見出し画像

【日本/埼玉県/秩父/横瀬町/地域おこし協力隊】【8月】【WBな働き方編】【一生、忘れない】私の正体は気軽な「メンタルヘルプ」(不完全な文章シリーズ.No.1)

皆さん、こんにちは。
横瀬町地域おこし協力隊
ウェルビーイング担当のやすこです。

横瀬町に移住する前は
私も都会でバリバリ働く女性の1人でした。
もちろん、私の友だち、尊敬する女性も
同じような自立した女性が多くいます。

最近、友だちが上司のパワハラで悩んでいると
相談がありました。彼女は、常に人のことを考え
行動できるようなとても心優しく良い方です。

以前に、天狼院書店のライティングXの講座でパワハラを題材に書いた記事を今回ご紹介します。まだ、不完全な文章ですが、必要な方にこの文章が届くことを祈っています。

特に、人に優しく、寛大で、親切なあなたへ。

働き方を間違えると
時に人は自身を見失い
必要以上に自分を責め
心のよりどころさえ分からなくなり
心身の病にかかることがあります。
一旦傷ついた心の回復は
いろいろな人を見てきましたが
すごく難しいように思います。

どうか自分で自分を癒し、褒め、
認めてあげることを忘れないで欲しいです。
自分の1番の味方は自分であり
一生付き合うのも自分だからです。

ウェルビーイング(WB)の観点から
働き方をとおし考えてみました。
皆さまの人生の何かに
少しでもお役に立てれば幸いです^^

テーマ【一生、忘れない】私の正体は気軽な「メンタルヘルプ」

「やすこ、聞いて~」
「やすこさん、ちょっと相談にのってもらえますか」

恵比須顔だからかいつも私は笑っているイメージがあるみたい。

だから人からは悩みがなさそうだよねとよく言われる。

心が弱った時にかけこみ寺のように相談されることも多い。

「顔を見ると元気がでる」
「しあわせな気分になる」

周りからの評判は上々。
褒めてもらえると自分の良さにも気づける。

私の存在が誰かのしあわせにつながるのならば、
それこそ私の生きている価値につながる。

こうやって人から頼られる自分になれたのは社会人として鍛えられたおかげだと思っている。

私もたくさんの人生の壁にぶち当たってきた。幸いにも良い会社、組織、上司、同僚、後輩等には恵まれてきたが、やはり悩むことはある。

自分で問題を抱えることができなくなった時は、信頼する人に相談したり、自己啓発本を読み漁ったり、心をマイナスからフラットに、またはプラスにする方法を模索し、鍛えてきた。

どうやったら心のモヤモヤがとれるのか。
目の前の嫌なことを回避できるのか。
ストレス社会を自分らしく生きることができるのか。現代社会、みんな、しあわせを求めながらも常に悩み、もがき続ける。

大学院時代、パワハラの実体験を元に研究している方との出会いがあった。その人は私より年上で、昔、そんな辛い過去があったのだとは感じさせないくらいイケメンで爽やかな人だった。

私たちは授業の一環で「なぜ大学院に進学したのか」を双方でインタビューする機会があった。

「なぜ大学院に進学しようと思ったのですか? その理由や背景があれば教えて下さい」私は彼に自由形式で早速インタビューをはじめた。

「実は、私は現在大学職員として勤務をしているのですが、国の機関に出向した時にパワハラに遭いました。その経験は一生、忘れることができない記憶として自分を深く傷つけました。なぜ、このような目に遭ったのか、どのようにしたら回避できたのかを知りたくて、研究を通し、自分の辛い過去に向き合いたいと思いました。また、この研究による知見により、今後、私のような辛い経験をする人を少しでも減らし、社会に貢献できればと考えています」とのことだった。

「パワハラ経験とは、具体的にどのようなことがあったのですか?」私はすかさず質問を続ける。

「私が某省庁に出向した時、私はある上司の直属の部下として配属されました。

私以外その上司と関わる職員は配置されておらず、少し不自然に感じました。しかし、出向先の状況などは知る由もなく、疑うことなく業務を遂行することだけに意識を集中させました。

しかし、日々の業務の中で、その上司に対して、あれっ、あれっ、と思うことが増えていき、ひどい時には叱責されることもありました。

最初は自分が悪いのかなと思い謝っていましたが、非常に理不尽なことで怒られる回数が増えていくようになりました。

このような状況を周りは気づいているにも関わらず、誰も介入しようとはしてきませんでした。ある時、セミナーをその上司と担当することになりました。

私は業務の優先順位を考え、やるべきことを、やるべき時までに準備しました。

それを上司に報告すると、最初からやり直すように言われました。

何が原因なのか、どのように修正すべきか尋ねると「そんなことは自分で考えるように」と言われました。

上司が求める回答が分からず、しかし、それ以上は聞きたくても怖くて聞けず、私は自分なりに考え、資料を再作成しました。

そして、改めて、上司に報告すると案の定、作成した資料は受理されませんでした。

上司の意図する資料ができなければやり直すように言われることは分かっていました。

だから、作成する前に敢えてお伺いしたのです。

しかし、上司からは自分で考えろと言われる。

考えたところでゴールはない。このようなことが何度も続き、精神的に滅入るようになりました」

「周りの人には相談しなかったのですか」私は彼に質問を続ける。

「出向したての頃は、業務、環境、人に慣れるのに必死でしたし、誰が味方で、誰が敵なのか、信頼できる人がまだいなかったので相談はしませんでした。

ただ、なんだかおかしいなという疑念だけが募っていきました。周りはわざと気づかない振りをしているような、我関せず的な雰囲気がありました。勤務してから1年くらい経った時でしょうか……。

私は信頼できそうな同僚に悩みの根源である上司について思いきって相談しました。すると、彼は、私に謝罪をしてきたのです」

「なぜ謝罪してきたのですか?」私は思わず聞き返す。

「実は、その課ではすでにその上司は要注意人物として認識されており、ただ、国家公務員だと年功序列のため、人格に問題があってもポジションは失われない。

何か決定的なことをしない限りクビにすることもできない。

私が出向する前からその上司の直属の部下になった人たちは心を病み休職していったそうです。誰も彼とは関わりたくない。

だから何も知らないで出向してきた私が彼の部下になることが適材適所ではないかということだったみたいです。

私が日に日に元気がなくなり、衰弱していく様子を周りは気づいていました。にもかかわらず、自分に害が及ばなければ良いと見て見ぬ振りをしている雰囲気があったようです。

もっと詳しく聞くと、その上司自身鬱症状がみられ、心療内科に通い薬を処方してもらっている。

だから、時々、自身でも自分の感情をコントロールできない。

そのような姿を誰も責めることはできない。公務員であれば上司の言うことは絶対ですしね。

だから、ハズレくじを引かないよう、触らぬ神に祟りなしということで、自分を自分で守ることしかできなかったそうです。

職員は何年か我慢すれば異動があるからね。

私は運が悪く知らずに出向し、おかしいな、おかしいなと思いながらも、叱責されれば、自分が悪いと思い長い間謝り続けてきました。

そして、とうとう私の心が壊れかけました……」

「……と言うと、病気になったのですか」

「1年くらいずっと我慢し続けていると、人間って限界がくるんですよ。

もっと早く回避できたのかもしれないけど、私は頑張ってしまった。

何かおかしいと思ったときに誰かに助けを求めるべきだった。

結局、仕事に行くことができなくなり、病院に行ったら、鬱だと診断されました。

あの時は、本当に死にたくなりました。何もかも無気力で、生活もままならなかった。

辛かった。診断書を書いてもらい大学病院で診察を受けた時、大量の薬を処方してもらったんですよ。強い薬だったみたい。

それを実感したのは、コンビニに行った時、エロ本を何冊も読み、自分は性欲が強い方なのに、何も感じなくなってしまった。やる気も生きる気力さえもコントロールされてしまった。

この時、薬って怖いってはじめて思いました。

このまま薬を飲み続けても症状は改善しないと思って、薬を飲むことを辞めました」

「出向前の勤務先である大学には報告しなかったのですか」私はさらに食い込んだ。

「病気になってから報告しました。

すぐに、大学のトップが出向先に連絡を取り「自分の大事な職員に何をしてくれたんだ」と怒ってくれたようです。

出向期間を満了する前に無事に大学に戻ってくることができました」

「今はもうメンタルは大丈夫なのですか」私は彼が心配になった。

「一度心を壊すと身体の怪我と違い完治することは難しい。私もなぜここまで自分を追い詰めたのか今思い返せばバカだったと思います。

ただ、あの時は、自分の家族のこと、今後のキャリアのこと等があり、自分だけの人生ではなかった。

だから簡単にあきらめることができなかった。でも、自分が病気になり、結局働けなくなった時、どれだけ心と身体の健康が重要であるかつくづく考えさせられた。

もっと早くに自分の心の悲鳴に気づき、助けを求めれば良かったと思っています。

もっと自分を大切にすれば良かったのかもしれないね。

命を落とさなかっただけ良かったと思うし、逃げ場があって本当に良かった。

この経験は一生、忘れない。
忘れてはいけないことだと思っている。

だから、私は大学院に入って研究を通し自分の経験した出来事を客観的に捉え、社会に活かしたいんです。それが、私が大学院に進学した理由です」

「ありがとうございます。あまりに壮絶な経験に驚きました。私も自分は自分でしか守れないとは思っていますが、いくら自分が大切だと思っても、身近にパワハラ等で苦しんでいる人を見て見ぬふりだけはしたくないと思いました」私は彼に自分の想いを伝える。

彼は最後にニコッと笑い、インタビューを終えた。

その方の肩書は大学職員だけではなく、一人の男性であり、夫であり、父親だった。まじめで、誠実で、優しい人だったからこそ、自分の心を壊すまで頑張ってしまったのかもしれない。

彼の「一生、忘れない」が心に響く……。

そして、私の「一生、忘れない」人生の教訓を得ることになった。

私の幸せは常にオーダーメイド。
自分らしく生きるために7つの方法を私は実践している。

1つ目、自分を大切にする。

自分を大切にできる人は、他人も大切にできる人だと思っている。だから、自分のケアはできるだけ自分でする。自分の内なる声にきちんと向き合うこと。

2つ目、ながれに身を委ねる。

何かを決断するとき、タイミングとスムーズなながれかそうでないかでなんとなく自分の進むべきミチが見えてくる。そういう周りでのできごとと自分の感じる直感や感覚を大切にしている。何かモヤモヤした時は、少し立ち止まる。地位や名誉やお金とかそういうオプションはとりあえず置いておいて、自分の心が動くながれに身を委ねてみること。

3つ目、つらかったら逃げても良いという切り札を持つ。

つらいときは、自分がいる場所の視点を少しだけずらすと良い。少しのアクションで暗かった世界に光が差し込むかもしれない。今いる世界が自分の価値のすべてではない。だから、自分の心の叫びを素直にキャッチすること。

4つ目、ネガティブな気持ちになったときは無理をしない。

この世は残念ながら公平でも平等でもない。しかし、ひとを憎んだり、ひとを恨んだりするのはとても疲れるし、何よりそんな風に思う自分のことが嫌いになる。かといって良い人にもなりすぎない。なぜならば誠心誠意限界まで努力したけど無理だという境地に辿り着いたときには、きっと答えはなかなか変わらない。だから自分を責めないこと。

5つ目、嫌なことははっきりと相手に嫌という。

必要な我慢は美徳だけど、自分が傷つくと分かっている継続的な我慢はしない。陰で悪口を言うくらいなら、相手に自分の気持ちをしっかり伝える。悪口や不平不満は聞く人も言う人も良い連鎖は生まない。モヤモヤが抱えることができなくなったら、愛情を持って本人に素直な気持ちを伝えてみること。

6つ目、必要な時は、思考を停止して期待しない。

理解してもらおうとか理解しようという思考から一旦離れるととても楽になる。あるがまま、そのまま受け止めること。あとは時間が解決するからきっと大丈夫。

7つ目、良いことも悪いことも全て良いこと。

この言葉は、母が私に贈ってくれた言葉。自分には不都合な出来事で心挫けそうなことがあっても、その出来事のおかげでいろいろと考えたりする。いろいろと反省したりする。本当に自分を大切にしてくれている人を再確認することができる。自分が一番弱い時は、本当に自分の大切なものや人が見えてくる。

色々な人生を乗り越えて、シンプルに見えてきた私自身が大切にしている生き方。自分をしあわせにすることは、私の大切にしたい人たちへのしあわせにもつながる。

だから、私は、自分の人生で歩んできた感情のひとつひとつを、一生、忘れない。

私の正体は気軽な「メンタルヘルプ」
自分にとっても、人にとってもいつもそんな存在でありたい。

***********おわり********

今回も長文を読んでくださりありがとうございました。まだまだ不完全ですが、文章に向き合っていきたいと思います。

今日PMは、ウェルビーイング(WB)通信「ぬくとまる」9月号の取材に行ってきます。夜は久しぶりに横瀬町で大変お世話になっている方々との交流会に参加してきます。ずっと走ってきて久しぶりの参加になるので怒られるかも(号泣)! なんちゃって! とりあえず楽しんできます!

今回の記事が良かった、共感できたなどあれば
フォローやスキ♡を押して頂き
応援して頂けますと大変励みになります。

これからもよろしくお願いします!!
では、また~♡

毎月WB通信「ぬくとまる」を23区毎戸配布しています。作業場の1枚。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?