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思考と感性と世界観

人間の発達・成長の過程では、もともとは外在に対する概念をもっていなかったとしても、周囲の人間(特に大人)から既成の概念を持ってこられて上乗せされると、徐々にその概念に対して思考も感情も感性も働くようになる。概念を上書きした方が真実だと教えられ、世界の見え方が変わっていく。
そうして成長の過程でまた周囲から新たな概念を上書きされ、その概念をベースに思考や感情、感性が働くようになる。また新たな「真実の世界観」の構築だ。
そうして、人間は今自分が思考や感情、感性を働かせている対象の、以前の背景を潜在化させて忘れてしまう。

現代では言語的理性がベースにあって、あらゆることを言語化させることが重要視されており、言語化できないことは価値が無いこととされかねない。
本来感性を発揮する絵画や音楽も言語で批評・評価する。
最近の音楽MVには歌詞を大きなテキストとして表示してみせるものをよく見かけるようになった。
またYouTube動画も、会話内容を字幕としてテキスト表示するものもあるが、テキストが前面に出てくると、視聴者はテキストの方に意識を持っていかれて、トークの抑揚や間や感情は潜在化してしまう。
動画の倍速再生も同様で、発信者は間や抑揚、感情を含めて発信しているが、倍速再生では要点だけを拾って他は聞き捨てるので、発信者の感性には無関心になり、そのうち潜在化してしまう。
そうして受信者側の私は、言語的理性重視の世界観に対して思考も感性も働かせることになる。

当事者は今の概念空間に対して思考も感性も充分に働かせており、これまでの背景概念は潜在化しているので、当事者にいくら「もっと思考しろ」「もっと感性を働かせろ」と指摘しても指摘の意味を理解しにくいかもしれない。
現代のビジネスルールをベースにした思考や感性、現代の常識をベースにした思考や感性、現代文化をベースにした思考や感性。言語的理性をベースにした思考や感性。さらにはその背景になってきた文化・風習・概念まで、人間は何重もの概念を重ねて、それぞれに思考も感性も働かせ、世界を見てしまっている。
「本来の思考」「本来の感性」に辿り着くためには、ひとつひとつ、瓶底のようなメガネをいくつも剥がして、思考自体も感性自体も変えていかないといけない。


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