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朝食の新しいカタチ

翌日、陽気な太陽と共に目を覚ました。朝食は、モアナサーフライダーホテルの、プールサイドにて。
母も父も、そして祖母も、恐らく最高級のドレスアップをしていたのだろう。
10歳の少女から見ると、家族全員がまるで、姫と王子のような感覚だった。
優雅な会話をしていたからか、私と弟ががさつにふざけたりすると、
「りなちゃん!T君!」
と怒られてしまった。

ギターの生演奏を聞きながらの朝食。こんなにのんびりした朝食というものがある事に、私はおどろいた。
朝食とは、学校か習い事に行く前にとりあえず取る忙しいものだったし、あまり好きでもなかった。
でも私は、ハワイで「朝食」が好きになった。

当時から何事をやるのもゆったりしていたため、私の家族内のニックネームの1つに
「グズ菜」というものがあった。
日本では「グズ菜」であるために朝怒られる事があったが、ここでは、たくさんのグズがいるため全く怒られなかった事も、朝食が好きになった理由の1つだろう。

ハワイのコンビニ

「ABCストア」というコンビニエンスストアは、私達が大好きだったぬいぐるみから、独特な香りのする日焼け止めクリーム、マニュキュア、様々なタイプの浮き輪まで、色々なものがあった。
当時私はクロールからバタフライまで全ての泳法をマスターしていたし、弟もクロールは出来るようになっていたため、浮き輪はいらないと思っていたが、あまりの可愛らしさに買わずにはいられなかった。

国境を超えて

まずは、モアナサーフライダーホテルでのプライベートプールで、自分達の身体を慣らす。
去年両親が買ってきてくれた華やかなワンピースビキニは、ちょうど身体にフィットした。
自分もなかなかスタイルがいいな、などと大きな鏡に自身を写しては、自己満足に浸った。
当時は、なんとも幸せな10歳であった。

プールでは言語も全く分からないのに、違う種類の顔をしている子供たちと水をかけあい、ふざけ合った。
金髪の子、真っ黒のカールした髪を持つ子、同年代からもっと小さい子まで、言語は必要なかった。
お互い違う言語のため友達にはなれなかったが、あの楽しい経験は今も記憶として残っている。かかっていたアメリカンポップスは、今思うと何の曲だったのだろう?

喉が乾いたら、いつでもジュースを飲めた。私と弟は、本物の姫と王子のように至れりつくせりの対応を受け、最高の笑顔だった。

いざ、ワイキキビーチへ

サーファーの姿もちらほら見えるワイキキビーチは、壮大だった。当時見た波の中で、一番大きかったかと思う。迫って来る波の音もまた、大きい。モアナサーフライダーホテルから、私達は直接ワイキキビーチへもくり出せた。

弟は果敢に波に飛び込んで行き、途端に波に押し返されてしまった。彼は泣きだし、私は波の激しさに恐れ、その日は泳ぐ事が怖くなった。

そんな時心強かったのは、やはり父の存在だ。普段は、どちらかというと祖母や母に押されがちな父だったが、こういう時はかっこよさが目立った。
「大丈夫!二人とも、パパにつかまって!ほら!!」
私と弟は、父のおかげで少しずつ、この偉大なワイキキビーチに慣れる事が出来た。
昔から、優しくてかっこいい父が自慢だった。

ムード満点のホテルナイト

だからといって、私がファザコンだった訳ではない。
夜は弟が寝て、母を一人じめ出来るのが楽しみだった。
「ホテルの夜は、ピアノの生演奏があるのよ。絶対聞きに行こうね」
と言ってくれた母は笑顔で、私の大好きな優しい母だった。
ショパンのワルツ7番などを、波の音と共に、風に吹かれて聞く。
私は、姫とはこういう時間を毎日過ごす人の事をいうのだと、おぼろげながら納得した。

ジャズ音楽なども夢見心地で、両隣に母と祖母を独占しながらこの演奏を聴けることが大変嬉しかった。
両隣の二人はサマーワンピースをさらりと着こなし、見慣れた絵画の女性の様だった。
もしかしたら、あの絵画のモデルを意識していたのかもしれない。

そしてこの夜、父はどこにいたのだろう?
今思えばタバコを吸っていたのかもしれないし、ワイキキビーチでの子供達の誘導に疲れ、弟と眠りこけていたのかもしれない。

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