし、(同じ人であっても)こういう方だと思っていたけれど、今はヒントが欲しいのかな、みたいなこともあると思います。その方を見つめて、その時、その人に合ったことをやっていくことが必要なのだろうなと思うと、すごくマッチします。

山下:ありがとうございます。他の皆さんはいかがですか。

教員のキャリアの区切り方:経験年数か、理想の持ち方か

B:私は元々中学校の教員で、その後教育委員会や教育センターに行って、教師のキャリア形成を手助けすることもやってきました。色々な研究を読んでいた時に一番違和感があるのが、「教師経験何年目」というキャリアで区切るような図をどの都道府県も書いているのですが、これほど当てにならないものはないと思っています。いま町支先生がおっしゃったように、一人一人の振り返りなので、あんまり年数は当てにならないわけですよね。私の学校でも、何年目というのでは全くやっていなくて、それよりもむしろ、セルフ・ディスクレパンシー理論(※2)というのを使って、今の自分と理想の自分の差、それがどうすれば埋まるかということを考えていく時に、自然とリフレクションが出てきます。理想の自分(アイディアル・セルフ)を持っているか持ってないかということの差だと思うのですよ。私も行政にいたので分かるのですが、何年目というので区切るという考え方を、学校現場に行っている人は外して、もっと「どんな先生になりたいの」「どんな先生が理想なのか」というアイディアルセルフを探すといいのではないでしょうか。「理想の教室(教育)はないです」という先生には、じゃあ理想を探しに行こうと。それはもちろん、コアアイデンティティの部分と繋がっていくと思うのですが、そういう組織を作っていくために、学校への帰属意識(ティーチャーズ・エンゲージメント)を高めていく方が自然かなと思っています。

※2 セルフ・ディスクレパンシー(自己矛盾)理論:社会心理学者Higgins, E.T.ヒギンズによって提唱された。人は、現在の自己と自己指針(理想自己)の差異を縮小するように動機づけられており、現実自己と理想自己の差異は、理想や願望が達成されておらず、失意落胆に関連する感情が生じやすいとされる。

山下:ありがとうございます。なるほど、本当にそうですね。理想の自分を追い求めていくということですね。Cさん、先ほど手を挙げてくださっていましたが。

立場が違う人同士の学びの場作りの工夫:悩みながら「溶け合う」

C:はい。町支先生の教職大学院のお話を聞いていて色々なるほどと思い、参加者の皆さんも含めて考えをお聞きしたいと思いました。町支先生が言って下さった、新任に当たるようなストマス(学卒院生)の学生さんなどは、やはり改善というところを狙うリフレクションで、現職の先生としていらっしゃっている教職大学院生は変容というところで、目的がちょっと違うということでした。ただし、教職大学院という組織の一つの狙いというのは、そういった現職の先生とストマスという、経験とか立場が違う方が一緒に学ぶという相互作用を狙っていると思うのですね。
私も色々とお話を聞くと、現職の先生はストマスの学生さんを見ていて、かつての自分を思い出して、そうそう確かにあの時は…という眼差しで割と見られるという話は聞くのですが、ストマスの方が現職の先生の話や物語から何を想像するか、いわゆる経験してないことをどうやって経験学習に落とし込むのか、というのがなかなか難しいと思うのですね。そういうところについて、町支先生に何か工夫やお考えがあったら、ぜひお聞きしたいなと思いました。

町支:ありがとうございます。先ほども自分の理想ということをお話しいただいたので、まずそこから少しお話しすると、年次で区切るのは、「行政の視点という仕方なさ」というと変ですが、本来は年次で区切れるものではないのは間違いないですね。一方で、私自身は直接関わっていない横浜の話なのですが、最近横浜は「セルフマネジメント」、自分の学びをどうやって自分で考えていくかという考え方に変えていて、「何年目だからこう」とか、「こういう段階で役割だからこうしなければいけない」というよりも、先ほどの見通しとか理想じゃないですが、「自分はどうありたいか」から自分の学びを考えるという仕組みに変えています。これは面白いなと思っていて、追っていきたいなと思っています。マス(集団)でやるけれども、マスな形の施策をするのではなく、マスが支援するのは個である、みたいなことでとてもいいなと思っています。これは、「子どもの個別最適な学び」と近いところがあると思ったりもします。なので、そういうのも参考に見ていただけると面白いかなと思いました。

町支:次の話では、事前の会の内容を伺っていて、皆さんがもしかしたらこういう感じを持っているかもしれない、と思ったところなのですが、これは研究者としてというか、実践者としての勘でしかないのですが、自分は「リフレクションを促す側」なんだという立場に立つと、すごく難しくなる。むしろ、自分もリフレクションしながら、みんなとリフレクションする場を作っているというイメージです。促す側になると、ちょっと外から見るじゃないですか。でも、今私がここで喋っていることもそうですが、悩みながら、結構ブレブレになりながら、「こうかもしれない、ああかもしれない」というのをオープンにしながら、「溶け合う」。抽象的なことを言いますが、そこにいる人と溶け合いながら、変わっていくというイメージですかね。「こうすることでこう変わるのではないか」というよりも、自分を溶かすことでその場が溶けていくみたいな感じで、まず大学教員がミドルの人(現職教員)と接するわけですよ。これが大学教員もすごく難しくて、やはり大学教員は何かを教える立場だと思ってしまう。実は、教職大学院で一番リフレクションしてほしいなと思うのが、同僚の大学教員です。大学教員が立場としては促す側っぽいのだけれど、迷いながら現職と接していて、迷うことで一緒に考えていけるという感じを、現職と同じ場で作っていく。その大学教員の関わり方が、現職とストマスとの関わり方にも広がっていくという感じなのですよね。現職がストマスに何かを言うとき、どうしても「それはこうした方がいい、ああした方がいい」になりがちで、それは改善に一瞬繋がるのかもしれないのだけれど、その子にとって本当に刺さる、ためになるようなリフレクションにはなかなかならない。ストマスの子が一緒に考えていくには、現職の先生も悩んでいる姿、今も悩んでいるし、若い頃も悩んでいるという姿を見せながら、一緒に考えていくことを目指してやっています。(自分自身も)実践者としてバンバンうまくいっているかというと、そんなことは全然ないのですが。目指しているところはそんな感じの部分かなと思います。

C:ありがとうございました。よくわかりました。ストマスの若い世代の人が、数年後になるかもしれない自分の未来の姿というのが、ある意味今の現職の先生。山辺先生の回(※イベント記事1-1参照)であった、ゲシュタルトのような話になってくるのかもしれないけれど、まさに溶け合いながら、とかなかなか言葉にするのは難しいけれども、ノンバーバルなコミュニケーションなども含めて、まさに今の現職の先生の姿を見てもらって、新任の先生も考えてもらうということですかね。そんなお話のような気がして、なるほどと思いました。

山下:ありがとうございます。本当に町支先生のお話の中で、「悩みながら、そこに関わって溶け合いながら」というのは、すごく刺さりました。

まとめ

以上、PartⅡの記事をお届けしました。ディスカッションを通じて、町支先生の研究者として「興味のある事象を追い続ける」スタンス、そして実践者として「溶け合う」ことを大切にされているスタンスに触れさせていただき、数々の「刺さる」お話を伺うことができました。参加者がハッとさせられつつ、日々の実践に思いを巡らせていく、リフレクティブなやり取りの様子を少しでもお届けできていれば幸いです。

次回は引き続き、PartⅢをお届けします。どうぞお楽しみに!

【町支先生イベントの記事】
# 3 -1 若手教師をどう育てるか:経験学習に注目した実証研究からのアプローチ
# 3 -2 質疑応答とディスカッション(1)(本記事)
# 3 -3 質疑応答とディスカッション(2)
# 3 -4 質疑応答とディスカッション(3)

MAWARUリフレクションメンバー
(執筆:生井)


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