だから人は本を読む①
だから人は本を読む(福原義晴)
・本を読むことは、私たちの世代とともに先人たちの考えを持って学ぶことであるし、同時に読む人にとっては楽しみであるはずである。
・読書は人の生存にとっての必需品ではないが、人生の必需品なのだ。
・本にも旬があり、人が本を読むにも旬が大切だ。
〇第1章
私の読書体験
・日本の読書は昔から音読であって、黙読は明治以後のことだという。
・社長になってからは、人間学とか人生論とか世界観のような、もっと本質的なものを読まなければ根本的に解決にはならないと考えていた。
・政治にしても政治を感じさせることのない政治がいちばんである。それは無為の原理に則ったものだが、そのことがなにもしないということでは決してないのだ。
・人間は生きている間、仕事をしていても遊んでいても常に何ごとかを学んで少しでも完成に近づくべきだという主張だ。
〇第2章
読書と教養
・私は「生きることは学ぶことだ」、つまり、人というのは生きている間中、学んでいるのだと一貫して思ってきた。ただ、その時の「学ぶ」とは、「覚える」ことではなく「知る」ことだ。
・社会に出た後は、「覚える」よりも「知る」ことが多いのではないだろうか。
・「人間らしく感じる」ということは、ただ悲しんだり喜んだりするだけではなくて、そのことを味わうことができるということ。
・「知る」ということは、たとえば自分とは何であるかを知ることだが
それとともに自分と向き合っている相手を知ることも大事だし、その相手がわかるということも、もっと大事なことで、「わかる」ためには感じる力がなければならない。
・教養とは、情報(データ)や知識(インフォメーション)が元のまま集積したものではなく、人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の一部ではないかと考える。
・教養とは、物の本質をどこまでも、いつまでも追い求める姿勢であるといえるだろう。
・教養人とは「物知り・博識家」になることでは無い。知識が多くてもそれを社会に活かすことができない人を教養人とは呼べないと思う。
・ダニエル・ヤンケロビッチ
「人から影響を受けるように努めれば、
自ずと人に影響を与えるようになる」
・「アンパンマンのマーチ」
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
・価値が高ければ価格は高いのか。
あるいは価格が高ければ価値は高いのか。
違う要素で形作られているはずなのに、なぜ混同されるようになってしまったのかという疑問もある。
・「自分探し」をすること自体が人間の最終のゴールではない。その過程を通じて自分いう存在に深み、厚みが加わってくるはずなのだ。そして「自分探し」を通じて自分という人間が、完成に少しでも向かうのだ。
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