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本を聴く夏、読めぬ夏

日々の暮らしの、無用のよろめき──『彼女のいる背表紙』『戦争ノート』

 愛読しているといってもいい古井由吉、金井美恵子、須賀敦子にしても、また最近ハマっているアントニオ・タブッキやクロード・シモンにしても、なんとはなしに読んだトーマス・ベルンハルトにしても、ゆく先々でその名前に行き当たるので、わたしが彼の足跡をたどっているというより、偶然の導きによって彼と再会しているとさえ思われるこの恩師──文字通りの意味でも、よき読者という意味でも──のエッセイ集を読んでいると、やはり運命としか考えられない出会いがあったのだった。むろん、なんてことはない日常の出来事を運命に仕立て上げてしまうのが彼のエッセイのにくい点であることは疑いようがなく、この文章を書いているわたしも影響を受けていないと言い切ることはできないのだが、それがあまりに偶然としては出来すぎていたので、フランソワーズ・サガンについて語る以下の一節をもわたしと彼との関係を指しているのではないか、と思いなしてしまった。

 背表紙のむこうに、彼女がいる。逆に言えば、そこにしかいない。すぐ近くなのに遠く、遠いのにひどく身近な友人のように。花布のあたりにそっと指をかけて書棚からその本を引き抜き、頁を開けばいつでも会えるかと言うとじつはそうでもなくて、すんなり居場所がわかることもあれば、完全な思いちがいをしていて、この作品の、あの場面に出てきたはずだといくら読み進めても、淡い影すら見つからないことだって少なくない。しかし、ほんとうはそれでいいのである。背表紙のむこうに大切な女性がいると考えただけで、日々の暮らしの、無用のよろめきが正されるような気がするからだ。

堀江敏幸『彼女のいる背表紙』

 ここしばらく、なんとか保ってきた生活の支柱のようなものがすっかり喪われてしまって、また、言葉のもつ力──仮にそれがあるとして──を微塵も信じられなくなってしまって、わたしはどうしたらいいのか、同じ言葉を話す人が一人ひとりと立ち去っていくのを見送るしかないのか、と観想のうちにとじこもりながら本を読むことさえままならず、ただ横たわってオーディオブックという背表紙のない本を聴きつづけるばかりだった。やがて夏がくると、そのまま白い空中に放り出されてしまったような気がして、しかし手を伸ばせばそこには本があり、背表紙があり、その先になにか気配を感じ、わたしはつるつるしていたり、やわらかい、またはざらりと引っかかるような背表紙の数々を撫でとりながら、深く息を吐いては、まるで「日々の暮らしの、無用のよろめき」を正すかのように、機会がなくて読めていなかった本、折に触れて読み返したいと思っていた本に向かいはじめた。
 堀江敏幸の『彼女のいる背表紙』も読みさしにしていた本のひとつだ。「クロワッサン」誌に連載されていた本作は、作家にしろ、登場人物にしろ、書物の向こうにいる《女性たち》にまつわる思い出を描いた小品からなる。上田敏、長谷川四郎、小沼丹、ヴァレリー・ラルボーなど彼の著作にはおなじみの人々から、モンテーニュ、ヴァージニア・ウルフ、ジュリアン・グラックまで──これらは偶然にもついこのあいだ友人が読んでいたので驚いたのだが──、個人的な体験から書物の核心に迫る筆致は読んでいて心地がいい。
 読書案内の書と言ってもいい。このまえ別の友人と話していて、どのように本を知り、どんなふうに読むのか、という話になった。そこで思ったのは、わたしはどこか地図を埋めるようにして読んでいる、ということだった。図書館や書店、古書店で目にする無数の背表紙や参考文献からしだいに作り上げられるマインド・マップのようないまだ茫漠とした知の海図に、線を引いていく、それが読書だとすれば、ただ情報を補完するだけではなくて、生活の実感に近づけたり、背表紙の向こうの人影に思いをはせる瞬間も読書のひとつであるはずだ。
 「文学研究」や「文芸批評」の真似ごとをしていると、忘れがちだった。「作者」は死んだといっても、書物はだれかの生の痕跡であり、それを読むことでまたわたしは生活を書き残していく(とはいえ、そんなことはすでに書物のなかで言いつくされている。重要なのは、なにを書き継ぐかだ)。あるいはそこから小説が生まれるかもしれないし、それがいくら「偶然にしては出来すぎて」いたとして、なおも「物語」ではないと言い切るところにエッセイの魅力があるのだとも思う。だからわたしは、〈生〉と〈フィクション〉の合間をくぐり抜けるようなテクストにどうしても惹きつけられる。
 フランスの作家、マグリット・デュラスの『戦争ノート』もそのひとつだ。ここに収められた四つのノートには、後に出版される小説のみならず、公開が断念された小説の草稿、そして自伝的な断片や随想とが渾然一体として書き継がれている。どこからどこまでが作品の「草稿」なのか分からず、「ある原稿で見捨てられた断片が次の原稿でまた取り上げられ、新たな構成に組み込まれている」。たとえば、「ベージュ色のノート」と名付けられたノートには以下のようにはじまる断片がある。

 私は目を覚ましても、すぐに時計を見たりはしなかった。目は閉じたままでいた。だが窓が開かれていて、誰かが通りづたいにやって来る音を聞いた。足ばやの規則正しい歩調で歩いてくる人。そして、その誰かが通りの端まで行くと、別の誰かがまた通りにはいってくる。最初の人の足音が消えてゆくあいだ、二番目の人の足音が私の窓の前を通過するまで大きくなってくる。そして、最初の人が通りを離れて一人きりとなったがらんとした通りで、二番目の足音が強い響きを起こしながら浮きあがってきた。そこで私は、もう朝なのだな、みんながもう仕事に出かけているのだ、と納得した。

マグリット・デュラス『戦争ノート』田中倫郎訳

 これは、のちに「ドダン夫人」と名付けられる小説の草稿になる。デュラスはこのころ──一九四七年ごろとされている──物語の舞台となるサン=ジェルマン=デ=プレ地区のアパルトマンに住んでいたから、実生活の体験をもとに描かれたのだろう。きわめて内省的で、「プルースト的」といってもいいような描写がつづく。だが、そう思ってしまうのはわたしが「ドダン夫人」を読んだ後だからかもしれない。「ドダン夫人」はつぎのようにはじまっていた。

 毎朝、わたしたちの門番であるドダン夫人は、彼女のごみ桶を外へ出す。彼女はそれを、わたしたちの建物の小さな中庭から通りまでありったけのちからで、いささかの手ごころも加えないで──それどころか反対にベッドにいるわたしたちをとびあがらせ、毎朝の彼女自身の睡眠が、やはりごみ桶のために中断されるのと同様、わたしたちの睡眠も中断されるようにという期待をもって引きずってゆく。

マグリット・デュラス「ドダン夫人」『木立の中の日々』平岡篤頼訳

 「ドダン夫人」は、パリの集合住宅の管理人のおばさんに焦点を当てた掌篇だ。彼女は管理業務のなかで、とりわけ共用のごみ桶を表に出す作業を忌み嫌い、いつも住民たちがごみを溜め込むことでごみ桶の嵩が増えてしまうことをいやみったらしく愚痴っている。デュラスが四三年から四九年にかけてフランス共産党に入党していたことを考えれば、これは階級闘争のテクストとしても読める。つまり、「労働疎外」からもさらに疎外されている(ごみは生産物ではないため)夫人は、均質化・平滑化のすすむ都市空間において見えないものとされていくごみ﹅﹅とそれにまつわる労働を、ブルジョアジーたる居住者に対してたえず聴こえるものにしているという点で、彼らの目を覚ましている﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅のだ。
 二つのテクストを読み比べてみると、完成稿では「私たち」という人称が使われていることが目につく(松浦理英子『最愛の子ども』も思い出される)。なるほど『戦争ノート』のなかで「私を巻き添えにしないこと」、「の代わりに私たち﹅﹅﹅」というメモ書きが残されているように、「ドダン夫人」では語り手が「私」を暴露することがない、というのが特徴的だ。語り手は自身が間借り人のひとりであるという以外の情報をほとんど開示することなく、夫人の生活を窃視的に語りつづける。その性別さえ、たったひとつの過去分詞"tenue"以外、手がかりとなる情報が与えられることはない。
 このように分析してしまうと退屈にも思えるが、重要なのは、この「ベージュ色のノート」に自伝とフィクションの錯綜──『ラ・マン』で達成される──という彼女の武器が萌芽としてあらわれている、あるいは練習されている、ということだろう。有り体に言えば、「日記」と「小説」の中間、「わたし」と「わたしたち」の中間が描かれているという点がおもしろい。
 そんなことを考えて数日後のことだったが、わたしは以下の一節に遭遇した。

片仮名で表記したときの、重々しくて、しかも間の抜けた擬音を思わせるその名の響きがすでに忘れがたいのだが、原語の綴りも《頭を軽く揺するドデイネ》という動詞や、ホワイトソースにローストチキンの肉汁を加えたドディンヌソースの近くにあって、日仏双方の印象がめずらしく一致している貴重な事例だ。

堀江敏幸『彼女のいる背表紙』

 堀江のいう「彼女」とは、ドダン夫人のことでもあった、と気づいたとき、「頭が軽く揺す」られるような感覚を覚えた。現実は、ときに「小説的」になってしまう。わたしは、わたしたちは、日々そのあいだを揺れながら生きていて、よろめいてしまうことさえあるかもしれない。それでも、ほんとうはそれでいいのである。背表紙のむこうに大切な人がいると考えただけで、日々の暮らしの、無用のよろめきが正されるような気がするからだ。

Blue/note──『オラクル・ナイト』『ムーン・パレス』

 若干すり切れた表紙をおそるおそるめくり、不自然に整列した文字の流れに目を這わす。見知らぬだれかの愛の告白を盗み聞いてしまったときほどの後ろめたさを感じながら息を止め、文字と文字とのあいだにひそむ呼吸を感じ取ろうとする。ひとのノートを盗み見るという行為は、宛先のないラブレター(こう表現すると、伊藤潤一郎『「誰でもよいあなた」へ 投壜通信』を思い出す)を読んでいるような気持ちにさせる。それはもちろん、わたしがこの五月に「◯◯ノート」の名を冠した桃色の表紙の同人誌に寄稿したからではなく、はたまた一行目にたしか「◯先生 細い」と書き残された友人の授業用ノートを覗き見てしまったからでもなく、あるいはそのすべてであったかもしれないが、「ノート」という形態が言葉のある本質的な部分──言葉を「伝達」するという行為自体、伝達の不可能性によって支えられている──にふれているからではないだろうか。
 ひとくちに「ノート」といってもいろいろある。先にもあげたデュラスの『戦争ノート』や、アーレントの『思索日記』、アドルノの『ミニマ・モラリア』、大江の『文学ノート』など、活字化されている魅力的な「ノート」のたぐいはあげだしたらきりがない。それらについてはまた別の機会に譲るとして、いまは小説に出てくるノートについて語ろうと思う。
 アメリカの作家、ポール・オースターによって書かれた美しい藍色の表紙の本、『オラクル・ナイト』には一冊の青いノートが登場する。物語の語り手となる小説家はある日、中国系移民(余談だが『ムーン・パレス』のキティや、中華料理屋の磁場しかり、オースターにとって中国は重要なモチーフだと思う)の経営する「ペーパー・パレス」という文房具屋でポルトガル製のノートを購入する。小説家の男はながらく病に伏しており、奇跡的に生還した後も多額を借金を抱えたまま一文字も書けずにいた。だが、その青いノートの霊感に突き動かされたかのように、物語は紡がれだす。
 ノートに書かれたことと物語内の「現実」が複雑に絡み合いながら寄せては返し、そして決定的な結末へと進んでいく本作(煮えきらない表現だが、許してほしい)には、印象的な台詞がある。

「思いは現実なんだ」とジョンは言った。「言葉は現実なんだ。人間に属すものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事を起こらせることなのかもしれない」
 トラウズとそんな会話を交わした三年後に、私は青いノートを引き裂いて、ブルックリン、キャロル・ガーデンズのサード・プレイスとコート・ストリートの角のゴミバケツに捨てた。

ポール・オースター『オラクル・ナイト』柴田元幸訳

 登場人物の声帯を借りて、オースターは自分がほんとうに思っていることを書こうとしているのかもしれない。さいきんやっとAudibleでMoon Palace の朗読を聞き終えたのだが、まず突然降り掛かってくる偶然を描き、あとでそれに必然性をもたせるような背景を開示する書き方は、メタフィクションと同様、オースターの作劇によくもちいられている。しかし、これはミステリー的な情報量の操作ではけっしてなく、書いたことが「現実」になってしまう、あるいはなってしまうのではないか、という恐れを深く反映したものであるだろう。
 まえに『彼女のいる背表紙』にあった偶然のめぐり合わせについて書いたが、「読むこと」や「書くこと」がすでに現実であるのは、テクストがつねに紙面をはみだして広がっていくからだ(たとえば背表紙へと)。読むことや書くことによって、わたしたちはテクストを不断に生成させていき、それはけっして終わることがない。現実はテクストに、テクストは現実に伏流し、ときに不意打ちをかけて転覆させてしまうので、はたして現実のなかにテクストがあるのか、テクストのなかに現実があるのかわからなくなってしまう。
 これは「ノート」──わたしがいま書いているのも「note」だ──にも似ている。ノートはつねに生成途中であり、そのなかには無数の実現されなかった未来が隠されている。思うに、それらはすでに無数の「愛」の行為であり、同時にわたし﹅﹅﹅あなた﹅﹅﹅がつねに行き違う、「愛」の不可能性でもあったのだ。

読むことの灰色の自伝──『路面電車』『植物園』

 いつまでたってもうすぼんやりした視界が晴れず、こめかみを押さえうずくまるしかなかったぼくの上をくすぐるように微風が過ぎていった。めざまし時計ももう何度も鳴りつづけているというのに止める気にもならなかったのだが、喉もとから苦いような空っぽの感触が湧き上がってくるのを感じるので腕をのばすと、ごわごわしたベッドシーツにまだかすかなぬくもりが残されていることに気が付いた。いまそこにさっきまでだれかがいたような気もして、しかしそんなことなどどうでもいいから身体を起こすと、なにか歯音のような音を立てて背骨が鳴った。

……闇の中で東から、青空と雲海とをへだてる薄桃色の線がしだいに見えはじめる。その幅は増し、また長くなっては同時に色も変え、一瞬炎のように赤くなったかと思うと、つぎは肉桂色へと変わり、主翼の前縁とエンジンの丸い開口部に反射している。すべては灰色だった。光はいまだ凝結した雲の層に達しておらず、見渡すかぎり穴一つ、亀裂一つない、単調でまっすぐな畝の広がる機体の下をいつのまにか滑り落ちてゆくので、あたかもガス惑星、死んだ星、時間の外部、そして無人の凍てついた場所の上に静止した、金属質で無重力の物体にいるかにも思われる……

Claude Simon, Le Jardin des Plantes, Paris, Minuit, 1997.

 こうして読むことと書くことの困難に挟まれながら、昨日のつづきから訳していると、眠りに浸って動かなくなっていた身体の感覚も取り戻されてきて、どうやらお腹が空いているみたいね、とだれかが言う。でも、ここにはなんにもないよ、とぼくは言う。はっきり言って、悠長に小説を読んでいるような気分でもない。キッチンの窓から外を覗くと、相も変わらぬ薄茶色の壁が広がっているばかりで、雨によってその色は少しだけ濃く滲んでいるようだったが、目を凝らしてみてもなんの像も結ばないのですごいいやな感じがする。
 長い夜が明けて、かつてぼくが語ったことには、ぼくらはぼくらの生を書くことによって賭け、また賭けることによって書く、のだという。ほんとうはなにも明示的には言いたくないのだけど、春先のある小説家の死からなかば意識的に、ぼくはテクストに消しがたく刻まれた作者の生の痕跡をおもうようになった。クロード・シモンがその生を閉じる前に著した『路面電車』や『植物園』などの小説を読むにつけても、人生が小説を生むのではなく、むしろ小説という企てやその捉えがたい引力が、人生を決定づけてしまうような気がした。〈生〉と〈フィクション〉や〈読むこと〉と〈書くこと〉の決定不可能な閾で波間に浮かぶ影のように浮かんではたちまち消え去ってしまうテクストの印象は、たえず白と黒のあいだのスペクトルを推移するシモンの灰色の小説世界にもふさわしいのだと思う。場合によってはそうかもね、とだれかは言った。

……いま見渡すかぎり戦車の列が五月の陽光を受け長く黄色い噴煙をあげながらつき進むのはところどころ森に覆われまた湖水を散らしたゆるやかな起伏で、微風の広がってゆく村の名(セルフォンテーヌ、シヴリー、クレールフェイト、エッペ・ソバージュ)さえその響きから水の動きや涼しさや木陰を連想させ、戦争や死を否定するかのようであったが、そこここの野原(「一定の間隔でわが軍の大砲が敵の領土のはるか内側にある地点へ向け砲弾を撃ち込んだにもかかわらず敵からは何の音もしなかった」)に残された破片に当たった数頭の牛の死体は、どことなく猥雑な雰囲気を漂わせながらガスに膨張した胃袋と腫れ上がったピンク色の乳房、そして最後の無言の抗議の身振りとして矛のように宙に突き立てられた四肢を見せびらかすかのように仰向けに横たわっていた……

Ibid.

 そう、場合によっては。場合によってはぼくはいま生きているこの〈生〉の一端をつかんで言葉に換えることができるかもしれないし、それをだれにも読ませず抱えておくこともできる。あるいはまた言葉に翻訳することによってしか〈生〉など捉えられず、たえず摩耗してゆく〈生〉の実相をつつみこむような言葉を、未来のなかに求めているのだろうか。だとすれば、翻訳とは(セルフォンテーヌ、シヴリー、クレールフェイト、エッペ・ソバージュのような)固有名詞を──固有の〈生〉を──置き換えるような営みであり、また不可能だからこそ成り立つのだろう。
 そしていま、小説を書く部屋のなかには、朝めざめるぼくとか、爪を切るぼくとか、訳しわけるぼくとか、ピザを食べるぼくとか、だれかと話すぼくとか、ゴミ袋をむすぶぼくとか、『神を見た犬』を読むぼくとかが複数的に存在していて、おのおののぼくが、おのおのの仕方で生を断念してゆく姿を見ているぼくもいる。場合によっては、ぼくは忘れないでいてほしいと思う。やがてだれかが行ってしまったあとで、やはりお腹は空いていたのだが、テクストに編み込まれたぼくはぼくの生を包括してしまう壮大な計画について思いを馳せている。



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