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225.リストカットを母にカミングアウトした中学3年のあの日(2)

「お母さんが壊れちゃう」なんて気にしていた私。

「私のこの心の中をお母さんに見せたら、きっと困らせてしまう。」と、母を心配する私、でも、もう一方で、こう思う自分がいました。


「受け止めてもらえなかったら私は、今よりもっと傷ついてしまう。そうなる可能性が高い。でも、先生は言えって言ってる。どうしよう…」 です。



普段から、鬱々として、精神科からの薬、更年期の薬、たくさんの薬を飲んでいた母です。

当時の私と母のコミュニケーションはこのようでした。

これは小学5年生の頃にあった出来事です。



***


校庭で遊んでいて、学校からの帰りが遅くなった日のことです。家の前で仁王立ちで待っていた母は、帰ってきた私を見るなり、ボソボソとなにか言い、家に入り、リビングの定位置に座り、眉間にしわを寄せたような険しい形相で、薬の入った白い病院の袋をガサガサしながら、薬を飲むのです。

その様子を黙って立ち尽くしながら、ビクビクと見ていた私でした。


「怒ってるの?」

そんなこと、とても怖くて聞けません。








黙って私は自分の部屋に行き、夕食の時間になると、恐る恐る下に降ります。

「お母さんはどんな顔でいる?」


台所をのぞき込むと、いつもの母です。

「ホッ」


「触れてはいけない」

何事もなかったかように夕ご飯を食べました。






***

多感な思春期の娘、不安定な更年期の母、知的障害者の兄。

同居の祖父母。単身赴任で、家にいない父。





母にリストカットをしていたことを話したところで、なにが解決するのだろう、

先生はあんなに言うけど…

でも、先生があんなに言うってことは、いいことなのかも。

私、楽になれるかもしれない!






大きな大きな『期待』を胸に。





そして、その日を迎えました。






私が母の方へ差し出した『左腕』を見るなり、母はワッ!!と泣き出しました。

一瞬なにが起こったのか、わからず、私はあっけにとられました。



「え?」



「泣きたいの私だよ?お母さん、」



「どうして私が泣いてるお母さんに大丈夫だよ、なんて態度をとらなきゃいけないの?」


お母さんのせいで!! 

ごめんね!!


そう言って見たことのないほど号泣しているお母さん。


「ちょっと待ってってば、泣きたいのはこっちだよ、」



私は母の愚痴聞き役でした。

主にお父さんへの不満です。

母の膝のうえに座り、母の愚痴を聞くことが多かったです。



この時も、そういうスイッチが入ったように記憶しています。


本当は、私のことを聞いてほしかったのですが、そうはなりませんでした。


大きな大きな期待が、あてが外れ、たくさんの関心を期待していたのに、思っていたような関心をもってもらえませんでした。






「もう知らない」

「もうこの人にわかってもらおうなんてしない」

「もういい。」






完全にスネました(笑)




スネに気づいたら、こっちのもの♪






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