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意識と身体と空間を三位一体としてみる視点

そもそも三体論とは何でしょうか?

過去にNOOSWAVEというネットラジオのインタビューや、natanさんのブログ上でのインタビューで三体論を紹介したり、ボク自身の別ブログで三体論について書いたりしてきてますが、ここnoteで再整理し、書き直すにあたって、そもそも三体論とは何なのか?から振り返ってみたいと思います。

三体論とは、見出しにもあるように、意識と身体と空間を三位一体として捉えることを目指した視点です。
背景には、意識と素粒子のイデア論であるヌーソロジーという思想体系があるわけで、そのヌーソロジーをバックボーンにしながら三位一体という観点で世界の構造を観たときに、新たな世界観が立ち現れてくるのではないか、という期待をこめた視点です。

そもそもは、2007年頃にヌーソロジーと出会い、ヌーソロジーの解釈と咀嚼に四苦八苦してたちょうどそのころ、その数年前に生まれて成長していく子供を見ていたら、人間の発達/成長が、観察子の構造の展開そのものではないか?!と直感したことに三体論の着想がありました。
ヌーソロジーも意識構造と空間構造の関係論でもありますから、身体も構造的な発達をしていると見ることで、ヌーソロジーの観察子構造が、人間の発達/成長に対応しているというのは的外れな直感でもなかったので、ヌーソロジーを知るほどに、ますます人間の身体の発達や、意識の成長を構造的に捉えるようになっていきました。

三体論がいう三位一体とはどういうことでしょうか?

三位一体という言葉自体は聖書で登場する言葉で、父と子と聖霊の関係を示します。
三者だけど、三者で一体としての神であるというキリスト教の概念です。
英語ではTrinityトリニティーで、映画Matrixの主要キャラクターの名前にも使われてますね。
現在では「三つ巴」的な意味合いで使われることも多いので、三体論でも「意識」「身体」「空間」の三つ巴かつ一体の関係性を、三位一体と表現しています。

「意識」と「身体」が一体というのは理解しやすいかもしれませんが、何故「空間」も一体なのでしょうか?

三体論では、ドイツの生物学者で哲学者でもあった、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した環世界という概念を重要な考え方として取り込んでいます。
ユクスキュルは、動物の身体構造や知覚器官によって認識される世界像はそれぞれの種によってまったく違う、という説を提唱されました。
当然人間も他の動物とは違う、人間の肉体構造と知覚器官によった世界像があります。
生命進化と人間精神の関係を説いた「Animandala」(天海ヒロ氏提唱)では、生命進化史上のさまざまな生態による環世界は、人間種一種に畳み込まれており、身体形態ではなく意識構造によってさまざまな(環世界を含む)ライフスタイルを持つようになったと説いています。

三体論では、人間種ではなく一個人の環世界を取り上げており、一個人の発達・成長の各段階でも環世界は変化し構成されていくと捉えています。
現在の一般的な世界観としては、世界像は誰であれどの生物であれ変化しないもの、という客観的な認識が普及していますが、三体論では主観的な世界像、人間にとっての環世界をとりあげて、その発達・成長における環世界も身体に合わせて変化しているはず、と考えて身体と空間(環世界)には一体性があるのではないかと捉えています。

また自我が生まれる意識は、当然身体を基盤とするのは違和感のないところとは思いますが、身体だけでは意識が自我に発達しえないので、身体と環世界のものや人との関係性があってこそ、自我は生まれて発達するのだろう、と考えました。

こうなってくると、身体と環世界には一体性がありそうだし、意識も身体とはもちろん、環世界とも深く関わっている、となると、この三体(自我意識、身体、環世界)には一体性がありそうだぞ、ということで、「意識と身体と空間の三体論」としているわけです。

なお「三体」の「体」の字は、肉体の「体」ではなく、本質的な形態という意味での「体」です。「(自我)意識」という「体」、「身体」は肉体も含まれるが身体という概念としての「体」、そして「身体」の反転構造としての「環世界」も「空間」という「体」、と捉えて「三体」論と呼称しています。

ということで、三体論とは、身体の発達・成長に目をつけながら、身体の発達・成長とともに変化する環世界にも着目し、かつ、それらに合わせて構造化され発達する自我意識、の三つ巴の構造関係にせまっていこう、という視点です。


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