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犬を読む日々飼わぬ日々

大江健三郎の「義認」と死──『懐かしい年への手紙』

 大江健三郎が亡くなったのは私が二十歳を迎えて二週間が経ったころだった。これをきっかけにして私は彼の著作を読みはじめることになるのだが、なぜいままで温めていたのか考えてみると、どうやら「大江」をある種のイニシエーションとして考えていたらしいのだ。
 あまり信じては貰えないものの、私が本当の意味で読書をはじめたのは大学に入ってからで、なおかつ一年生の頃は哲学書のたぐいばかりを読んでいたから、いわゆる大文字の「文学」に接するようになったのは一年の冬ごろ、文芸の名を冠する専攻を選び、演習で漱石を読み直しはじめた時期になる。はさまれていたレシートから窺えるのは、ちょうどその頃に友人の強い勧めで『懐かしい年への手紙』を購入し、それから一年以上も約束(のような感情)を先延ばしにしていたということだ。
 むろん、そのあいだにいくつか短篇を読み、長篇を二つ読みさしにしているから「はじめての大江」というわけではない。だが、心情としては『懐かしい年への手紙』がはじめてという感じがする。そしてわずか二日で読みおえてみると、もしも私がこの先も文芸となにかしら関係をもつことになるならば、ここを出発点として記憶してもよい、という気さえしてくるのだ。それはその作品がダンテの『神曲』をモチーフに「自己の死と再生の物語」を描きえているからだともいえよう。
 振り返ってみると私と『神曲』との関係はなかなかに深いものがある。ひどい音痴なのにもかかわらず、私の中学二年の一時期のあだ名が“かみきょく”という滑稽なものであったのは、授業中に寿岳文章訳の黒いハードカバーの『神曲』──身体の小さかった私にとってそれは内容的にも物理的にも“重”く“大”きいものだった──を机の下に隠し読み耽っていたところを、意地の悪い現代文の教師に吊し上げられたからだ。「中二病」的好奇心を発端に読みはじめたその西洋古典にはからずも強いインパクトを受けた私は、のちに第二外国語としてイタリア語を選択することになる。
 けれどその選択の理由も、はじめは通り一遍のものとして捉えていた節がある。私は『懐かしい年への手紙』の「Kちゃん」と同様にくだらない理由で受験に失敗するのだが、「Kちゃん」とは異なり浪人を選ぶことはなく、「落ちてしまった以上、学問の道は閉ざされてしまった」という偏狭かつ行きすぎた悲観的推測により、本来学びたかったフランス語ではなくてイタリア語のほうをなかば道楽として選び取ったのだ(卒論を書かずに小説を書いて卒業するかもしれない現状こそを、道楽として語学をやっているといいうるのだが……)。そして大学入学時には『神曲』の記憶などほとんど抜け落ちてしまっていた。
 中学時代の代表的な文学体験として『神曲』を挙げた私は、小学生の頃も神話や民話のたぐいを好む少年だった。ブルフィンチのギリシア・ローマ神話や騎士道物語、アファナーシエフのロシアの民話集から、角川ソフィア文庫の古事記や万葉集などを愛読書にしていた記憶がある。学校の近くには「森」とも呼べそうな大きな公園があって、そこで時たま友人の輪から離れ、独りそれらを読み耽っていたこともあった。またもしかすると、それは間接的に大江の影響であったかもしれない。実をいうと、私は小学生の頃に『「自分の木」の下で』という大江の児童向けのエッセイを読んだことがある。そのなかでたしか大江は、なかなか読み続けられない本を木の上で読んでいた、という幼少期の思い出を語っていた(確認してみると「本を読む木の家」というタイトルだった)。木のぼりが好きだった少年は、それを読んでから「森」に本を持ち込むことを覚えたのだと思う。
 『懐かしい年への手紙』の話にもどると、この作品で私が印象を受けたのも、やはり「森」を描く場面であり、なおかつ『神曲』を引いてそれを描く場面だった。これは評論ではないからすべてを私の体験に結びつける強引を許してほしいのだが、月に一度は山に赴いていた私にとって、『神曲』の第一三歌は誇張ではなくそのたびに思い出されるものだった。

この時われ手を少しく前にのべてとある大いなる荊棘より一の小枝を採りたるに、その幹叫びて何ぞ我を折るやといふ/かくて血に黯むにおよびてまた叫びていひけるは、何ぞ我を裂くや、憐みの心些も汝にあらざるか/いま木と變れども我等は人なりき、またたとひ蛇の魂なりきとも汝の手にいま少しの慈悲はあるべきを/たとへば生木の一端燃え、一端よりはおち風撃を成してにげさるごとく/詞と血と共に折れたる枝より出でにき、されば我は尖を落して恐るゝ、人の如くに立てり。
『神曲』地獄第一三曲 山内丙三郎訳

独り訪ねてきたオユーサンに対して、柳田國男の「山人」を思わせるギー兄さんは森の鞘を歩きながらこの一節を暗誦した。柄谷行人はたしか『終焉をめぐって』で、“自伝的”長篇と言いうる『懐かしい年への手紙』が厳密な意味での自伝ではないことを指摘していた。むしろこのテクストでは、『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』など引用されたテクストで育った登場人物が再利用されている。つまりこの作品は「大江健三郎」という作者が作り上げた自伝というより、すべてテクストがみずから織り上げたものなのだ。物語の結びを挙げるまでもなく、いたるところに『神曲』のモチーフは散りばめられているから、以上のことは作者名に「大江健三郎」と記されたテクストにはかぎらないだろう。したがって、いささか強引に思われるかもしれないが、中学時代の私にとって『神曲』というテクストが生きていたのは、他ならぬ「森」でその詩句を思い返し、詩句が私のなかで新たに生きなおしていた瞬間だった。
 先日サークルの友人と、「死にたい」という欲望ではなく、「死ねるな」という可能性の感覚について話していた。死を望んでいるわけではないが、高いところや線路、大通りの前で選択肢としての死が突然ちらついてしまう(事故などを含め)……。だからというわけではないが、大江が自死を選ばなかったということは印象的であり、そのためにまた『神曲』のハルピュイアイの森を思い返すことになった。『神曲』La Diva Commedia は直訳すると『神聖喜劇』だが──『神曲』という訳は森鷗外によるもの──、イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンは『イタリア的カテゴリー』のなかで言っていた。「悲劇は罪人の罪深さとして現われ、喜劇は罪深い者の義認として現われる」、「恋愛詩人たちの「悲劇的」な企図にひきかえ、ダンテの詩が喜劇というタイトルを引き受けたことは、愛を悲劇から喜劇へと新たに逆転させる、まぎれもない「カテゴリー的転回」を画するものとなるのである」。

夢で小舟に乗っていて、その自分の合図で、堰提が爆破される。[…]そこで真黒い水ともども、自分が鉄砲水になって突き出す。その黒ぐろとしてまっすぐな線が、つまり自分の生涯の実体でね、世界じゅうのあらゆる人々への批評なんだよ。とはまさに逆の……
『懐かしい年への手紙』

以上の夢は『懐かしい年への手紙』の最初の構想にあった結末らしい。こう述べたギー兄さんは、けっきょく自死なのか他殺なのかわからない「悲劇的」な死を遂げたのである。それは、自らが犯した罪の反復としてあっただろう。尾崎真理子はギー兄さんの名の由来が柳田國男(やな“ぎ”たくにお)にあるなどと言っていたが(『大江健三郎の「義」』)、私としては「義認」の語を連想せざるえなかった(義認とは人間を罪の状態から義の状態へ移行させる神の行為のこと)。こう考えると、大江自身がその分身であるギー兄さんを、「とはまさに逆の」方向へ向かっていったギー兄さんを、その後の作品でも描き通したことは、まさしく自分自身が「義認」される過程にほかならず、それゆえ物語の結びで以下のように書いた彼はまさに生涯を通して「愛を悲劇から喜劇へと新たに逆転させ」たのではないだろうか。

ギー兄さんよ、その懐かしい年のなかの、いつまでも循環する時に生きるわれわれへ向けて、僕は幾通も幾通も、手紙を書く。この手紙に始まり、それがあなたのいなくなった現世で、僕が生の終りまで書きつづけてゆくはずの、これからの仕事となろう。
『懐かしい年への手紙』

「伴侶種」の罠──『犬身』

 私は犬を飼っていないし、また飼ったこともないから、犬にまつわる記憶が少ない。だが、ごく幼少のころに祖父と犬の散歩に行った記憶だけはある。いまとなっては犬の名前も外見もほとんど思い出せず、そのときに祖父が一定おきに痰を側溝に吐きだすのを不快感をもってながめていた記憶しか残っていない。だから「犬」と呼ぶしかない。その「犬」は聞くところによると祖父の家の二代目の犬だったらしくのだが、祖父以外のだれも世話をすることがなく、つねに家の外の犬小屋でなにかに向かって吠えたてていた──幼い時分に祖父宅を訪れたとき、その様子を近寄りがたく見つめていたおぼえがある。祖父の葬式のとき、私は祖母が小さく「Tちゃんは働きすぎた」と洩らすのを聞いた。それほどに仕事人間だった祖父の唯一のたのしみがその「犬」だったことは推測される。それでも、お世辞にも愛されているとは言えなかったその「犬」は、知らぬ間にいなくなっていた。そのことは息子家族に伝えられることはなく──それというのも父が動物にまったく興味を示さなかったからだが──、私はそれをただ「消失」として受け止めた。悲しめるほどに「犬」と触れ合うことはなかったのだ。
 そんな犬を飼ったことのない私にとって松浦理英子の『犬身』は、犬と触れ合いたい、というより犬と親密な関係を築きたいと思わせるには十分な小説だった。それはもちろん、おそらく犬を飼ったことがないだろう小川洋子の書いた『ブラフマンの埋葬』以上にそう思わせた。『犬身』は主人公の八束房恵が謎めいたバーの店主、朱尾献によって犬に変えられる話である。房恵は望み通りバーの客の一人である玉石梓の飼い犬となり、フサと名付けられ親密な関係を築くが、やがて梓がその兄である彬から性虐待を受けていることを知ることになる。
 ダナ・ハラウェイの言葉を借りれば、フサは梓の「伴侶種」たらんとしているとも言えるだろう。「伴侶種」とは「人間の生を成り立たせ、人間によってその生を成り立たされている」「異種から成るカテゴリー」(『伴侶種宣言:犬と人の重要な「他者性」』)のことである。これは『犬身』の作中に「種同一性障害」という言葉が見受けられることからも、的確な用語だ。すなわち、「性器結合中心主義」への異議を唱える松浦は、『犬身』において人間と犬とのあいだの種を越えた「寄り添い」というべきものを描いている。
 ハイデガーは『形而上学の根本諸概念』で人間は人間に寄り添うMitgehenことができるし、その立場にも立つこともできるが、石やある種の動物など「世界貧困的」なものに対してそれは当てはまらないと述べていた。その理由についてフランス哲学研究の檜垣立哉は「(ハイデガーは)開顕性Offenbarkeitをもつ人間的な観点からしか、あらかじめ生命をとらえていないからではないのか」(「生物学主義と哲学」『生命と身体』所収)と述べていた。ハラウェイの「伴侶種」が、時に動物を「人間化」することのある「飼い主-犬」的な関係からではなく、人間を種の次元から捉えていることに注意するならば、『犬身』は主人公が途中で人間から犬へと変わることで、人間から見た犬のみならず、犬から見た人間をも描きえていることがわかるだろうし、さらにそこに生まれる犬と人間の関係も、ただ性的関係に解消されないように描かれていることも読み取れるだろう。
 しかしながら、この小説がそのタイトルも含めて、どこか不気味な読後感を残すのは確かだ。この小説の場合、結末を明かすと楽しみが損なわれると考えたためあいまいにしか言えないが、たとえ主人公が犬となっても、結局は梓の兄である彬との梓の獲得競争に巻き込まれ、いわば梓は不在の中心になる。犬のフサと、その鏡である人間の彬はそれぞれ梓との関係が対照的なものの、あるいは対照的であるがゆえに、「寄り添う」というフサの選択は望まぬ結果を生むことになるのだ。

団地妻的翻訳──『犬婿入り』

 現実世界に侵蝕する民話を描いている多和田葉子の『犬婿入り』は、その作者の出自もあいまって「アダプテーション」だとか「翻訳」だとかが盛んに論じられている節があるが、そう読んでくれと言わんばかりのテクストをいざ前にすると、別の着眼点を見つけたくなるのが性である。たとえば物語の舞台には、団地などがある新興住宅地の北区と、多摩川沿いの古くから栄えていた南区とがあり、「キタムラ塾」があるのは古い南区になる。団地妻たちは南区の「キタムラ塾」に子どもたちを通わせ、彼らが持ち帰ってきた断片的な話を収集しては噂話に興ずる。したがって南区はある種の異界としてあり、だからこそ「キタムラ塾」を経営する主人公のみつこがいなくなったあと「どの子もそれぞれ、新しい塾を見つけて通い始め、南区に足を踏み入れることもほとんどなくなっていた」のだ。このことからわかるのは、「犬婿入り」というテクスト自体が断片的な噂話の集合としてあることだ。しかしながら、それが南区のなかで語られることがないというのが「民話」と異なる点であり、さらに奇妙な読後感を残す点でもある。というのも、北区に住む団地妻にとって「犬婿入り」は共同体の外部の物語にすぎないからだ。物理的に離れた南区の話を「翻訳」しようとする北区の人々の噂話は、すでに忘れ去られた民話をその外部から「翻案」しようとする多和田の創作行為と地続きであるといえるだろう。

権力の誘惑──『聖なるズー』

「春や夏の暑いとき、家ではトランクス一枚で過ごすことがあるんです。そういうとき、明らかにラッキーはいつもより興奮していて、腰を振る行為も激しくなる。僕はだんだん、彼に誘われていると思うようになりました。これは、僕の解釈によるんだとは思います。ほかの人なら誘いと思わないかもしれませんよね。でも僕はそう思った。そして誘いに乗ってしまった」
『聖なるズー』

 動物を性愛の対象とする「ズー」を描いた濱野ちひろのノンフィクション、『聖なるズー』を読んでいて興味深かったのは、犬をはじめとした動物と、ときに性行為に及ぶ彼ら「ズー」のほとんどが「動物からの誘い」なるものを主張するということだ。濱野自身は犬を飼っていた際にそういった「誘い」に気づくことがなかったというから、彼女はいっそうこの主張に疑問をいだき、多くの紙面が「誘い」に費やされている。
 気になって濱野の論文、「"ズー"になる──ドイツにおける動物性愛者たちによるセクシュアリティの選択」を読んでみた。ノンフィクションが事実の描写に徹底しているのに対し、論文では数多くの理論のあいだにそれらが位置づけられていたので、補完的にも読まれるべきだと思う。ここで肯定的に援用されていた田中雅一『誘惑する文化人類学──コンタクト・ゾーンの世界へ』によれば、「誘惑」とは「自己が主体的に他者に働きかけながら、他者を能動化し自己を受動化するという奇妙な遂行的(パフォーマティヴな)行為」なのだという。これは、アルチュセールが言うような他者の主体化を推し進める「呼びかけ」とは異なる。「呼びかけ」は市民が警察の声に振り向いてしまうような主体化=従属化をはらむのに対し、「誘惑」は「能動的な主体である誘惑者が誘惑という能動的行為を行うことで、誘惑される側の能動性を誘発し、それによって今度は誘惑者が受動的な存在になる」ものらしい。
 言わんとしていることはわかるが、「呼びかけ」に対しても「警察が呼びかけという能動的行為を行うことで、呼びかけられる市民の側の「振り向く」という能動性を誘起する」とはいえないだろうか。このとき警察が「受動的な存在」とはならないとしても。権力などのイデオロギーに呼びかけられることで私たちは振り向く主体となる。こうしたアルチュセールの議論はバトラーが『権力の心的な生』(先日友人に譲ってしまった)や『触発する言葉』などで紹介しているが、その文脈に沿わせるなら、私たちはそうした「呼びかけ」を内面化し、従属することで、発言権をもった「主体」でありうる、ということになる。そして主体はけっして「呼びかけ」の前にはありえないのだ(佐藤嘉幸「服従化=主体化は一度限りか」『現代思想臨時増刊 ジュディス・バトラー』などがわかりやすい)。
 ならば、いくら「ズー」たちが動物と人間とのあいだの対称性を主張しようとも、「ズー」という自認ないし主体はある種の服従化と切り離せないものではないだろうか。

黙示録的な獣──『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』

 最近はAudibleで村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を聞いていた。おそらく彼の新作とも十分に関わりがあるだろう作品だ。私はこれをだいたい就寝前に聴いていたから、ところどころ寝落ちて聞き逃すところも多かったのだが、やはりAudibleの利点は目を閉じても聴けることだと思う。ただ目を休めることができるというのみならず、たとえば『世界の終わり』だとヤミクロたちのまっくらな世界の語りを目を閉じたまま聴けるわけだから、そのぶん臨場感も増すというわけだ。
 ところで、「世界の終わり」の世界で人々の自我をコントロールする「獣たち」、すなわち一角獣が出てきたとき、私はつい先日までやっていた平野真美の個展との奇妙な符合を思わずにはいられなかった。

平野真美「蘇生するユニコーン」(平野真美ウェブサイトより)

美術手帖の記事には「闘病する愛犬や、架空の生物であるユニコーンなど、対象とする生物の骨や内臓、筋肉や皮膚など構成するあらゆる要素を忠実に制作することで、実在・非実在生物の生体構築、生命の保存、または蘇生に関する作品制作を行う」などと書いてあった。

他の獣たちが門に向けて立ち去ってしまったあとには、まるで大地に生じた小さな瘤のようなかたちに数頭の死体が残された。白い雪の死衣が彼らの体を包んでいた。一本の角だけが妙に生々しく宙を射していた。生き残った獣たちの多くは彼らのそばを通りすぎるときに、あるものは深く首を沈め、あるものは蹄を小さく鳴らした。 彼らは死者たちを悼んでいるのだ。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 上』

この場面を目を瞑って聴きながら、私は一面の雪景色と、そこに眠る彼ら獣たちを思い浮かべた。平野の作品を見た後だったから、それはほんとうに実在するように思われた。
 さらに私はまたジャック・デリダが『獣と主権者Ⅰ』で言う「獣」を思い返した。石川義正は以下のように言っていた。「「獣」という概念は、もはや歓待することの不可能ななにものかであり、むしろ絶対的な異邦人と対峙するなかで自分自身が獣と化した主体=主権者を意味している。絶対的な他者を歓待し庇護する主体は、歓待を可能とする主体それ自体を維持するために、他者を選別し、排除するというパラドクスに囚われる、それが獣なのである 」(「動物保護区の平和」『政治的動物』)。このパラドクスは「言説の「供犠的構造」」と呼ばれる。供犠とは「動物を人間ならざる者と定義し、排除することで稼働する主体化の装置である。供犠によって人間は主体としての自己を所有し、動物は人間ならざる者として「痕跡」化される。痕跡とは消滅しながらも無として存在するなにかであり、無限判断としてしか表象できないものである」。こうした「痕跡」としての動物は「世界の終わり」の世界にも似ているし、その有限の否定としての無限──ヘーゲルのいう「悪無限」──としての性格も供犠的構造を帯びているといえよう。町から排除されながら町から離れられない「獣」と町(自我)の関係も、このもとに捉えられるかもしれない。

主権の墓場の跡の跡──『霧の犬』

 こうしたタイトルを付け、私はアガンベンの「例外状態」を論じる気だったのだが、文フリ関連のもろもろの締切が5つほど同時に押し寄せてきているのにこんな文章を書いている余裕はないと突然我に返ったので、やめておく。
 辺見庸の『霧の犬』はそのタイトルが石原吉郎の詩から取られているように、小説というより詩文集と呼んだほうが近い。登場人物の名前は「ゐ」や「あ」など五十音から取られているし、文法的な破格や造語が各所に散りばめられていて、「日本語」の可能性を極限まで広げようという意志を感じる。冒頭から数行引用しよう。

霧であった。無蓋貨車がゆっくりとはしっていく。夜がゆれる。シロツメクサがぬれている。バリケードもぬれている。いつからかずっと霧だった。こまかな絹のくず。霧がどこからともなくわいていた。霧はずっとふりやむことがなかった。霧は灣からわきでてながれ、すべてにたちこめた。すべては霧にひたされつづけた。男はとてもおちついていた。男はすこしも痛くはなかった。街は霧にとじこめられていた。すべては霧にひたされつづけた。霧の空をアメフラシの群れが一列にゆっくりとはっていた。どこからどこへはっているのか。わからない。アメフラシは霧にかすんでいた。アメフラシが霧をはいているのか。霧がアメフラシをはいているのか。あまりはっきりしない。霧はアメフラシと気脈をつうじていた。呼応しあっていた。霧はその内がわからもりあがったり、ふくらんだり、うねったりした。はるかとおくから、かすかに男の声がながれてきた。なんの声かわからない。霧は絶えることがない。
『霧の犬』

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