原・感覚による次元観察子解説の試み(1)
ヌーソロジーでは、次元観察子の構造を説明するときに、モノの空間、モノの見えと空間、自己の見えと空間、自己と他者の見えと空間、という関係性で説明されるが、宇宙の起点はワタシ(自我の「私」の背後にある大きな自己位置)の前(持続的奥行き空間)にあるのだろうという感覚から、身体ベースで次元観察子の説明を試みようと思う。
私たち人間の自我は、ψ2−1(潜在化した時空次元)に4次元時空(3次元空間)を見て、そこに生きている。
次元観察子は意識構造と身体構造に対応(三体論では環空間(自己空間)にも対応)していて、元止揚空間(胎児)を経て出生し、感性を花開き、思形を働かせ、性質や定質で自我を立ち上げていく構造が展開していくが、これらの構造は自我の背後にあり、自我はψ2−1で生まれ、ψ2−1の次元で発達している。
言い換えると、観察子の構造がψ2−1に射影されることで自我が生まれるとも言えるのかもしれない。
人間は巨大な意識構造をもっており、自我はその表層に芽生えているようにも見える。
人間の脳の構造においても、脳幹、小脳、大脳、と階層構造となっており、知覚認識領域が大脳皮質という大脳の表層に集中しており、それがクオリアで統合・仮想化されて自我意識を構成しているのではないかという見方と構造的に似ていて興味深い。
それではψ3−4以降の観察子構造は、人間はすでに持っているのだとすると、ヌーソロジーはなぜ観察子の説明をするのか。
それは、自我という構造によって意識の焦点がψ2−1の4次元時空(3次元空間)に囚われているから、そこを解体していくためだ。
言い方を変えれば、人間意識はそもそも4次元の存在であるにも関わらず、自我意識によって3次元に生きていると思い込んでいる、とも言えそうだ。
意識が、自我という構造によってψ2−1に囚われている、とはどういうことか。
まず、知覚感覚と観察子は以下のような対応になっていると思われる。
ψ2−1 嵩張り感覚(触覚)
ψ4−3 空間感覚(聴覚)
ψ6−5 表象感覚(視覚)
ψ8−7 主体感覚と客体感覚
(自己という主体から見た他者と、他者に見られている自己)
それぞれの観察子にてこれら知覚感覚の元型が作られる。
胎児の発達的にも、受精卵は卵割後、形成される外胚葉がやがて皮膚となっていく。また中枢神経系が形成され始め、心臓の鼓動に次いで聴覚器官が形成され始め、続けて視覚器官が形成され始め、身体が人間となって他者と対峙する準備が整う。
ψ1から8までは、ヌーソロジーでは元止揚空間と呼ばれ、人体発達としては胎児の次元とされている。胎児の次元なので、自我はまだ存在せず、自我における時間感覚もないので、元止揚空間における知覚感覚は「原・感覚」とも言える感覚の元型と言ってもいいかもしれない。
自我からすれば、自我以前、時間の無い次元、とも言える。
また、偶数系を先に記載しているのは、人間においては客体的な偶数系が顕在化し、奇数系が潜在化してしまうためだ。
この偶数系(客体性)の総体のようにして構築された意識構造と身体が囚われているψ2−1の次元をスタート地点として、ヌーソロジーではあらためて奇数系の観察子を開いていく(顕在化)していくために、ψ3以降の解説が行われている。
観察子解説の前に、ヌーソロジーで用いられている「モノを見る」「見る/見られる」の「見る」とは何か、をもう少し細かく追ってみよう。
(2)へ続く
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