『瞑想の末にシヴァ神を見るのか?』 ヨガ対談#3
この記事は古典ヨガティーチャーREOMA主催
パーソナルヨガプログラム
「YOGIC JOURNEY OF LIFE」内で行われたヨガ哲学対談を元に作成された記事になります。
この対談ではテーマに対して答えを求めているのではなく、アウトプットをすることで学びを深めるために行われています。
その為、記事の内容には学術的、個人的解釈の違いにより賛否両論ある判断を招いてしまう事がありますが、どうかその点はご了承ください。
また、何かご指摘・アドバイス等ありましたらInstagram・Twitter等を経由してDMをよろしくお願いします。
こんにちは古典ヨガ講師をしておりますREOMAです。
先日、僕が主催のパーソナルヨガクラス内のヨガ哲学講座でこんな質問がありました。
『瞑想の境地に入ると光やシヴァ神を見る事があるのでしょうか?』
今回はこの質問に対して僕が答えた見解をこの記事でシェアさせていただきます。
『瞑想の境地に入ると光やシヴァ神を見る事があるのか?』
瞑想の境地に入ると光やシヴァ神を見る事があるのでしょうか?
結論から言うと、瞑想の中で感じることは人それぞれだと思います。
僕自身も瞑想体験の中で身体が石像のように硬くなったり、時間感覚がなくなっていたりと様々な経験があります。
けれども、ここで注意をしたいのが、光やシヴァ神を求めて瞑想を行うことは本来の瞑想とは異なった結果を招いてしまう事があるということです。
何かを求めて瞑想をするのは心を働かせることになる。
なぜ、光やシヴァ神を求めて瞑想を行うことが本来の瞑想とは異なった結果を招いてしまうのか?
それは、何かを見たい、感じてみたいと思うその感情は
心を働かせてしまうからです。
さらに瞑想は普段散漫な意識のエネルギーを一点に集中させるので、間違った方向にその膨大なエネルギーを注がれることによって心の中に偏った思想や、”コブ”のような固定概念を作り上げてしまう可能性があります。
ではなぜ光やシヴァ神を瞑想の末で見る人たちがいるのでしょうか?
瞑想によって潜在意識を呼び起こす事ができる。
瞑想体験の中で何かヴィションを見るというのは、
瞑想によって心の働きが静まり、今まで潜在意識の中で眠っていた記憶や感覚が浮かび上がることによって現れます。
なので人によっては天啓のような閃きを受け取ったり、記憶の片隅に残っている美しい景色を瞑想の中で体感する事があります。
光やシヴァ神を見る人たちも同じく潜在意識の中から顕在化したものを体感しているのでしょう。
まとめ
瞑想を行う上で体験することは人それぞれです。
〇〇を見たい、〇〇を体験したい、といった気持ちで瞑想を行うことは心を働かせることであり、本来の瞑想とは違った方向で結果を招くことになります。
瞑想に必要なことは
ヨーガ チッタ ブリッティ ニローダ
心の働きを鎮めることであり、それこそがヨガということですね。
小さな疑問から生まれたこの学び。
ここにシェアさせていただきます。
REOMA
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パーソナルヨガ『YOGIC JORNEY OF LIFE』ホスト
ー 古典ヨガ講師 REOMA ー
古典ヨガを学び、ヨガの真髄を伝えております。
Instagram : yogi_reoma_japan
受講者
ー Yuka ー
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