さみしさを感じるのは、私が私の感情に真面目に向き合ってるから
「寂しくて孤独を感じる。」
それは私が大学生だからではない。暇だからでもない。仕事をしていないからじゃない。一生懸命毎日お金のために生きていないからでもない。
私が人より孤独を感じやすいのは、私の感情の特徴だから。
自己肯定感が低く自分に対して自信がないと言ってしまえばそうなのかもれない。だけど、場面によって自信の尺度は変わっている。
オフモードの時間に、何も考えていない人はいるかもしれないけど、自信満々な人って存在してるのかな。
どんなに日常が忙しくても、頑張っていたとしても、なんだかさみしくて孤独を感じる
「なんだかさみしい。」
コロナで不要不急の外出をしないようになったら、毎日狭い自分のお家に引きこもりをするようになった。
友人とは電話をしたりラインをしていたり、最近誰とも話す機会がなくなってしまって毎日さみしい。
話すとしても自分の声を発することがない。あったとしてもオンラインしかない。そんな自粛生活の中で、ふと2年前の私も同じ感情を強く抱いていたことを思い出した。
「孤独感。」「なんだかよくわらないけどさみしい。」
それは一人暮らしをしはじめた大学生のはじめから感じるようになった私にとってあまり得意ではない感情。
ふとした時に感じる。自分は「今の自分でいいのかな」っていう感情。ちゃんとがんばれているのかな、とか。彼氏がいて一緒に楽しんでいる時間が定期的にあって楽しんでいるはずなのに、結局、他人は他人。だれにも愛されていないんじゃないか。とまで思ってしまう。
私にはなんだかよくわからないさみしさという感情をどうしたらいいかわからない。
そんな感情を消すために毎日死ぬほど予定を入れていた2年間。毎日9時から18時までは大学かインターン。夕方からはアルバイトかセミナーか、習い事か飲み会。土日にも何も予定がないと嫌だった。ひどいときは朝の7時から11時までは1時間も時間のロスがないように3か月先の予定まで入れていた。
そんな時でも感じていた。どことなく「さみしい」っていう感情。
私は全ての行動に対してやりがいを感じて全力でいたとしても、ふとした瞬間に孤独を感じてた。
スケジュール的に頑張っている私でも、時々パンクする。ぎりぎりの体力とぎりぎりの心でやっていたものが追い付かないようになる。それがよくわからない感情になって涙として溢れ出したり、高熱になったりする。
でも、私は、そのパンクを感じるより、何者でもない他者から必要とされていない自分を感じる孤独を感じる方がよっぽど怖い。
「誰からも必要とされていない」という孤独感を友人に相談しても納得できない自分がいる
孤独感は、自分一人ではどうしようもないことってわかってる。そしてどんだけ自分が解決しようと行動していたとしても、なくならない孤独感。
このさみしさの感情を何とかしたいからだ、自分のすきな友人に話を聞きまくる。自分の尊敬している人に会いにいく努力をして、質問をぶつけてみる。読書をしたり心理学を勉強してみる。
「のんちゃんは考えすぎだよ」
結局ありつく答えは私が考えすぎだってこと。そして私の周りにいる人はみんな優しいから言ってくれる。
「大丈夫だよ。のんちゃんのことをみんな必要としているよ。
だって今、私があなたとお話をしている時点で私はあなたを必要としているよ。
大学だってそう、友人や家族だって、もちろん仕事だってそう。もちろん私だってそう。
私はあなたのことを必要にしているし、あなたがいてくれたおかげで頑張れている私がいるの。
のんちゃんは考えすぎだよ。もっと楽に生きれたらいいのにね。」
そんな全力で私の感情に寄り添って、そしてくれる優しい言葉の数々を聞けば聞くほどつらい。なぜなら私がその言葉を素直に受け入れられないから。
「頭で分かろうとしようとしてみるんだけど、心の奥に入っていかないし腑に落ちない・・・」
私は、、、本当にそう思ってしまってる。私はそう感じてしまった。何を言われても孤独を感じてしまう私の感情が存在していることはかえられない事実なの。
私ってネガティブなの。でもポジティブになりたいとは思わない。だって私は行動力あるネガティブだから
「寂しいと感じるのはネガティブだから。でもだからってネガティブは悪いことなんかじゃない!」
”寂しいと感じるのはネガティブだから”っていう記事をよく見かける機会がある。私はその文章を見るたびに私の人格がネガティブな私が否定されているような気がしてしんどくなる。
でも、私はさみしいというネガティブな感情がうまれるからと言ってポジティブな人間になりたいとは、今は思わない。ネガティブになるのは悪いことでもいいことでもない。そこに感情が存在してるってだけだから。
しいて言えば、私って行動できるネガティブだから、さみしさを全力で感じてもいいんじゃないか。
ネガティブな感情に対して真剣に考えることができる。こうやって文章にしていることも、友人に相談してみることも、SNSでつぶやいてみることも。本を読んでネガティブや自分の感情について真剣に考えてみることもできる
私は、孤独を感じてしまう自分の感情の葛藤を、もとにして行動できる。
だって、私って真面目だから。だからさみしさを感じることができるのは私は私の感情に真面目だからってこと。
昨日書いた私の文章。私は昨日こうやって自分の中の曖昧な感情を文章にすることで気が付いた。楽観的になりたいと思っていたとしても永遠になれない現実がある。
それなら、今の自分のありのままを全力でかっこいいっていう方がよっぽどいいんじゃないかと。
"葛藤することは、ネガティブな自分にしかない最大の強み"
文章を書きながら、少しずつありのままの自分を信じはじめるようになった。
孤独を感じるのは、暇でもネガティブだからでもない。一生懸命に生きてても感じるよ
「孤独を感じる。」
それは誰にだって存在する感情。だからあなたも私も感じて普通の感情なの。だからそう感じてしまう事は悪いことでもいいことでもない。事実なの。りんごが赤いのと一緒の話。
でもその感情を理解しようと努めたり、改善しようと友人に相談してたり、してるあなたはそれだけで本当にすごい行動力がある人だと思う。
真剣に向き合った結果、納得できない結果になったとしても、それは自分が友人のその言葉では今の自分が納得できないんだなということが分かったということ。それが実感できたのは本当にすごいことだと思う。
「さみしさを感じることができるのは私は私の感情に真面目だから。」それってとてつもなくすごいこと。
そのためにさみしさを感じている事実は必要だと思う。とにかく私が今日伝えたかったのはさみしいって全力で言ってもいいんだってこと。
だから。みんなで叫べばいい。
「さみしいいいいいいいいい!!!!!!!!」
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。感想をコメントで聞けると嬉しいです。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。
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