見出し画像

自我の芽生えについて〜双極性障害の診断より〜



私の母はそれを「それは自己の確立だ」と言いました。私の専属のカウンセラーさんは「それはアイデンティティだ」と言いました。


こんにちは。プーです。

今回は自我についてお話しようかと思います。
(注:自分の過去の話をするので長くなります)

みなさんに自我が芽生えたのはいつですか?

5歳くらいのときの、儚げな記憶の中に、私のことを私と呼び、あなたのことをあなたと言ったときですか?

今回私がお話したいのはそんな昔の自我の話ではなく、ごく最近の自我についてです。


私は今年22歳になるのですが、私の自我が芽生えたのは20歳の終わり頃です。

(ここで言う自我というのは、私と彼が勝手につけた名称で、本来は冒頭で述べたように「自己の確立」だとか「アイデンティティ」だとか言うらしいのですが、そんな高尚なお名前とは露知らず、もう我々の間では自我で通っているためここでも自我で通させていただきます。すみません。)


私の自我は双極性障害という私の人生にスローペースという概念をもたらした、贈り物が運んできてくれたように思います。

私は、モラハラで、借金が数千万もあり、暴力、浮気、無職というクソ野郎スロット大当たりの父のもと育ちました。下に妹と弟がいて、一生懸命働く健気な母を支えようと、私はまぁ、綺麗なくらい立派な長女になったわけです。

反抗期もなければ、家のお手伝いも、下の子の面倒もよく見て、お勉強は中間くらい、大学も無事進学。父からの支援は望めないため、自分でバイトを必死にがんばる毎日でした。

思い返せば(一年前かそこらですが)ばかだなぁ、でもよく頑張った、と思います。

ブラックなバイトに悩むこともなく当たり前のように終電に間に合わず、将来のために国家資格が取れる大変な大学に入ったため、勉強や実習に追われ、私はだんだんと疲弊していきました。


一人暮らしだから、家事もがんばらなきゃ、バイトして稼がなきゃ、大学の勉強遅れないように、テストも近いし、あれも、これも、それも、

気付いたら眠れなくなっていました。

バイトおわって25時頃家に着く。バイト代は20時半までの分しかでてないのでそれ以降はサビ残で、そんなのみんなやってると思ってました。夕飯だけおごってもらって食費浮いたやん〜とか能天気でした。

そこから、大学の勉強、家事、ぼーっとテレビを見て、もう朝の5時。

少し寝て学校でも行くか。


いまの私が過去の私に会えるのなら、抱きしめて、

もういいんよ、あんたの、好きなお菓子でも焼きな、大好きな海にいこう、学校は何日か休んでごろごろしよう、好きな小説もう長いこと読めてないじゃん!そんなバイトなんか飛んじゃえ!絶対どうにかなるから大丈夫。

と言いながら一発コツンと殴りたいくらいのアホさ加減にいま思い出しても怒りが沸きますが、

そんな生活を送っていたので、

まぁ、病みますわな。


ここから助けてくれたのが、彼でした。
まず、病院に連れて行ってくれました。カウンセラーさんとも繋いでくれました。そしてなにより、私のそばにいてくれました。

学生と社会人で同棲となると、え?大丈夫なの?と思う方も多いと思うのですが、断言します。

あれがなかったら私は死んでた。

夜遅くバイトから帰ってきて、やること済ませて、少しの自分の時間のためにコーヒーを淹れて好きクッキーあけて、朝焼けを見ながら私は思います。「よっしゃ!死ぬか!」どう?名案では?!と云った顔で。

私達は遠距離恋愛をしていました。紆余曲折ありまして、彼と住むことになった私には感じたことのない安心感が毎日ありました。

社会人と学生の同棲なので彼が多く生活費を負担してくれます。おかげでバイトをやめることができました。やめる日は延びに延びて3ヶ月は延びましたがやっと開放されました。

はーーーーーーと息をつくと、重かったとは思っていなかったけど、おろしてみると致死量にもなるくらいのものが重くのしかかっていました。


病院に行きだし、カウンセリングも、真剣に受けていく中では私は日々発見をします。

その仕事量をさせる会社はブラックだ、とか、過去のこととか、父や母についての考えとか。私自身の考えだとかね。


「何がつらいですか?」
「特にないですかね。辛いもの永遠に食べされられるとかはちょっと」
「何がストレスですか?」
「ストレス?ないですよ?学校もバイトも楽しいし、充実しています」

最初はこんな受け答えでした。

めちゃくちゃに死にたい夜が耐えられないことと、なんでもないことなのに嬉しくて夜中でも外に飛びたしたくなるようなことがある、ということからかな、と今は思いますが、双極性障害と診断されました。


よく理解できないまま、私はカウンセラーさんに聞きました。

「今後の人生やばいですか?」
「いや、大丈夫。それは大丈夫よ。でも少し人生スローペースにしてみるのもいいかもね。ここらで、そうしてみようよって、天からの贈り物だとしたら、どう?」
「スローペース…」

考えたこともありませんでした。
私確かに急ぎすぎてたかも…?

彼はのんびりしているくせに芯が強い人です。
彼のようなのんびりとした生き方ができる人もいるのになんで私はこうも焦っているのだ?と気付きました。

そこからは、好きなことだけして生活しました。大学だけは単位を落とさないようにはしていましたが、それだけを最低限に、家事もしないし、勉強もしないし、家で彼の帰りを待つだけの日もありました。


鬱を経験して1つアドバイスなんですが、

まじで寝ろ!!!!!!!

これだけです。

私はまだ眠剤がいりますが、寝れるようになってからはもう世界が違います。

私が寝てる、と思ってた睡眠はまじで全然寝てないし、むしろあれは起きてるってやつだし、とわかります。

布団かぶって目をつむっていても寝た感じしないな〜ってあるじゃないですか?あれ寝てませんよ!!

本気で寝る!!薬飲んででも熟睡を手に入れる!!!睡眠はすごいぞ!!!!!

まあ、こんな感じで、ここから心が回復していきました。


そして、ここからです。
ここから私に自我が芽生えだしました。

人生を振り返り、私を振り返り、好きなことってなんだっけ?いやなことってなんだっけ?

たぶんはじめてゆっくり自分と向き合い出しました。

ストレスの原因が本当にわからなかったんです。なにがストレスなのか。

それは私が自分の感情の言語化を怠っていたから。

私はこれがすき!私はこれがきらい!

そうはっきり自分自身の中でそこが構築できていませんでした。


いい子のフリしてたから、家事だって料理だってできてたし、と思っていました。でもよくよく考えると好きではないなって。

好きとできるはちがいます。

好きだけどできない。好きじゃないけどできる。

ここをしっかりと区別する必要があります。

私にとって料理と人付き合いは好きじゃないけどできる、の範囲のものだと気付きました。


こうやって少しずつ少しずつ、自己分析を積み重ねていったのです。

ある日、私は彼に言いました。

「なんか、最近自分が自分であるような気がする。私は私だってなんだかよくわかる。くっきりと私が見える気がする」

すると彼は

「自我が芽生えたんじゃね?」


それ赤ちゃんのやつやん〜〜!と笑っていたのですが、よく聞くと、そう!それ!これが自我か!と納得がいきました。

私は自我が芽生えた!!!!!!



なんだか嬉しくって、嬉しくって、、、

するっとゆで卵の殻がむけたような、からっと天ぷらがあがったような、コーヒーの匂いで目が覚める晴れた日の朝のような

そんな感じでした。



母に聞いてみると、
「それを自我というのなら、お母さんの自我が芽生えたのはお父さんと離婚してからかもね〜それまではお母さんの自我なんてなかった気がする」と。

母は、自我が芽生えたのが少し遅かったのかもしれません。それはすごくツラく苦しい期間だったのかもしれません。私の嵐の期間のように。

誰にどのきっかけでいつ自我が芽生えるのかは、誰にもわかりません。

もし、自我が芽生える前で、ツラく苦しい嵐の時期を過ごしている人がいたら、少し参考にしてほしいと、思ってこのnoteを書きました。

自我、芽生えてますか?

できる事と好きなこと
できない事と嫌いなこと

まずはこれからやってみてください。
自分の中の軸が見えてくるかもしれません。

そこから自分をどうするかはあなた次第ですが、知らなかったあなた自身をあなたが見つけてあげることを切に願っています。







(実はこのあと新転地で彼が新しい仕事に四苦八苦し、ADHDと診断を受けるのですが、その話はまた今度)
(ここからの自己受容、自己肯定感についてもnoteを書いていますので、ぜひ)

彼の愛情表現と私の自己肯定感について|イマニシ #note https://note.mu/rerere97/n/n571fda6b5d5d

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?