Chapter1 ドンドン、サッカー時代
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アフリカという特集だからといって、アフリカサッカーがどのような発展を遂げているかなどという内容のものではない。
ただ、アフリカ的なもの、アフロのその響きにより眠っているサッカーの根源を呼び起こそうと考えたのだ。
初回の今回はというと、ありきたりな議論にもなるが、ヨルバのトーキングドラムについてだ。しかし、これは避けて通れない道で、ポリリズムと呼ばれる独特のリズム感は、多くのサッカー選手にも見て取れることがあった。
そして、これが何を示しているものなのか、表層だけではなくその核に迫っていきたい。ああ、いつかアフリカにも訪れてみたいなとは思うものの、まだ見ぬ未知の大陸だからこそ書けることでフットボールの夢、アフリカ特集は書いていこうと思う。
フットボールの夢、はじまります。
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アフリカ、アフリカ。果てしなく広がるサバンナの地平線、今も残る部族の鮮やかな衣装の赤や黄の色、あるいは儀式か何かで奏でられる音楽、踊り。アフリカの景色と言われたらこんなところが思い浮かぶ。
しかし、その多くはエキゾチックで謎に包まれていて、それすらも魅力の1つとなっている。
1995年のとある対談でイーノが言ったように、僕たちの生活の中にはアフリカ的なもの、その景色が足りないのかもしれない。
かつての西洋人はそれを自分たちの言語で理解しようとした。そして、それによってアフリカというものを理解することには至らず、そこにあった文明を解体してしまった。中には二度と取り戻すことのできない文化、時間も含まれていたはずだ。
一方で、サッカーにおけるアフリカの台頭は、近年殊更に著しく見られる。そこには、圧倒的な身体的格差の他に、僕たちが未だ至っていない、あるいは見失っている境地があるのではないか。
フットボールにも、アフリカは足りていない。
アフリカでは言語の記述による記録文書という類のものは稀である。つまり、多くは口伝承によるものであった。更に言うと、それは言葉によるものだけでなく、音それ自体によって行われるものでもあった。これを代用言語と呼ぶ。
アフリカの西側には、ヨルバと呼ばれる民族がおり、ここにはトーキングドラムという独自の発展を遂げたものがあった。言わずもがな、ドラムが喋るのである。
ドラムのリズムや音色を巧みに使い分け、ほとんど言語と同じようにして、より遠くにいる人に伝達する。この、ヨルバのドラムについての説明は、インターネット上にごまんと転がっているので、ここではこれくらいの記述に済ませたい。
ここで面白いのが、複数のドラムによって刻まれるリズムである。
トーキングドラムのリズムは実に多様で、複雑で、どのような仕組みで系を成しているのか、未だに分からない部分もある。YouTubeでもいい。聞いてみれば、それが心臓の鼓動のように生き生きとしたものであると言われる理由がすぐに分かるだろう。
このドラムに関して、最も把握が難しいとされるのが、複数のドラムがそれぞれに異なったリズムを刻んでいるという現象だ。
誰かが基本となるリズムを取っている上で、違う誰かがソロを取り始めるのだが、これはどうにもリズムがずれて理解が難しい。始まりも終わりもばらばらなのだ。
これを西洋的に解釈すれば、ポリリズムと呼ぶこともできる。どこかで区切ったり、判別することはできないのだ。
しかし、これはトーキングとも言われているように、ドラムはそれぞれの言語を使ってそれぞれ話している、それだけである。違和感と共存を、身体的な感覚のうちにやり遂げてみせるのだ。
実際、統一的なヨルバ民族というものは存在しておらず、ヨルバ系の中にはエキティ(Èkìtì)、イジェジャ(Ìjes̩̀a)、エバド(È̩gbádò)、イジェブ(Ìjebu)、オヨ(Ò̩yó̩)などといった複数の部族が含まれていた(ヨルバという呼称で統一されたのは、19世紀イギリスによるもの)。
当時には、違う文化、違う言語をそれぞれに認め、同時に存在するということを彼らなりのスタイルで達成していたのだ。それが、このドラムのリズムにも表れているわけだ。
しかし、近代以降の電話機の登場によってアフリカも影響を被ることとなる。
電話機と通信の発達は、より遠くに物事を伝えるのにドラムを必要としなくなった。それから、使われるのは統一された言語に単調なリズムだ。残念なことに、番号の機械的なプッシュ音とその指感覚では、変態的なリズムを刻むことはできなかった。
幸いなことに、現時点でサッカーの試合中にボールを運ぶのに、電脳ネットワークを使用することはないままに済んでいる。
同じパスで目的地にボールを運ぶのにだって、プレーヤーはそれぞれに言語を持っているのだ。パスの強弱、球の回転、角度、距離、その1つ1つにこだわっている選手も少なくない。
それぞれに違う言語であっても、サッカーボールが会話を成り立たせてくれているわけだ。
それは同時に、小学校レベルで教えられるインサイドキックに正解の型がないということも言える。
自分で自分の言語を獲得し、それを違う者にも伝えなければいけないのである。理解できなくても、分からなくても、ただドラムのリズムに乗るように、誰かが身体を揺らしていればそれで十分なのだ。
分かり合わなくていい。
それぞれに、それぞれであることを、そしてそれらが同時であることを受け入れておくのだ。
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アフリカ特集が何を指向しているのか、理解していただけただろうか。わからない人はそのままでいい。ただ、文字の羅列を目で、全身で浴びたらいい。
それから、先週からスペインのバレンシアにサッカーをしに来ている。というわけで、今週から毎週木曜日にこちらでの記録も別の記事で随時更新していくことにした。
前回記事
今回から記事の中に寄稿されているイラストは、全て父によるものである。そんな父が描いた絵本を息子である自分が編集して、共同で出版したのでこちらも是非。
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