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ヘビ+カニ




蟹歩きで読むこと


 ちょうど蟹歩きの格好で新宿駅八時三六分発総武線津田沼行きに潜り込みやっとのことでつり革に手を伸ばすと、傾けた視界の端に《うま味ノリノリ♪ 旬の北陸へ急ガニば!》などというナンセンスな広告が映った。赤く染まった三匹の紅蟹が腕を持ち上げて改札を躍り出る様子が、滑稽というよりどこかグロテスクだ。ここでスマートフォンを取り出そうとした腕を文庫本へと持ち替えたのは敬愛するサークルの先輩が金沢へ文学賞の授賞式に行っているとつぶやいていたことを思い出したからだったし、また読んでいたのが金沢を舞台にした古井由吉の初期秀作、「雪の下の蟹」であったからでもある。

 蟹はもう一年以上食べていない。奇しくも、最後に食べたのは昨年の夏に行った金沢だった。吉田健一が『私の食物誌』でも賞している金沢の蟹の味は格別で、また食べにいきたいと思うものの、最近は家にこもって本ばかり読んでいる。以前一緒に行った人とも疎遠になってしまった。週二回こうしてアルバイトに出るけれども、それは「重い甲羅を引きずって、まるで生きていることがそのまま一種の病いのように、見るからに苦しそうに海底を這いまわ」(「雪の下の蟹」)るかのようで、陸へ出て産卵場所を探し回る確固たる目的意識も活力もない。つり革に腕を伸ばしてばかりいるといずれ蟹に変わっていってしまうのではないかとさえ思われてくる。たしかにここは陸の上なのだが、あたかも仄暗い海の底のように思って閉じこもることでしか海上の通勤電車的現実をやり過ごせないのだと思ってしまうのは、大江とか古井とかを読みつづけているせいかもしれない。

 蟹といえば、「私が卒業した女子校には蟹がきた。[…]蟹はくぐもって湿った空気の垂れこめる外づきの廊下を横歩きしていた。小さくて丸みのある砂色の甲羅から灰緑色の目が突き出し、脚が廊下に擦れてカチカチ鳴っている」とはじまる小山田浩子の「蟹」を最近読んだのだが、これはむしろ陸の話を、ある種反対に開放的な病の話をしている気もする。もちろん開放的というのは一見したところそうというだけで、やはりこの病も行き詰まるしかない。「私」の意識を侵食していく蟹の姿は、大勢の人にとって意識にものぼらない。「校内のいろいろな場所に蟹の死骸があった。全身もあれば部分もあった。それらはホコリや落ち葉や他のゴミと一緒くたに掃き集められゴミ袋に入れられ焼却炉に運ばれた」などと描かれる異常な風景はのちに描かれる通り、この土地が工場の犇めく埋立地で、遠くはない昔には海だったからだということにされる(それにしても異常なわけだが)。「海の底」、いわゆる「内向」的な意識は、金沢の白い雪ではなく灰色の土砂によって埋め立てられるというわけだ。

 このように蟹が病的に描かれるというのもわからなくはない。濁った目玉や腹に敷き詰められた卵などがおぞましいのは言うまでもなく、殻を割ってみたときにのぞく健康的な白い肉さえ──そこに日本酒がありさえすればいいのだが──、なにか人を不安にさせるところがある。小山田浩子の「蟹」が収められた短篇集の解説を書いているのは、吉田知子だった。実際に短篇を読んでみてから「私は小説の中の会話が嫌いでいつも会話部分は飛ばす」というなんとも豪快な発言とともにわたしは彼女とこの解説の存在を思い出したのだった。吉田の本姓は蟹江と言うらしい。だから「蟹トク子」という女性の「蟹」に対する少女小説的な自意識の独白である「乞食谷」なる短篇を読んだとき、そこに彼女の蟹に対する愛着とは遠く離れた、強い執念のようなものを感じたのはわたしの姓にも動物の名が入っているからかもしれない。蟹の脚が毟り取られるように少しずつ、しかし確実に損なわれていく様子を描いたこのテクストは、「どの蟹も、やっぱり醜かった。」という一節で終わる。

 時折挿入される「甲板」や「甲種合格」などの語が現代の視線から読むと「甲羅」や「甲殻類」の語を連想させなくもない梅崎春生の「蟹」も、蟹という名をめぐる短篇だった。「熱病やみみたいな、ぎらぎらした眼付」をした「蟹に似た姿体」の男は、「蟹」とあだ名され、焦点人物らをいびる愚鈍な人物として描かれるが、具体的にどこが蟹に似ているかは語られない。蟹の比喩がはじめて出てくるのは、彼が剥き身のまま軍隊の上長に湯かき棒で皮が剥けるまで尻を殴られたときだった。しかし、「蟹に似た姿体」とはいったいどんなものなのか、気になる。吉田が言っているように、名前に蟹が入っている、蟹と呼ばれつづけると蟹的な精神になるだけでなく身体も蟹のように近づいていってしまうのだろうか。だとすれば、蟹的な自意識に近づいていってしまってもそれを蟹的などと言わないほうがよく、むしろ「猫的」だとか「レッサーパンダ的」とか言いつづけるのがいいのかもしれない。ただし、蟹歩きで同じ対象をまなざしつづけるのもたまにはいいだろう。



蛇頃 


 たとえばこのような印象。定まらない視界の奥で哺乳動物たちが俯きながら頭をゆっくり上下させている。黄土色の草はところどころ禿げていて、なかには泥水が溜まっているところもある。ずっとノイズのような音が響いている。何かを聞いているのにずっと何も聞いていないような感覚。傘をさしているのに霧雨は毛孔に射し込んできていた。シャツがくずれた皮膜のようにふくらむのを感じるととたん辺りが照って、白い糸が空と地表とを結んだ。あるいはそれは蛇のように縦にはしった。鏡花ならそう書いただろう。遅れて地鳴りのような音がする。「稲妻に道きく女はだしかな」。いまわたしの周囲にはだれもかれもが消えてしまって、鏡花のこの句に出会ったのはもう二年も前だったことを思い出す。金沢へ行かないうちに震災が起こった。川上弘美が犀星記念館で配布されるフリーペーパーに文豪の俳句にまつわるエッセイを寄稿していて、それを犀川にかかる鉄橋で人を待っているときに読んだ。そのときもたしか雨が降っている。「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった」。 踏むとどんな感触なのだろうか。蛇による、とやってきた友人は言った。だけど滑るんじゃないか。どこを踏んでも隙間からするりと抜けてしまう。もし運よく重心を踏み抜いたとして、青い血(これはたしか蟹と同じだよね、とどちらかが口を挟んだ)とともに生臭いにおいがたちのぼるのは決して心地よいとはいえないだろう。「犀星の小説の面白さは、その文章の一種の生臭さである。ぽきぽきした、時には悪文とさえ思われるはぎれの悪い文章で、描く対象に迫って行く。しかも一般には覆いかぶせておきたい人間のおろかさみたいな生の執念に、しつこく目をすえている」とは戦後あまり顧みられない犀星に対して好意的だった島尾敏雄の弁だが、ようするに犀星の文章は蛇の道なのである。藪の中、ぽきぽきと枝を折りながらすすみ、おろかしい生の執念を暴こうとする蛇を、ときに人間自身が踏み殺してしまうことがある。そのような蛇が、雷鳴とともに幾匹もおりてきているのだが、いまはむしろ泥水を染みこんだ靴下の方が気持ち悪く、裸足になりたいくらいだった。蒸れた足に忌わしく蟹のように赤い発疹がいまにふつふつと立ちのぼってくるような気がした。犀星はこれを「悪魔の接吻」と呼んで、殺してしまった蛇の妄執かもしれないと恐れている。ほんとうに全く関係ないが犀星全集を購おうと見ていたフリマサイトで『室生〝宝〟星詩集』だか『〝宝〟生犀星詩集』だかを出品している人を見つけ爆笑したことがある。それはどうでもいいのだが、宝生ならぬ犀星は蛇に少なくはない関心をもっていたようで、「くちなはの記」では蛇を殺した子どもたちを書いていたりもした。「かれらはまん中に青大将を置いてつまびらかにそのからだのふしぎさに見とれた。見れば見るほどふしぎだらけのものだった。腹は帆のように白く、縞はきりつ正しくついて、どこかに生きている渦みたいなものが、眼のせいか、まだ、うごいているふうだった」。見ているうちに主客の境界がほどけるこの渦は、犀星の文体にも潜んでいるかもしれない。わたしは雷へむかって走った。哺乳動物たちがこちらを見つめていた。彼らはすでに死んでいた。地表を破って生まれた蛇が、地平線のむこうまで大地を敷き詰めていた。 


読んだものなど

梅崎春生「蟹」『梅崎春生全集 第一巻』新潮社、一九七三。
小山田浩子『庭』新潮文庫、二〇二〇。
古井由吉『雪の下の蟹 男たちの円居』講談社文芸文庫、一九八八。
吉田健一『私の食物誌』中公文庫、一九七五。
吉田知子『犬の幸福』中央公論社、一九七九。
 
泉鏡花「木の子説法」『泉鏡花集成8』種村季弘編、ちくま文庫、一九九六。
川上弘美『蛇を踏む』文春文庫、一九九九。
島尾敏雄「室生犀星著『黒髪の書』」『島尾敏雄全集 第十三巻』晶文社、一九八二。
室生犀星「悪魔の接吻」『室生犀星全集 第六巻』新潮社、一九六六。
──「くちなはの記」『随筆 女ひと』新潮文庫、一九五五。

※ヘッダーは佐伯祐三「蟹」一九二六年。


だいぶまえの日記の抜粋


 面接に行った。詳細は書かないがガザやウクライナのことについて聞かれた。未成形の言葉を喉奥から取り出していったのだが、そのとき、たしかゼミの志望理由書かなにかに書いた自分自身の文章の一節を思い出した。そこには「背に張りつめるしじまを引き受けて本に向かっていきたい」などちょっとカッコつけすぎているが何も責任を引き受けようとはしていないイタいような言葉があったように思う。

 沈黙を沈黙のまま肯定するのはますますむずかしくなっている。その志望書では「詩人の言葉は沈黙から生じ、沈黙へと帰っていく」というモーリス・ブランショの言葉を引いていたが(恥ずかしい!)、詩手帖のパレスチナ詩アンソロジーや#ガザ翻訳のハッシュタグをたぐっているとその「沈黙」がいまいかに悲惨な意味を獲得してしまっているのかを、痛切に感じられずにはいられない。(今日の「天声人語」は「沈黙を拒む」というタイトルで「国際社会の大人たちが止められないなかで、沈黙も言い訳もせずに立ち上がった」学生たち、米国の大学に対しイスラエル企業への「ダイベスト(投資撤退)」を求める学生たちのことを述べていた。)

 先日ポール・オースターが亡くなった。彼について語る言葉を用意するのは時間がかかるだろう。あまり知られていないけれど、彼はブランショの翻訳者でもある。デビュー作の『孤独の発明』は彼自身の父親の死を扱った小説であるが、つぎのような一節がある。

 ここ二週間、モーリス・ブランショの一節が私の頭のなかで響きつづけている。「ひとつのことが理解されねばならない。すなわち私は何も非凡なことは言っていない。意外なことさえ言っていない。非凡なるものは、私が沈黙する瞬間にはじまる。だが私はもはやそれを語ることができない」
 死からはじめること。そこから徐々に生のなかへ進んでいき、そしてまた、最後に、死に戻ること。
 あるいは──誰であれ何であれ、誰かについて何かを言おうとすることの空しさ。

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