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【日本/埼玉県/秩父/横瀬町/地域おこし協力隊】【WBと多様性編】【8月】【異文化】私史上最短で最高の胸キュンな恋愛(不完全な文章シリーズ)

皆さん、こんにちは。
横瀬町地域おこし協力隊
ウェルビーイング(WB)担当のやすこです。

忙しい日々に追われる毎日ですが、
皆さんは最近どんなことに胸キュンしましたか?

恋愛(推活)に限らず
日々の胸キュンは
脳の活性化や
毎日の生きがいにつながります。

ワクワクするだけでなんだか
普通の日常が輝きだしますよね。

これのおかげでなんだか
元気が出る
やる気がでる
心がほっこりする

この人に会うと
前向きになれる
チャレンジしたいと思える
なんだかやれる気がでるなどなど……

横瀬町でも女子が集まれば
恋バナに花が咲きます。

横瀬町の男性を好きになり
お嫁に横瀬町に来た人が
周りには結構います。
様々なエピソードが
とっても心に染みるw

横瀬町で活動していると
素敵なご夫婦に
お会いすることが多いのですが

共通点として
オーラがにている
体型がにている
雰囲気がにている
趣味がにている
笑いのツボがにている
どちらかのご両親ににているなど

科学的には証明できないけど
なんとなくそんな気がしますw
幸せな結婚のヒントがたくさんありますね。

自分以上に愛せる人に出会えるって
本当に奇跡だと思います。すごい!!

今日は結婚ではないですが
今回もまた天狼院書店のライティングXの課題で
「私史上〇〇な恋愛」をお題に出されて書いた
エピソードを発信します。

1.海外の多様性は自分らしさに誇りをもつ(異文化)

はじめて海外に住んだ国が
NZ(ニュージーランド)だったのですが

その時にサウジアラビアの
女性にも、男性にもすごくモテましたw

私にとってサウジアラビア人は
未知の国の人のイメージでしたが
純粋で良い人たちに出会い
その国のイメージが変わりました!

今、若者の内向き志向が叫ばれていますが
海外に行けるチャンスがあるなら
絶対に行った方が良いと思います。

そして、できるなら自分で稼いだ
お金で行くことをお勧めします。
その方が、お金を大切に使えるし、
貧乏でもそれ自体を楽しもうとする知恵がでる。
すべてが当たり前じゃないから
様々な奇跡的ハプニングに感謝ができる。

私はNZをバックパッカーでラウンドしたのですが、人生の最高の思い出であり宝物です!!

海外で過ごしたことで、国、文化、言葉、肌の色、宗教など様々な違いのある人たちと出会いました。素敵な人たちに出会い、様々な違いの中でも、「感じる心」には共通点があると発見しました。

海外に行くと、自分の意思をはっきり伝える場面がたくさんあります。意見も違うこともあります。しかし、それを批判するのではなく、
そういう考え方もあるよねと尊重する場面に何度も遭遇しました。でも、本当に嫌いな人には結構スルー(関わらない)ですw

自分の常識が、相手の常識ではない。
それを理解しつつ、自分の意見はしっかり持って
発信することの大切さを学んだ気がします!

異文化、すごく楽しいですよ~♡
海外に行ったことで、
自分らしさを表現することに関して、
さらに抵抗がなくなりました。

「みんなちがって、みんないい」 金子みすゞさんの好きなフレーズです。

みんな自分らしくあれ!! って感じでしょうか、、、

今回もウェルビーイング(WB)の観点から、恋愛編をお届けします。

心地良い世界から1歩踏み出すことは勇気がいるけど、そのおかげで絶対会えない人に会えるチャンスがある。そんなおもしろエピソードです。
まだまだ不完全な文章ですが、何かほっこりした気持ちになってもらえると嬉しいです。

2.テーマ:私史上最短で最高の胸キュンな恋愛(不完全な文章シリーズ)

「明日、ボクと出かけませんか?」
最近語学学校で仲良くなったサウジアラビア出身の同じクラスである男性から突然誘われた。私は様々な国籍の友人と交流していたので、彼の誘いも友人のひとりとして何も考えずOKをした。

私はワーキングホリデービザを取得し、ニュージーランドにいた。

前職は公務員。
人生の安泰を考えれば、安定した仕事や環境を捨てて、結婚適齢期真最中の女性が海外に来るなんて少し考え物かもしれない。

しかし、人生は一度きりと思い、大好きで誇りを持って取り組んでいた仕事に一旦ピリオドを打ち、新しい人生に一歩を踏み出した。

私は昔から海外に住んでみたいという夢があった。その夢を叶えるためにどのような方法が良いのかずっと考えていた。
そんな時に、ワーキングホリデーのビザについて知る機会があった。

ワーキングホリデービザは、日本国籍を持つ18歳~30歳までの独身者、または、子どもを同伴しない既婚者を対象。また、ニュージーランドで1年までの長期滞在を希望し、休暇を目的とした方に発行されるビザである。最近は3ヵ月延長できるようになったようだが、当時の条件はざっくりこんな感じだったと思う。

なぜおすすめかというと、学校に通うことも、働くことも、旅をすることもやりたいことはなんでも経験できる限られた年齢の人だけに発行されるなんとも魅力的なビザだったからだ。

私はこのビザを取得し、ニュージーランドに行くことにした。
はじめての海外生活ということで、節約しながらも自身の投資につながることにはお金をかけた。

まずは、ネットで検索すると一番にヒットする業界No1のエージェントに申し込むことにした。サービス内容は、ビザ申請、事前の語学サポート、1年間の現地のサポート、語学学校紹介、ホームステイ先の手配等がついていた。航空券は別料金なのに、当時、27万円ほど事前に支払っていた。また、帰国後の就職支援サポートにも入りプラス5万円のオプションも付けていた。

現地でいろいろな日本人に会うと、自身がいかにお金をかけてワーキングホリデーに来ていたのかを知ることになる。

しかし、当時は仕事をしながら海外への準備を進めていたことと、海外長期滞在がはじめてだったこともあり、時間・手間・安全を買ったのだと自身では理解している。

充実したニュージーランドでのワーキングホリデー生活を送るために、エージェントの力をかりて、無事に入国を済ませる。

空港にはエージェントのスタッフが待っていてくれた。その方曰く、同日入国者があと3人いるとのこと。

わくわくする気持ちが抑えられない。

空港のカフェで待機していると、空港内に野生の鳥などが勝手に入ってきて、下に落ちているパンくずなどをつついていた。

えっ、ここ空港なのに、野生の鳥が勝手に入ってきている。そんな光景に驚いているのは私だけなのか、野生の鳥がいようことなど誰もかまわず、周囲の人たちは貴重な時間や会話を止めることなく自分たちの時間に夢中だった。

日本という国を飛び出し、異文化に触れることがこんなにも楽しいのかと周りの光景を何度も何度も見渡し、観察をしていた。

気づいた時には、私を合わせて同時入国者の日本人は4人になっていた。

私たちはエージェントが手配した車に乗り込み、現地の事務所で入国者のオリエンテーションを受けた。そして、現地の銀行口座も無事開設し、いよいよ本格的に海外での生活がスタートする準備を終えることができた。

私が最初に過ごした場所は、ニュージーランドの北島のオークランドで5ヶ月ほど住むことになった。そこでは、語学学校に通い、児童英語の資格を取得したり、地球の歩き方のガイドブックにも掲載されるような有名な高級ジャパニーズレストランなどでバイトをしたりして経験値を積んでいった。何より、エージェントや語学学校で多国籍や日本人の良き友人たちにも恵まれ充実した日々を送っていた。

ワーキングホリデーの期間は1年間しかない。出発前に後悔のない1年間を送るために綿密に計画を立てていたので、児童英語の資格を取得後、慣れた学校もオークランドも離れ、私は南島で生活することを決めた。

南島でも人と仕事に恵まれた。
一番お世話になった場所は、フランツジョセフという氷河で有名な場所だった。そこに住んでいる日本人はあまりいなく、それも功を奏した。午前中はモーテル、午後はカフェで働いた。

働きずくめの私の姿を見て、アルゼンチンの同僚が、

「あなたはワーカーホリックだわ」
と心配しながらも呆れられていた。

私がこんなにも働く理由は、再度、お金を貯めたら、ワーキングホリデーの最後にもう一度語学学校に通いたいという想いがあったからだ。

だから、たとえ、ワーカーホリックと言われようとも私は毎日、毎日、楽しみながらも働き続けた。

海外生活をして感じたことは、日本人で良かったなと改めて自身のアイデンティティに誇りを持つことができたこと。ホームステイ先のママからも、仕事のオーナーたちにも言われたが、日本人は自己主張が激しくなく、優しく、ズルをしなく、誠実な人が多いということで好評だった。

私も一日本国民として、いい印象を残せたらと思ったが、最終的には、国籍など国境を飛び越え、海外での人間関係も結局はわたしとあなたのような人と人との関係性に比例するのだと実感するのだった。

充実したニュージーランド生活。当初の計画通り、学ぶことも、働くことも、貧乏ながらにバックパッカーで旅をすることもできた。

そして、ワーキングホリデーの終盤。私はもう一度語学学校に通うために北島に戻り、ニュージーランドでも日本人があまり住んでいない郊外のフラットに住むことになった。そこのオーナーが紹介してくれた語学学校で出会ったのがサウジアラビアの彼だった。

私のクラスは、韓国の女性1名、サウジアラビアの男性2名、日本人の私の合計4名の少人数制クラスだった。先生は、南アフリカからニュージーランドに移住した方だった。

授業内容はレベルが高いとは言えなかったが、私はクラスの全員と仲が良く、アットホームな雰囲気で毎日英語を学ぶことがとても楽しかった。

「明日、ボクと出かけませんか?」そんな時に彼から突然誘われた。

お互いの自宅は知らなかったので、私たちは休日の語学学校の前で待ち合わせることになった。

行先は、この地域で一番大きいショッピングモール。

一緒にバスに乗ったとたん、私はいつもの彼でないことに気づく。
なんと、少し酔っぱらっているような雰囲気だった。私はすかさず、
「あれ、お酒飲んできたの? 大丈夫? サウジアラビアはイスラム教徒だからアルコールはNGじゃないの?」と聞いた。

すると彼は、少し照れながら
「確かに……。本当は、宗教上アルコールは飲んではいけないのだけど、今日、すごく緊張していて、友人からお酒を飲めば話が弾むと言われたから少しだけ飲んできた」と言った。

サウジアラビアはイスラム教の戒律遵守に厳格な国である。女性は家族以外の男性と公の場で同席したり、会話したり、男女の接触等はタブーとされている。もちろん禁酒である。
恐らく、彼は今まで女性とプライベートで出かける経験などはなかったのかもしれない。

鈍い私でもその時気づいた。彼はただの遊びで私を誘ったのではなく、デートのつもりで誘ったのだと。

私たちは映画を見た後、ショッピングモールをひと通り回り、併設されている海の見えるパブに入った。私は白ワイン、彼はビールを飲んで語学学校では話せないようなプライベートな話で盛り上がった。
印象的で面白かったお話は、現在、彼は18歳で今後の留学のためにニュージーランドに英語を学びに来ているということ。生活費はすべて父親から送られており、ホームステイをして不自由ない充実した生活を送っていること。実家はお金持ちでラクダを何百頭も飼っており、サウジアラビアでは、飼っているラクダの数はステータスにつながるということ。などなど、日本では決して出会わないだろう人に会うことができるのは、海外生活の特権だと感じた。

実は、最初の語学学校でもサウジアラビアの友人たちに好かれていた。
語学学校の先生がサウジアラビアの女性は男性と会話をすることができないという配慮で、私がサウジアラビアの18歳の女性のサポート役に抜擢された。彼女は、非常に大人びていて、純粋で、優しく、すぐに仲良くなった。女性同士であれば、アバーヤという黒いローブなしでも問題がなかったので素顔も見せてくれ、容姿端麗な姿に驚いた。当時、9・11が遭ったこともあり、中東のサウジアラビアやイスラム教徒についてメディアは良くは語っていなかった。しかし、実際に会ったサウジアラビアの友人たちのおかげで、私にとってサウジアラビアは素敵な国という印象に変化していった。

面白かったのは語学学校を卒業する日、私は彼女へのプレゼントに折り紙を選んだが、彼女はディオールの香水を私へのプレゼントに選んでいた。金額のキャップが!!

また、以前の語学学校で知り合った男性も「キング(王様)から奨学金を全額支援してもらいニュージーランドに留学のためきている」と言っていた。キングって何!!

私は日本で会うことのなかった石油王国サウジアラビアのリッチさをなんとなく感じていた。

そんな以前の語学学校の思い出に浸りながら、サウジアラビアの人たちは親日家が多く、私は男女問わずサウジアラビアの方々と相性がいいのだなと振り返っていた。

ふっと現実に戻り、デートしている彼に意識を戻す。

彼は突然、
「やすこ、今何歳? ボクと同じで18歳くらい?」と聞いてきた。
私は目を最大限まで丸くして、思わず笑ってしまった。

日本人は童顔だというが私は10代に見られていたのかと思うとなんだか恐縮に思った。

「違うよ! あなたより年上だよ。私は学生ではなく、社会人を経てニュージーランドに来ているよ」と伝えると、彼も笑いながら、

「え~、ボクと同い年くらいに思っていたよ」と言って一緒驚きながら爆笑した。

その後も、お互いの国について紹介したり、語学学校や将来についてたくさん話したりした。

しばらくして彼から、
「やすこ、今から別のレストランに行こう」と誘われた。

私は一瞬、ここで最後じゃないのと思ったが、彼に言われるまま私たちはパブを出た。

次に連れて行ってくれたお店はなんとこれまたグレードがさらにアップした海の見える高級レストランだった。人生史上、素敵なレストランに驚いたのと、18歳の年下の男性に連れてきてもらったというギャップに少しこそばゆい気持ちになった。

私たちは案内されるままに席について、彼がドリンクと料理を注文し、私たちはパブからの話の続きで会話が盛り上がる。

ワーキングホリデーできている私にとっては何とも非日常的な世界の空間にお酒も料理も会話もすべてが楽しく、美味しく感じた至福の時間だった。

話が盛り上がっていたのに、彼が急に真剣な顔をして突然会話をストップさせる。
私たちは10秒間見つめあう。

すると彼は急に、
「アイラブユー! アイラブユーソーマッチ!」と少し照れながらも真剣な顔で言ってきた。
彼は私が年上であることなどもすべて含めて王道のアイラブユーで告白してきたのだ。

私が彼に、なぜ私のことが好きなのかの理由を尋ねると、
「やすこの性格も顔もすべてが好き」と恥ずかしがらず、全力で気持ちを伝えてくれた。

私は18歳の彼の全力のアイラブユーにキュンッ!! と胸が高鳴った。
いい意味でめっちゃ可愛いと正直思ってしまった!!
こんなにストレートに大好きと宗教の戒律を破ってまで全力でぶつかってきてくれたことに感動してしまった。

私の人生史上胸キュンな恋愛のはじまりの予感。

しかし、私は彼の全力の告白には全力で即答はできなかった。

その後も彼は果敢にプレゼント作戦で自身の想いを伝えてきてくれた。
しかし、私は次の人生を歩むことを決断し、彼への想いには答えることはできなかった。

こんなにも大切に思われ、ストレートに向かってきてくれる人がいるということは女性にとって幸せの極みだなと分かっていたが、現実と理性には勝つことができなかった。

サウジアラビアの18歳の彼は今どこで何をしているのだろう。
彼がくれた、私史上最短で最高の胸キュンな恋愛ははじまらなかったけど、
ずっとこれからも私の心の中に生き続けるだろう。

人生は1度きり。
やりたいことを、やりたいときにチャレンジしたことで経た経験は素晴らしい。

彼が幸せでいることを心から祈っています。
素敵な思い出をありがとう。

可愛い羊たち
NZの自然が大好きだった@ティアナウ
@ミルフォードサウンド
フランツジョセフでモーテルとカフェを掛け持ちして働いていました!!
フランスジョセフの町
モーテルのボスの手料理

*****ここまで********

3.さいごに

天狼院書店での講座では、
毎回テーマに沿って
自身の人生を書く機会を頂きました。
まだまだ、作品はありますが、
不完全な文章シリーズはあと1回で終えたいと思います。

毎週5000字を書くことはきつかったですが、
今振り返ると結構笑えるので
自分の人生をテーマに書いてきて
自分の人生の振り返りにもなりました。

あの時の自分は、今、横瀬町で幸せをテーマに
地域おこし協力隊をやっているなんて思ってもいなかったです。

人生は不思議ですね^^

本日も長文を読んでくださりありがとうございます。
もし、何か感じましたらぜひフォローやスキ♡を押して頂けますと励みになりますし、とっても嬉しいです。

では、次回もよろしくお願いします。
皆さまの幸せをいつも祈っています。
では、また~!!

英語を教えてくれたマイケル(語学学校の先生)

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