蜜蜂と遠雷②
蜜蜂と遠雷(恩田陸)
・「弾ける」のと「弾く」のとは似て非なるものであり、両者のあいだには深い溝があると思う。
ややこしいのは、「弾ける」から弾いている者の中にも「弾く」才能が埋もれていることもあるし、「弾く」ことに熱意を燃やしているものでも気持ちが空回りして実態が伴っていない者がいることだ。両者のあいだの溝は深いが、そこに溝があることに気づけば、なにかのきっかけでひとまたぎして越えられるものなのかもしれない。
・ちらっと危惧も覚えた。ラン・ランは1人だけでいいのだ。同じようなタイプがもう1人いてどうするというのか。
・スターというのはね、以前から知っていたような気がするものなんだよ。
彼らは存在そのものがスタンダードだからね。世の中には現れた瞬間にもう古典となることが決まっているものがある。スターというのは、それなんだ、
・自分の演奏の時だって、こんなに緊張はしないだろう。これまでに自分が練習し努力してきたことを知っているし、それ以上のことはできないと承知しているから、舞台に立つ時には、潔く全てを受け入れる気持ちになっている。
・審査発表の時の緊張感といい、普段いかに飼い慣らした感情の中で暮らしているのか、いかに何も感じていないのかを、思い知らされたような気がした。
・最近のハリウッド映画はエンターテインメントではなく、アトラクションである、といった映画監督の言葉を思い出す。
・聴きなさいと、先生は言った。
世界は音楽に溢れている。世界に溢れている音楽を聴けるものだけが、自らの音楽をも生み出せるのだから。
・音楽は、常に「現在」でなければならない。博物館に収められているものではなく、
「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。
・所詮は他人が自分に下した評価であって、自分自身が下した評価ではない。自分ではわからないところもあるが、自分以外にはわからないこともある。だからそういうことを言われたら、マサルはただニッコリと笑うだけにした。何も答えない。何も評価は下さない。そういう意思表示なのだ。
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