記事一覧
Forward to own Rabbit hole
変容を求めず
振り返れば変容だったと知れば良い
外聞に振り回されず
また
借り物の言葉や感性に振り回されず
自らの感性と言葉に耳を傾け
そして己の感覚と己の言葉を携えて、自らの兎穴に飛び込む時かもしれない
原・感覚による次元観察子解説の試み(2)
みる、という言葉には見る、視る、観る、診る、看るなどいろいろな漢字が当てられている。
一般的には「見る」でまとめて代用しているし、ヌーソロジーも「見る」を使用している。
ところで、「見る」とは視覚器官による視覚認識の「視る」だけで成り立っていると思われているかもしれないが、実は「視る」だけでは、日常感覚の「見る」は成り立たない。
日常感覚の「見る」には「視る」に嵩張り感覚の触覚と、空間感覚の聴覚
原・感覚による次元観察子解説の試み(1)
ヌーソロジーでは、次元観察子の構造を説明するときに、モノの空間、モノの見えと空間、自己の見えと空間、自己と他者の見えと空間、という関係性で説明されるが、宇宙の起点はワタシ(自我の「私」の背後にある大きな自己位置)の前(持続的奥行き空間)にあるのだろうという感覚から、身体ベースで次元観察子の説明を試みようと思う。
私たち人間の自我は、ψ2−1(潜在化した時空次元)に4次元時空(3次元空間)を見て、
持続的知覚正面と液晶ディスプレイ
液晶ディスプレイは複素平面の持続的奥行きたる知覚正面の反映だと思われる特性を多く持っている。
見え方:どちらも平面
奥行き:(知覚正面)虚軸、(液晶)仮想軸
時間:(知覚正面)いつでも今、(液晶)どの時代の映像でも投影可能
場所:(知覚正面)どこでもココ、(液晶)あらゆる場所の映像を投影可能
知覚正面が幅化した表象の見える仕組みは、太陽光の反射光・全可視光。
対して液晶は発光ダイオードの直接光・
第6回東京ヌース倶楽部 概要(テキスト版)(2011/6/29)
(2011年6月29日掲載の記事を再掲載)
(以下は先日行われた第6回東京ヌース倶楽部の概要をテキスト化したものですが、実態とは若干違いがあります。記憶を辿って書き起こしたので、違いはご容赦ください。)
皆さん、お久しぶりです。
実に半年振りの開催となってしまいました。
3月に震災もあったので、皆さんご自身の生活面でも大変だったと思いますが、一方でヌースについては皆さんいかがでしたか?
東京ヌース倶楽部骨子(1)「OCOT情報とヌーソロジー」(2018/8/18)
(2010年8月18日掲載の元記事を再掲)
東京ヌース倶楽部は3月から開始し、7月に3回目を終え、9月に4回目を迎えようとしています。
基本的には現地で雰囲気を感じてもらえれば、と思ってましたが、とは言え、やっぱり骨子だけでもブログ上で文字にした方が良いかも、と思いましたので、不定期で、倶楽部の方からはかなり時間的にもズレてしまいますが、骨子や要点の部分だけでも少しずつアップしていけたらと思いま
意識と身体と空間を三位一体としてみる視点
そもそも三体論とは何でしょうか?
過去にNOOSWAVEというネットラジオのインタビューや、natanさんのブログ上でのインタビューで三体論を紹介したり、ボク自身の別ブログで三体論について書いたりしてきてますが、ここnoteで再整理し、書き直すにあたって、そもそも三体論とは何なのか?から振り返ってみたいと思います。
三体論とは、見出しにもあるように、意識と身体と空間を三位一体として捉えることを
三体論、再始動(再び)
三体論を再び整理し直しました。
何度目の再整理なのやら、という気もしますが、構想中の思想は誤りが見つかったり修正が必要と思えば何度でも軌道修正を行うことになるので、その変化の記録として残していこうかと思います。
三体論は、身体と空間(環世界の構造性、環空間)は鋳型と鋳物のような関係にあると捉えており、意識はその狭間に生まれ構造化されていると考えています。
その中で、身体の構造化と、環空間の構造化