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ヘビ+カニ

蟹歩きで読むこと  ちょうど蟹歩きの格好で新宿駅八時三六分発総武線津田沼行きに潜り込みやっとのことでつり革に手を伸ばすと、傾けた視界の端に《うま味ノリノリ♪ 旬の北陸へ急ガニば!》などというナンセンスな広告が映った。赤く染まった三匹の紅蟹が腕を持ち上げて改札を躍り出る様子が、滑稽というよりどこかグロテスクだ。ここでスマートフォンを取り出そうとした腕を文庫本へと持ち替えたのは敬愛するサークルの先輩が金沢へ文学賞の授賞式に行っているとつぶやいていたことを思い出したからだった

    • 本を読む日々眠る日々──戦争(から読む)

      戦争(から読む) 逆らう・書く  さる4月11日のこと、新学期の始まる前日だったが、ラッシュ時の山手線でその日古本屋で手に入れたこの往復書簡を読みながら私が聞いていたのは、新大久保から乗ってきた身なりの若々しい男女二人組の会話。その声──男はとくに背が高く、声は頭上に降ってくる──が言うのは、だいたい次のようなことだった。 ──おれ、昨日、カミカゼ特攻隊の手記みたいなの読んでたんだけど、あ、カミカゼ特攻隊って知ってる? あの、アメリカの基地につっこんでって死ぬやつ。──知

      • 日記(9/5-6)、合宿とか

         保坂和志の『プレーンソング』を読んでいたんだけど、ちょうど海水浴の場面が出てきた。偶然、というか。ああ、鉤括弧にくくられた四人の会話がつづいて、だれが話してるのかわからなくなる、やつだっけ。みたいな話を帰りの電車から降りたあとに話した。  『プレーンソング』はフィクションなんだけど、もっと僕たちに近いところにある出来事を描いてるような気がする。会話とかもそう。保坂は作中で映画を撮る青年に語らせていて、「ぼくは物語っていうのが覚えられないんですよ。粗筋とか──」。あんまり事件

        • 本を聴く夏、読めぬ夏

          日々の暮らしの、無用のよろめき──『彼女のいる背表紙』『戦争ノート』  愛読しているといってもいい古井由吉、金井美恵子、須賀敦子にしても、また最近ハマっているアントニオ・タブッキやクロード・シモンにしても、なんとはなしに読んだトーマス・ベルンハルトにしても、ゆく先々でその名前に行き当たるので、わたしが彼の足跡をたどっているというより、偶然の導きによって彼と再会しているとさえ思われるこの恩師──文字通りの意味でも、よき読者という意味でも──のエッセイ集を読んでいると、やはり運

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        • 詩とか
          8本

        記事

          洪水の文学にはどのようなものがあるか

          0.はじめに──真珠採りの思考 いきなりの宣伝で恐縮だが、2023/5/21(日)開催の東京文フリでは論稿とか短篇小説とかをいっぱい寄稿している。すごく大変だった。なかでも『性愛ノート』では性愛をテーマにした小説を求められ、これがまたすごく大変だった。いろいろ考えた結果、テーマをもうひとつ置いたら書きやすくなるんじゃないかと思い至って選ばれたのが、「災害」だった。  災害──そのなかでもあえて洪水を選び取ることになったのは、九歳のころにテレビ越しに目の当たりにした津波のイメ

          洪水の文学にはどのようなものがあるか

          詩(ここちのよい睡眠)

          呼気 夏の夜に寝覚めしたときに ふと窓の外に痕跡もうしなって 吹きだまっていた 明かりを消し 樹木のざわめきが耳の奥で軽くなり あえかな感触をさがす なにかが脈打っている気がする 幼いわたしは眠りの内を白ませ 見つからないように 溶け入りたいとおもう 「本質的なものはつねに失われる」 そう書き写していた人 命を言葉に変えてしまった人 おしだまっている人 言葉は イメージ あるいは 先触れ でしかない というのに 溶けだしていったものに触れられない わたしは そこに居

          詩(ここちのよい睡眠)

          犬を読む日々飼わぬ日々

          大江健三郎の「義認」と死──『懐かしい年への手紙』  大江健三郎が亡くなったのは私が二十歳を迎えて二週間が経ったころだった。これをきっかけにして私は彼の著作を読みはじめることになるのだが、なぜいままで温めていたのか考えてみると、どうやら「大江」をある種のイニシエーションとして考えていたらしいのだ。  あまり信じては貰えないものの、私が本当の意味で読書をはじめたのは大学に入ってからで、なおかつ一年生の頃は哲学書のたぐいばかりを読んでいたから、いわゆる大文字の「文学」に接するよ

          犬を読む日々飼わぬ日々

          本を読む日々読まぬ日々

          いないこと、いなかったこと──『月と篝火』  気がついたら春休みも一ヶ月ほど過ぎ去っていて、ほとんど小説を読めていないことに気がついた。二月は「笑い」の原稿にかかりきりだった。原稿に際してエーコとボルヘスは読んでいたが、それでも自由な読書とはいえなかった。レポート期間が一ヶ月のびたような感じだ。しかも、まだシナリオ、論考、小説が一本ずつ残っている。引き受けたことを後悔はしていない。ただ、精神的な圧迫感ゆえに小説を読めないのも癪なので、いくらあるかもわからない積読をくずしなが

          本を読む日々読まぬ日々

          詩(肉体的なもの)

          ひのいり ぼくら姉弟はずっと 柚子の 木に群がる椋鳥を眺めていた そして考える あのどろりと 熟れきった肉に沈む種こそは かつて姉が産みつけた 卵だ 円形に散開し整列し食われる クリイム色の卵から 微かに 甲高い幼児のような笑い声が 聞こえてくる 姉は横でひっ きりなしに息を吸いこんでい る いっこうに膨れない影の ような身体は蛙が失神した時 のようにふるる と揺れぼく は吐精する たえまない倦怠 と共に歩き始めるとどこから か野焼きの匂いが流れてきた 川辺だろうか 地平

          詩(肉体的なもの)

          療養日記2

          一月六日  今日の一日で川上未映子『夏物語』を読み終えた。正確には聴き終えた。いまだ熱と鼻炎の症状がひどく、横になることしかできないのでAudibleを聴いていたのだった。  昨年読んだ上田岳弘のなにかの短篇で、登場人物がカフカの『城』を聴いていた。文庫にして600ページほどのその長篇は朗読するのも大変だろうなと変に感動したのを覚えている。根気よく聴き続けるのも大変だろう。そういえば、「声と文学」を特集した文學界の2022年9月号に載っていた上田の「声」という短篇も、Aud

          療養日記2

          療養日記

          一月四日  ここ数年流行りの感染症に罹ってしまったので、今日は一日寝ていた。ぞっとする寒気が足先から脳天まで均質に張りつめているのに、頭のなかには灼けるような熱い痛みが篭っていて、うずくまったまま身動きを取ることすらできなかった。流れ出した汗が背中のあたりに溜まり、また広がり、気味の悪い悪寒を呼び寄せる。試みに肌に触れてみると信じられない熱を帯びていたが、何重にも着込んだ服を一枚たりと脱ぐことはできない。熱さと寒さとのあいだの一種の矛盾がこの身体の輪郭をふちどっているのだと

          療養日記

          詩を/と読む1(平出隆)

          「(詩はつねに先触れである)」という断言めいたつぶやきを目にしてからというものの、こうして生きているうちにも見えないだけで、書いた詩や読んだ詩がなにかを暗示しているのではないかという気がしてきた。これはアガンベンというイタリア人の『哲学とはなにか』なる本にあった一節だが、そこで彼は哲学を後奏曲、詩を前奏曲になぞらえている。わたしは頭の固い人間なので、こうした区別を目にするとすぐ「代補」などという息の詰まるジャーゴンを連想してしまう。ただ、そこに秘められた哲学的な含意は別と

          詩を/と読む1(平出隆)

          詩(土地・写真・忘却)

          水写真 三匹の干からびたイヌの死骸が鉄条網に吊り下げられている 私は 薄目を開いて、 光なのか、霧なのか、白い 「右部分はかすれているんだ」 そうして、背後から友人の声が聞こえた 「ポンペイの悲劇詩人の家に行ったとき、イヌを象った床絵を見た そこにはかすれた文字で“CAVE CANEM”とあった」 中央には腕だけが欠けた人骨がある 三日前に要介護認定を受けた母親のものだ、と 思った ここに生きているものはなにもなく 足元で水音が反響している 川辺だろうか 地平線にうす

          詩(土地・写真・忘却)

          12/14 歩くことを歩く

           最近寒くなってきてるから、と詩に書いてからというもの、めっきり冬めいてきたような気がする。詩を、「詩の世界」に閉じこもって描いてしまう私にとってそれは限りなく生の実感に近いものだった。年の瀬も押し詰まり、厚手のコートとマフラーとが欠かせない。今日は風が強かったから耳のあたりが凍りつくことになった。  教室や電車のなかはむしろ暑い。外を歩いているときこそ輪郭が縁どられるくらいの寒さを感じる。寒いくらいの方が思考も冴えてきて、実際今日の帰り道、「歩くこと」についてくだくだ考えて

          12/14 歩くことを歩く

          詩(水のイメージ)

          水洞 そうして雨が止んだ。 私はくしゃみをした。 最近さむくなってきてるから、 苔のなかにも風が通る。 私は黄色い辻に立ち尽くして、 しかし同時に 長いあいだ雲を見下ろしている。 「水瓶に水を張っておいてね」 姉の声はいつもどこか遠くから聞こえてくる。 ここには水穴が/いくつもの風穴を 音を立てず、 視線だけ投げかける。(緑の印象──) 「まだ夕ぐれだから」 完熟した長実雛芥子の実を食む、 「まだ弟だから」 口に黒い種は弾け、 露ぬれた苦い苔の味がした。 私は、 「鏡

          詩(水のイメージ)

          詩(否定的なもの)

          多重翻訳 それは見えるだけです。 それらは白い雲のように上昇します。 私は自分自身を覚えています。 考えてみれば 私たちは暗闇を調べて、 これ以上の暗闇を見つけようとし、 まずは深い森へ。 緑の花が道に落ちる。立ち去る。 ねじれた形状が、 まさに女性の体を連想させ 彼は草に入ります。 死んだ友人の声、静かな声が 声に上がり、彼の行った方向を見ようとします。 暗闇から 暗闇の中で生きるために 道路を渡って、口と背中で草を刈ります。 キリスト教の時代、荒涼とした場所と

          詩(否定的なもの)