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SOS。伝える相手がいない。


「SOSを出そう」?

いま、よく
「SOSを出そう」などということを
見聞きすることが増えた。
子どもたちには、教育場で
「SOSの出し方」を教えたりしているらしい。
先生をはじめとするおとな。専門の相談機関を案内したり。

自分はもう子どもじゃないから、
大人だから。
自分で解決しろって当然だけど。

そうだん…。「時間を空けて」いられないんだよ。

一般的に知られている、案内される、専門の相談機関。
そして、切羽詰まった時に相談できるところ。

初対面?非対面、文字のみで、誰かも分からない相手に
深刻なことほど、相談する気になれるのかな。
切羽詰まったとき。つまり、
「もう死にたい」の時、
基本的に電話だろうとチャットであろうと
繋がるところはない。
人手不足。致し方ない。誰を責めるわけにもいかない。
需要が供給をはるかに上回っている状況が続く中、
改善の傾向はあまり感じない。
そして、
やっとの思いで勇気を出して相談したら、
「時間を空けておかけ直しください」と電話が切れる。
待つこともできずに一方的に切られる。
チャットは自動返信。
「混み合っているので、改めてご相談ください」

いままさに命を断ちたくて、それでも少し希望を持って
連絡した方からすると、
「時間を空けて」も「改めて」もない。
いま。いまなのに。
つたわらない、そしてそんな無機質な言葉が
命を断ちたい、という気持ちの背中を思い切り蹴飛ばすような
状況になることもある。
誰が悪いわけでもないけれど。

知り合いも。SNSも。『拒否』

友人知人も、深刻なことほど、
やっぱりなかなか言えない。
そして、やっとの思いで『あなたにだから出したSOS』も
「そんなバカなこと言ったらいけない。
命はね…。」
とお説教される。

「ごめんなさい。」
と終わりにして、なく。

誰に対して言うわけでもない
宙に放つような気持ちで、
いわゆるSNS。
表現を間違えると、
通報され、アカウントが凍結されることもあるらしい。
誰を非難しているわけでもないのに。

一般的に相談を受けた人がつらくなるようなことは、
やっぱり、自分の中に閉じ込めておかないといけないのかな。
誰かに迷惑をかけないために。

日本の若者の自殺はG7ダントツ1位。譲れないらしい。

日本は、G7の中で若者の自殺がダントツ1位。
しかも増加の一途。
環境としては、比較的に恵まれた国のはずなのに。
こんな悲しいことってないと思う。
子どもたちに「SOSの出し方」教える前に、
子どもの身近にいる大人は「SOSを受け取ったら」
を正しい知識として学んでいるのかな。
というより
子どもの「SOS」に『積極的に気づく姿勢でいてほしい』
と、ねがう。

中学生の時に書いた人権作文。

このことは、自分が中高時代に書いた人権作文にも、書いたこと。
まだ中学生だった私は、
東京都人権擁護委員連合会による、
「中学生人権作文」を学校の課題として書いた。

テーマは『児童虐待』。
自分の多くの悲しくつらい経験と共に、締めくくりは、

『公的機関などの前に、子どものSOSに気づいてあげられる人がいます。それは、「学校の先生」です。子どものすぐそばにいて、毎日関わっている学校の先生たち。勉強を教えるだけでなく、どうか、子どもたちの変化、SOSに気づいてあげてください。子どもを救えるのは、先生、あなたです。
と。

その「作文」は。

提出後、控えとして
コピーしたものに、
「よく書けました⭕️」
と、よくあるキャラクターのスタンプが
無造作に押されていた。

悲しくて、ひとりで泣いた。
もちろん、親にも見せることはできないから。

SOS。
むずかしい。

生きるの。つらいな。



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