Ricardo Tommy

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最近の記事

共に生きていく

いつのまにか、言葉を通じた概念的プレッシャーが苦手になった。 それまで自分でも使っていた、否定、断定、侮蔑、断罪。 「こうあるべき!それは間違っている!正しくあれ!」 そうじゃない… 大事なことを見逃している… 世の中を断罪するのは簡単だ。 他者を否定するのも簡単だ。 世の中が悪い、〇〇は終わってる、〇〇は腐ってる、あいつが悪い、あいつらは悪魔だ、我々は支配されている、などなど。 そう考え出すと、変化、変革するためには現状が破壊されないといけない、改革は血を伴わないといけな

    • Forward to own Rabbit hole

      変容を求めず 振り返れば変容だったと知れば良い 外聞に振り回されず また 借り物の言葉や感性に振り回されず 自らの感性と言葉に耳を傾け そして己の感覚と己の言葉を携えて、自らの兎穴に飛び込む時かもしれない

      • 階層的次元性でみる身体

        三体論は、身体と空間は意識を挟んだ反転構造、もしくは身体と空間は意識の反転した反映体、という三つ巴の関係を語っている。その関係性をもっと具体的に見出したいと模索して、知覚器官にその構造が階層的に現れているのではないかと考えている。触覚、聴覚、視覚、そして知覚総体としての人体。 生物学的には知覚器官は外部刺激の受容体だが、三体論的には環世界と身体を反転的に結びつける蝶番的役割だろう。環世界(byユクスキュル)とは生物がその固有の身体性や知覚器官によって知覚しうる世界像。身体と

        • 原・感覚による次元観察子解説の試み(2)

          みる、という言葉には見る、視る、観る、診る、看るなどいろいろな漢字が当てられている。 一般的には「見る」でまとめて代用しているし、ヌーソロジーも「見る」を使用している。 ところで、「見る」とは視覚器官による視覚認識の「視る」だけで成り立っていると思われているかもしれないが、実は「視る」だけでは、日常感覚の「見る」は成り立たない。 日常感覚の「見る」には「視る」に嵩張り感覚の触覚と、空間感覚の聴覚も重畳されて初めて、日常感覚の「見る」となる。 日常感覚の「見る」には、少し離れ

          原・感覚による次元観察子解説の試み(1)

          ヌーソロジーでは、次元観察子の構造を説明するときに、モノの空間、モノの見えと空間、自己の見えと空間、自己と他者の見えと空間、という関係性で説明されるが、宇宙の起点はワタシ(自我の「私」の背後にある大きな自己位置)の前(持続的奥行き空間)にあるのだろうという感覚から、身体ベースで次元観察子の説明を試みようと思う。 私たち人間の自我は、ψ2−1(潜在化した時空次元)に4次元時空(3次元空間)を見て、そこに生きている。 次元観察子は意識構造と身体構造に対応(三体論では環空間(自

          原・感覚による次元観察子解説の試み(1)

          持続的知覚正面と液晶ディスプレイ

          液晶ディスプレイは複素平面の持続的奥行きたる知覚正面の反映だと思われる特性を多く持っている。 見え方:どちらも平面 奥行き:(知覚正面)虚軸、(液晶)仮想軸 時間:(知覚正面)いつでも今、(液晶)どの時代の映像でも投影可能 場所:(知覚正面)どこでもココ、(液晶)あらゆる場所の映像を投影可能 知覚正面が幅化した表象の見える仕組みは、太陽光の反射光・全可視光。 対して液晶は発光ダイオードの直接光・RGB特にブルーライト。 視知覚の仕組みは網膜上の視覚細胞。 対して液晶はディス

          持続的知覚正面と液晶ディスプレイ

          思考と感性と世界観

          人間の発達・成長の過程では、もともとは外在に対する概念をもっていなかったとしても、周囲の人間(特に大人)から既成の概念を持ってこられて上乗せされると、徐々にその概念に対して思考も感情も感性も働くようになる。概念を上書きした方が真実だと教えられ、世界の見え方が変わっていく。 そうして成長の過程でまた周囲から新たな概念を上書きされ、その概念をベースに思考や感情、感性が働くようになる。また新たな「真実の世界観」の構築だ。 そうして、人間は今自分が思考や感情、感性を働かせている対象の

          思考と感性と世界観

          第6回東京ヌース倶楽部 概要(テキスト版)(2011/6/29)

          (2011年6月29日掲載の記事を再掲載) (以下は先日行われた第6回東京ヌース倶楽部の概要をテキスト化したものですが、実態とは若干違いがあります。記憶を辿って書き起こしたので、違いはご容赦ください。)  皆さん、お久しぶりです。  実に半年振りの開催となってしまいました。  3月に震災もあったので、皆さんご自身の生活面でも大変だったと思いますが、一方でヌースについては皆さんいかがでしたか?  私もですが、皆さんもご無沙汰と思いますので、今回はあるビデオを観ていただき、ちょ

          第6回東京ヌース倶楽部 概要(テキスト版)(2011/6/29)

          東京ヌース倶楽部骨子(1)「OCOT情報とヌーソロジー」(2018/8/18)

          (2010年8月18日掲載の元記事を再掲) 東京ヌース倶楽部は3月から開始し、7月に3回目を終え、9月に4回目を迎えようとしています。 基本的には現地で雰囲気を感じてもらえれば、と思ってましたが、とは言え、やっぱり骨子だけでもブログ上で文字にした方が良いかも、と思いましたので、不定期で、倶楽部の方からはかなり時間的にもズレてしまいますが、骨子や要点の部分だけでも少しずつアップしていけたらと思います。 まずは、「OCOT情報とヌーソロジー」の関係について。 ヌーソロジーと

          東京ヌース倶楽部骨子(1)「OCOT情報とヌーソロジー」(2018/8/18)

          意識と身体と空間を三位一体としてみる視点

          そもそも三体論とは何でしょうか? 過去にNOOSWAVEというネットラジオのインタビューや、natanさんのブログ上でのインタビューで三体論を紹介したり、ボク自身の別ブログで三体論について書いたりしてきてますが、ここnoteで再整理し、書き直すにあたって、そもそも三体論とは何なのか?から振り返ってみたいと思います。 三体論とは、見出しにもあるように、意識と身体と空間を三位一体として捉えることを目指した視点です。 背景には、意識と素粒子のイデア論であるヌーソロジーという思想

          意識と身体と空間を三位一体としてみる視点

          三体論、再始動(再び)

          三体論を再び整理し直しました。 何度目の再整理なのやら、という気もしますが、構想中の思想は誤りが見つかったり修正が必要と思えば何度でも軌道修正を行うことになるので、その変化の記録として残していこうかと思います。 三体論は、身体と空間(環世界の構造性、環空間)は鋳型と鋳物のような関係にあると捉えており、意識はその狭間に生まれ構造化されていると考えています。 その中で、身体の構造化と、環空間の構造化を説明するためには、どうしても生命進化史からの説明が必要という考えから抜け出せず

          三体論、再始動(再び)