療養日記

一月四日

 ここ数年流行りの感染症に罹ってしまったので、今日は一日寝ていた。ぞっとする寒気が足先から脳天まで均質に張りつめているのに、頭のなかには灼けるような熱い痛みが篭っていて、うずくまったまま身動きを取ることすらできなかった。流れ出した汗が背中のあたりに溜まり、また広がり、気味の悪い悪寒を呼び寄せる。試みに肌に触れてみると信じられない熱を帯びていたが、何重にも着込んだ服を一枚たりと脱ぐことはできない。熱さと寒さとのあいだの一種の矛盾がこの身体の輪郭をふちどっているのだとすら思えたし、仮にそうなら、ふだん皮膚に押しとどめられているはずの痛覚やら感情やらなにかの同一性やら、「私」を囲うあらゆる境界が熱という一元的な指標のなかに溶け出していくようなおそろしさ。寒いのか、熱いのか、寒いのが熱いのか、熱いのが寒いのか、わからなくなって、はやく眠って意識というこの厄介物とおさらばしたい、と思っている。
 鼻が詰まり、喉は炎症を起こしているため息を吸うことすら億劫に感じる。それでも、口呼吸をしていると前触れもなく咳が吐き出され、身を縮めて咳をするたびに喉奥で痰が跳ねあがるのを感じ、喉を掻き切って薄緑に変色しているであろう痰をすべて掻き出したい衝動に駆られる。呼吸という基本的な生命活動をやめたい。息を止めたときの苦しさは、息を吸う(もはや呑み込むといったほうが正しい)ときに感じる不快感よりまだましだ。それでずっと浅い呼吸を繰り返していた。
 浅い呼吸を繰り返していると、ふと遠くから祭囃子が聞こえてきた。近くに大きな神社があるため、神輿は大通りを歩むのだろうか、元日の朝にも聞いた。だが、ともすると幻聴の可能性もある。自分の呼吸音のあいまにかすかに見知らぬ人の手による太鼓の音が響き、また見知らぬ人の手により鈴の音が鳴らされる。その一定のリズムはなぜか大きくなったり小さくなったりしている。近づきながら遠ざかっている神輿の矛盾を(あるいは人間の群れが神輿を運んでいるという事実を)私はどうしてか不愉快に感じ、しかしただ不愉快に感じるだけだった。気がついたら眠っていた。
 夢のなかで私は、古びたパイプ椅子に座っていた。パイプ椅子かどうかはわからないのだが、触れると金属の冷たさを感じたので、そう思った。目の前には舞台のようなものがあり、かすかに青白い光で照らされている。それでなにかが始まるのを待っていた。待っているあいだ、周りに座る人々が身動きして立てる音が耳元で轟音のように鳴り響き、しかし私は身じろぎせずに凄然とした舞台をただ見つめ待っていた。少しでも動くとパイプ椅子がギシギシと音を立てるからだった。観客の一人は、裏切り者がいる、と言っていた。それだけ覚えていた。私たちは待っていた。
 しばらくすると、壇上に数人の人影が現れた。それらはほんとうに影のようで、顔や服が判別できないばかりか、縁が炎のようにわずかにゆらめいているのがみえた。彼女ら(どうしてか「彼女」だと思った)は壇上から声を張り上げていた。意味の充填された力を持つ言葉を、どうしても私たちに伝えたいようだった。しかし、どうしても私には何を言っているのかわからなかった。言葉が耳元をかすめ通りすぎるというより、聞き取れているにもかかわらず、その意味が頭のなかで結ばれない、といった感じだった。彼女たちは伝えたいのだろうか、尋ねたいのだろうか、それすらも私にはわからなかった。
 彼女たちの執拗に繰り返す声に飽き飽きしていたころ、私はすでになにも見ていなかった。しかし瞳は開いていた。そのとき、「わたしをいのちに誘わないでください」という言葉が頭に思い浮かんだ。これは先日読んだ吉原幸子の「祈り」(『魚たち・犬たち・少女たち』所収)という詩の一節で、彼女の朗読が印象に残っていたのだ。だから夢のなかで私は、彼女たちの言葉はこの詩なのだと信じ込み、そうして信じ込んでしまった結果、すべてがすべて元に戻る──ふたたびパイプ椅子に座り「なにか」を待ち続ける──ことになったのだが、目覚めた今となっても彼女たちがなにを言っていたのかわからない。わかろうとすら思えない。(今は比較的元気です)

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