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#3-4 リフレクションの「文脈・質」と阻害要因について【MAWARUリフレクション:町支先生#4】

みなさんこんにちは。MAWARUリフレクション事務局です。
今回は、12月10日(土)に開催した、「リフレクションを対話的に再構成する~研究者と実践者でリフレクションを紡ぎなおす~」シリーズの第3回目イベントの様子を、引き続きお伝えします。

PartⅡからPartⅣは、参加者から寄せられた質問をテーマに、町支先生のご回答や参加者とのディスカッションの様子をお届けしていきます。この記事はPartⅣになります。なお、本シリーズはPodcastでも配信しています。

リフレクションの「文脈・質」について:語りを引き出す人の存在やあり方が重要

山下:このパートでは、リフレクションの「文脈・質」についてと阻害要因について伺っていきたいと思います。事前の読書会の中でも、先ほども出ていましたが、文脈を語ってもらう際、リフレクションの質を高めていくにはどうしていけばいいだろうかというのが一つの質問です。もう一つは、学校現場の中で、そもそもリフレクションができない状況があります。先生方の時間がなさ過ぎて、考える余裕なんかない、もうすごく硬い殻に閉じこもってしまっているような学校現場の中で、どうすればそうした阻害要因を解消できるのかというところについて、お話いただければと思っています。

町支:はい。少し前までは、リフレクションの質というのが、やはり改善に向かうリフレクションの質が低くて、変容が起きるようなリフレクションの質が高い、というようなイメージをちょっと持っていたのですよね。だけど、やはりそこにいる人や目的によってリフレクションも全然違うので、どういうのが質のいいリフレクションなのかは、本当にそこにいる人と、そこにいる人がどうありたいかによって、全然違うなという風に思っています。すみません、リフレクションの文脈と質について、もう一回お話いただいていいですか。

山下:その人の文脈を語っていただくことによって、その人が「私はこう考えました」というところの、「いや、ここまでは共感するけれど、ここではこう考えた」というところが、すごくリフレクションが変容する部分ではないかと私は考えています。抽象的に語るのではなく、そのことを考えた背景、文脈を語るからこそ、そこに共感する部分や、「その人はこう考えているのだ」と理解することで、若手の指導などが変わってくるのではないかと思うのですが。

町支:ありがとうございます。看護のFさんはよくご存知かもしれないですが、ギブス(※1)のリフレクションモデルでいうと、やはり最初は描写なのですよね。自分に起きたこととか、周りで起きていることをどうやって描写するかというのが第一歩という風に言われていて、これは本当にその通りだなと思っています。

※1 ギブスG. GibbsコルブKolbの経験学習モデルを深めて、6つのステージ(記述/描写Description→感覚Feelings→評価Evaluation→分析/推論Analysis→結論Conclusion→行動計画Action Plan)からなるリフレクションモデル(Gibbs‘ reflective cycle)を提唱した。

町支:自分が具体的に語るということは第一歩なのですが、校内研などでありがちなのは、最初に自評を言ったりするじゃないですか。始まってから5分10分の自評とか、そんな語れないですよね。自分の中でまとまらないままやってしまったりするのですが、やはり具体的に語るには時間も必要ですよね。あとはまさに促す側で、(リフレクションを)促す側というポジションがあるとしたら、最初にできるのはその部分を引き出してあげることですね。いいとか悪いとかを全く抜きにして、やはりどういうふうに考えたのか、どういう狙いで、どうしたかったのか。そこでコルトハーヘンの8つの問い(※2)などもあると思うのですね。その人がその場面をどう見ていたのかとか、子どもたちがどうしたいと思っているようにその人が見たのかとか、色々な問いでその人の語りを引き出してあげる。リフレクションの目的や、キャリア意識といったものに関わらず、最初に語りを引き出してあげることは、共通して必要なことかなと思います。

コルトハーヘンの8つの問い

※2 コルトハーヘンの8つの問い教師教育において、授業のある場面をリフレクションし、新たな気づきを得る際の手法としてよく用いられている。具体的な活用場面についてはイベント記事1-1を参照。

町支:なので、文脈を出せる空気もそうだし、引き出してあげる人の存在というのはすごく大事だと思います。ここに、いいとか悪いとかを含んでしまうと、もう語れなくなる。すごく細かいことですが、その人の思いを聞きたくても、「なんでそんなことしたの?」と聞いたら、聞かれている方は多分、ちょっとネガティブな空気を感じるじゃないですか。「どういう思いで、そういうことをしたいと思ったの?」という、この違いだけでも、いいとか悪いとかの感じが多分出てしまうと思うのですよ。そういうのが出てくると、文脈を出せなくなるなという風にすごく思いますね。間違いなく、最初に文脈を出すのもすごく大事だと思います。一方で、難しさでもありますが、仕組みを作ってそういうことをやろうとすると、今度は形骸化したりする。これが難しいのが、例えば1人が何人かと一緒にリフレクションするというぐらいの感じだと、全体で5人とか10人ぐらいだったら大丈夫ですが、多分30人、40人を相手に何かをするということになった時には、どうしても仕組み化が必要になる。行政がやろうとしているのは、どうしても仕組み化だと思うのですよね。また抽象的なことを言いますが、仕組みがリフレクションそのものを促すというか、マス(集団)にやっていくために、仕組みをベースにしつつ、リフレクションを促すことができる人を育てることをやっていかないとならない。仕組みだけでどうにかリフレクションがより良くなるようにしてしまうと、しくじるなと思っています。例えば学生であっても、学生の中にリフレクティブなマインドを持った子をどれだけ増やせるかということが鍵になる。どういうツールを使うかもあるのですが、そこをやっていかないと、文脈を出せるような環境って作っていけないのではないか。結局は地道に、そういうことができる人を身の回りから増やしていって、段々広がっていくということをしていくしかないなと思ったりしました。

リフレクションの阻害要因:固い場から柔らかい場へしていく工夫

町支:それから、阻害要因のことで言うと、やっぱりベテランの方で、やはり自分は促す側、指導する側だと思っている人の発言がボンと出ると、やはりその場をどんなに柔らかく作っていても、固まることがあると思うのですよね。これは、そうやったら必ずうまくいくわけではないのですが、結構よくやるのは、まずは「すみません、そういう場ではないのです」ということを最初にめちゃくちゃ宣言します。つまり、柔らかくいきたいことと、柔らかくいかないと本人の文脈が出せないから、ここは柔らかさをすごく大切にする場所ですよ、という宣言をする。それでも、そうした発言が出た時には、「すごく今のご指摘は面白いなと思って聞きました、もう一歩深めるために聞きたいのは、(今例えばA先生がそういうことを言ったとしたら、)A先生がそういうことを言いたいと思ったのは、すごくA先生の元にある思いや、A先生自身が経験したことがあると思うのですよね」という風に、その先生が自分自身にベクトルを向けることを聞いてみる。すると、最初は何でそんなことを聞かれたのかと思うと思うのですが、その先生が結構考えてくれる。そこからその先生の文脈が出てくるので、問うた人を問い返すというのは、私はよくやるかなと思います。

山下:ありがとうございます。町支先生から色々と本当に考えさせるような話を伺って、私もお聞きしながらすごく頭の中が回っていましたが、Gさんはワークショップなどを経験されていて、この辺のことはどんな感じで進められていますか?

G:自分はどちらかというと、飲み込まれている感じです(笑)。今のお話は、いわゆる研究授業という場のことをイメージしながら聞いていたのですが、自評の話がさっき出ましたね。研究授業の協議会には自評があり、担当部署の提案みたいなものがあり、先生方からも「いや、ここは良かったけどここが改善点ですね」みたいな、「いい悪い」の議論になってしまいやすい。最後に「では、講師の先生からお教えを請いましょう」みたいな感じで、辛いのですよね。だから、そのあり方自体をやはりリフレクティブに変えていく必要があるなと思いました。今、自分の頭に浮かんでいるワードとしては、変な言い方ですが、先生たちみんなが「自信を持って迷う」という場にしたいなと。それでいいというか、逆にそうじゃないと先に進めないという感じがしました。先ほどの町支先生のお話の中で、最初に「こういうやり方で行きましょう」と宣言するとありました。それは多分、前もって言うということですよね。もう協議会の流れが決まっているのに、その場でいきなり卓袱台をひっくり返すわけにはいかない。自分だと、依頼があった時に、研究主任の先生と一緒に「ちょっと協議会を確認しませんか」なんて企むようなことをしています。日本の授業研究は、海外でも参照されているという話がありますけど、逆にそれで固まってしまっているのではないかという気もしています。そういう場の工夫をこれからやっていきたいなと思いました。でもなかなか難しいかも、と言いながら思っています。町支先生のご経験で、宣言してそういう(柔らかい)場にしていく、今までの固かった協議会を変えていくようなことをされたことはありますか。

町支:はい。別に宣伝するわけじゃないのですが(笑)この「教師が学びあう学校作り」という本の事例でも書いています。教職大学院でもそうなのですが、例えば子供との関わりについて振り返るのは結構柔らかく出来ていた先生が、授業をリフレクションするとなると、急に検討会モードになるというのをいつも味わっていて、「授業を検討する」というのはこういうことだというイメージはすごく根強いなと思うのですよね。色々な自治体で私が関わらせていただく時にするのは、「授業を作る側」を一緒にやることです。時間がかかるところがネックなのですが。もちろん学年で(授業を)作るのはよくあったりもするのですが、そうではなくて、学校全体で一つの授業を作る、作る方をみんなで一緒にやります。そうすると、「こういうことを言ったら、あの子はこういう発言をするのではないか」みたいな声が結構出てきて、それはもうみんなの予想なわけですよ。実際に授業をすると、「ほら、やっぱりこんな反応をした」のように、みんな自分ごとでその授業に出るのですよね。これが、1人とか3人で(授業を)作って、20人が見たら、(授業を作った人以外の)残りの17人が評論家になってしまう。それはやはり当たり前で、先ほどのお話でいうと、まさに事前の方をみんなでやって、振り返りはそれほど形を決めなくても、そこで思ったことを言うようにすれば、結構柔らかくなるなと思います。

山下:ありがとうございます。Gさんがおっしゃった「自信を持って学ぶ、迷う」ということ、みんなが校内研修の中で、そういう雰囲気を持って進められればすごくいいなと思っていました。Hさんは、校内の研修リーダーという形で色々やっていらっしゃると思うのですが、いかがですか。

H:はい。(本校では)若手の研修は盛んなのですね。その文脈からいきますと、先ほどの「改善」「変容」というところでは、「改善」に重きを置いているかなという印象です。実際、若い教員は本当に素直で丁寧で、私達の背中を見て育ってくれているなという印象はあるのですが、それが終わると、要は経験を積んでいく中で当然、変容していかないといけない。ミドルリーダー以上の変容の場がなかなか作り出せていないという、そういう状況にあります。これはおそらく、本校だけではなく他校もそうでしょうし、全国的に見られることだと思います。課題としては、ミドルリーダー以上の教員がどういう風にこれから変わり、リフレクションできる場が設けられるかということが大切だなと思いました。それと同時に、我々教員も色々な仕事を抱えているので、どうしても「あれもしないといけない、これもしないと」と思いがちで、本当に棚卸しや交通整理が必要なのですが、やはりコーディネーター、核になる人が学校や現場で不足しているのかなという風に思いました。本校でも、私や一部の教員だけが研修をやっているという状況なので。本来、学びというのは一部の教員がやるものではなくて、全体で取り組んでいくということが必要なので、きっかけ作りも必要ですし、正直なところ、それは一体何だろうと悩み続けている状況になります。

山下:ありがとうございます。

まとめ

以上、PartⅣの記事をお届けしました。リフレクションを実践する参加者が様々な問題を持ち寄った中で、町支先生のスタンスに触発されて「安心して悩み・迷いを語る」時間となっていた様子が印象的でした。(この後のフリートークも盛り上がったようです!)改めて、リフレクションを促す(実践する)側の意識の持ち方が重要であること、リフレクションを行う場が固くなりがちという困難はありながらも、場づくりに様々な工夫が取り入れられる可能性など、新たな気づきが得られた時間となったのではないでしょうか。
町支先生のイベント記事は、本記事で最後となります。イベントにご参加の皆様、ゲストにお越しいただいた町支先生、この度は誠にありがとうございました。
次回の第4回イベントでは、国立教育政策研究所の千々布敏弥先生をお迎えしています。今後のイベント記事についても、ぜひお読みいただければ幸いです。お楽しみに!

【町支先生イベントの記事】
# 3 -1 若手教師をどう育てるか:経験学習に注目した実証研究からのアプローチ
# 3 -2 質疑応答とディスカッション(1)
# 3 -3 質疑応答とディスカッション(2)
# 3 -4 質疑応答とディスカッション(3)(本記事)

MAWARUリフレクションメンバー
(執筆:生井)

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