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#3-3 経験学習のモデル(直線モデルと循環モデル)について【MAWARUリフレクション:町支先生#3】

みなさんこんにちは。MAWARUリフレクション事務局です。今回は、12月10日(土)に開催した、「リフレクションを対話的に再構成する~研究者と実践者でリフレクションを紡ぎなおす~」シリーズの第3回目イベントの様子を、引き続きお伝えします。

PartⅡからPartⅣは、参加者から寄せられた質問をテーマに、町支先生のご回答や参加者とのディスカッションの様子をお届けしていきます。この記事はPartⅢになります。なお、本シリーズはPodcastでも配信しています。

経験学習のモデルについて:問いの立て方と仮説による違い

山下:次は研究の内容に関することで、Cさんから実証研究の読み取りのところを質問していただきたいと思います。それから、直線モデルと循環モデルについて、事前読書会で出た以下の4点(下方に図あり)について、町支先生のご意見を伺えたらと思います。ではCさん、まずは、実証研究の読み取りについての質問から、よろしくお願いします。

C:よろしくお願いします。「教師の学びを科学する」の57ページで、キャリア意識の高い人の方が、内省的観察から抽象的概念化へうまく移行できる傾向があるということが示唆されたところについてです。確かにデータもそのようになっていますが、ひょっとすると考え方によってはその逆というか、内省的観察から抽象的概念化に移行する術やコツをうまく身につけている人や、抽象的概念化が得意な人などは、キャリア意識が高くなる傾向にあるのではないか。因果関係が一方向的ではなく、相互的であると考えて良いのかなと思ったのですが、それはそういう風に考えてよろしいでしょうか。

町支:はい、そうだと思います。これは研究の話になりますが、やはり問いと仮説が大切なわけです。この研究でいうと、この研究は問いとして、「どういう人が経験学習をしているのか」と立てています。そうすると、「何かが経験学習に影響する」という部分を見たいので、そういう関係で見たわけです。もしこの研究の問いが、「経験学習をすることで、どのようなことに繋がるか」という問いであれば、まさにおっしゃったような分析になるかなと思います。現実はすごく循環しているといいますか、まさに経験学習をする人はキャリア意識を持っている人だし、逆に経験学習をすることでキャリア意識が高まるということはめちゃくちゃあることだと思うので、両方向だなというのが真実だと思います。そういう意味で言うと、積み上がっていく人はどんどん積み上がるし、積み上がらない人はずっと積み上がらない、みたいなことにもなるのかなと思ったりしました。

C:ありがとうございました。安心しました。

経験学習の直線モデルと循環モデルに関わる4つの問い

山下:ありがとうございます。では、次の直線モデルと循環モデルの4点について質問がありましたが、この4点について、町支先生いかがですか。

町支:1点目の「直線モデルよりは、循環モデルが実情を反映している」という理解について、これは単に直線か循環かだけじゃなくて、効力感に繋がるパスも引いているわけですね。効力感というのは、要は「自分がどれぐらいできるか」ということが直接的な意味なのですが、「自分の能力の自己評価」のようなイメージもできます。本当に能力があるかとはまた別なのですが、能力を自分がどう捉えているかということにどういう矢印が引けるのかということを、線のパスで引いています。ここで質問してくださっている「実情」の点で言うと、経験学習のあり方が(実情として)どうなのかという話だけではなくて、効力感に繋がるような経験学習(は実情としてどう)なのかという話なのです。循環の方が能力感に繋がるモデルとして適合的だった、という説明になります。

山下:はい、ありがとうございます。

町支:2点目の、「現場では教員は循環モデル(=探究)よりも直線モデル(=正解がある学び)に陥りがちではないか」について、先ほど話にでたキャリアのステージにもよると思うのですが、例えば校内研究でも、研究主任の方が「この学校に何が必要なのだろうか」と、自ら問いを立てて進めていたとしても、(それ以外の人にとっては)問いだけが降りてくる。(それが続き、)自分ごとではない、与えられた問いを目の前で回すことに慣れ切ってしまうと、与えられた問いに答えることに終始してしまい、自分の問いが続いていかないのです。それと違うのは、やはり自分で「こうありたい」という思いがあること。先ほどのキャリア意識とか、理想のところだと思いますが、「こうありたい」「こういう授業をしたい」「こういう風になりたい」という思いがあると、「まずはこれができるようになりたい」「次はこれができたらこうなりたい」と続いていくわけですよね。けれど、与えられた問いに答えることは一発ものにしかならなくて、次に繋がらない感じがします。ただし一方で、何か刺激をしてあげないと「こうありたい」に繋がらない人がいると思います。先ほどの個別性の話です。基本的には自分で解きたい問いが見えてくる、そういうことが大事だとわかるようになってほしいのですが、最初の段階では、問いを与えられることも必要なのかなと思ったりします。一概には言えないという感じですかね。

町支:3点目は文脈が繋がることで新たな問いが生まれる、そうですね。キャリア意識や理想もそうだと思うのですが、文脈はすごく大事ですよね。先ほどのリフレクションをどう促すかということで言うと、文脈を表に出せる場をどうやって作ってあげるのかがめちゃくちゃ大事だなと思います。「どう考えてどうしたのか」とか、「自分がこうしたいから今この問いに至っているのだ」ということを、堅い場では出せないのですよ。例えば、先ほどのキャリア意識でも、「私はジョブ型です。お金を稼ぐために教員になりたいです」と言えない場だったら、自分の感情やどうしてこういう問いを持っているのかということをなかなか表に出せないですよね。私はリフレクションにおいて感情はすごく大事だと思っているのですが、(感情も含めて)そこにいたった文脈を表に出せる場を作ってあげることは大事だなと思います。

町支:4点目は、積み上がる人・組織、積み上がらない人・組織の違いが生まれるのはなぜか。その要因は何か。もうこれ難しいですよね。この答えが分かったらもう最高じゃないですか(一同笑)。でも、ヒントは今までの話で沢山出ていると思います、見通しとか理想とか文脈とか。まず人で言うと、先ほどの文脈が表に出せるかというのは、環境もあれば、その人の考え方や特性もあると思います。先ほど言ったように、自分が溶け合ってオープンにしていくことで、やっとオープンに文脈が出せるという人も場もあるので、周りから働きかけることもできますし、その一方で、やはり年次にもよりますし、キャリア意識にもよります。すみません、何も答えていないですね(笑)。結局、悩んでいるという話です。

リフレクションを「促す」立場についての省察や工夫

山下:ありがとうございます。いや、本当に難しいですよね。町支先生から、積み上がる人・組織と積み上がらない人・組織でどう違うのだろうという大きな問いをいただいたと思います。皆さんはいかがですか、学校の中で組織というのは難しいと思いますが。

町支:すみません、1個だけ。結局、自分が一番最大限に使えるツールって「自分」なのです。なので、組織の中の一員として、まずは自分がオープンになって、悩んでいる自分も見せると、そういう悩みを出せる組織なのだというメッセージを一番出せると思うのですよ。自分がみんなの方に溶け出していくイメージをどんどん作っていくということが、そういう組織になれる最大のやり方かなと私は思います。

山下:なるほど。自分をそこで出していくのですね。どうですか皆さん。Dさんは主幹という立場で学校のことをすごく考えていらっしゃると思うのですが、いかがですか。

D:私もモヤモヤというか、悩みながら話を聞いて考えていました。人材育成と組織開発ってやはり一緒というか、表裏一体だとすごく思っていて、自分ができることは機嫌よく学校にいることだなと思っています。そこだけは自分でコントロールできることなので、もちろんそうじゃないときもあると思うのですけれど。その中で、先ほど町支先生がおっしゃっていたことで、私は(自分が)リフレクションを促す側なのだということを強烈に思っていたなと思います。それは多分、自分がうまくいっていたと勝手に思い込んで、そうしなければいけないと囚われていたのですが、そこに気づけたことが、すごくポジティブな経験だったと思っています。その一方で、育成指標みたいなものはどこでも作られていて、それは子どもの学びも一緒だと思いますが、そことどう向き合っていくのか、自分がどう立ち振る舞えばいいのかというのは、やはり混沌としているのですよね。中教審の資料などを見ても、大学を出た先生(新卒)が六角形で示されていて、ある程度みんな一緒で、その後アメーバのように(能力が)伸びていくような資料を出されて、本当にそうなのかなと思ったりしました。どのように自分が成長してきたのかも含めて、問い直していきたいと思うきっかけになりました。

山下:ありがとうございます。Eさんは校長先生という立場から、いかがですか。

E:先ほどから町支先生のお話を伺っていて、本当に刺さります。自分は学校経営という立場で一番大事なのは人材育成だと自分に言い聞かせながらも、ついどこかでリフレクションを促したい、特に思考停止に陥っていたり逆の方向に行っていたりする先生に、何とか学んで欲しいというのがどうしても出てきます。先ほど町支先生がおっしゃったことで、自分がオープンになって悩んでいる自分を見せるのは、最近でいうと心理的安全性というのでしょうか。そして、人を変えるというのはできなくて、きっかけを与えることぐらいしかできないというのを、改めて経営する側として自覚するというのが大事かなと思っています。実は自分も、どうやって周りの周囲の校長にこういう学びを伝えるかということがテーマでもあるのですが、やはり一言でざっくり言うと、先生方は上から言われるのはあまり好きでないし、一緒に悩んでくれる校長というか、先輩がすごく大事で、促す側のあり方というのでしょうか、それが本当に実は肝なのだなということを、改めて感じていたところです。ありがとうございます。

山下:ありがとうございます。本当にそうですね。Fさんは看護に携わって、促す側という立場に立っていらっしゃると思うのですが、いかがですか。

F:はい、本当に促すというところはすごく難しい部分でもあります。先ほど町支先生のお話を聞いていた時に感じたのは、看護ではヘンダーソン(※1)という有名な理論家がいるのですが、その方は、「皮膚の内側に入り込むようにしていく看護師は、傾聴する耳を持っている」というような発言をしているのですね。先ほど、溶け込むとおっしゃっていたところに、すごく合致しているなと思いました。やはり促すと言っても、本人が気づかない限り変わらないと思うので、一緒にやっていくといいますか、本人が自分で気づいて、変わろうと思えるように働きかけるのがいい促しなのかな、と思って聞いておりました。

※1 Virginia Avenel Hendersonヘンダーソン:アメリカの看護師、看護研究者。看護教育の指導者として、ナイチンゲールに次ぐ人物として世界で知られる。人の基本的欲求と基本的看護の構成要素と呼ばれる「14の基本的ニード」を挙げている。

山下:ありがとうございます。

まとめ

以上、PartⅢの記事をお届けしました。参加者からの問いが盛りだくさんなパートでしたが、いかがでしたでしょうか。問いの立て方によってデータの解釈が変わる可能性に開かれていること、私たちの「リフレクションを促す姿勢」に対する気づきや工夫によって、個別の文脈を語る場が作られていくことなど、経験が積みあがっていくことの契機が、このディスカッションを通じて見えてきたのではないでしょうか。

次回は引き続き、PartⅣをお届けします。どうぞお楽しみに!

【町支先生イベントの記事】
# 3 -1 若手教師をどう育てるか:経験学習に注目した実証研究からのアプローチ
# 3 -2 質疑応答とディスカッション(1)
# 3 -3 質疑応答とディスカッション(2)(本記事)
# 3 -4 質疑応答とディスカッション(3)

MAWARUリフレクションメンバー
(執筆:生井)


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